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失敗の中に経験を拾う(4)

承前

ここまで書いてくると、問題の認識が不足し(3)コミケーション不足だということになるのだが、それ以前に使用者がカードの情報の管理・契約内容などをちゃんと認識しているのかと言う問題がある。

このお母さんや知人は、多分「デパートの出している」と認識したカードと「PASMOカード」の管理者の間でデータの交換が行われているのかという疑念を持っているようであるが、再三述べているように、これ自体は当然行われてしかるべきであり、正統な商習慣の範囲内だと考えている。必ず添付される約款を見ればそれは分かるはずであるし(小さい字だったりするから読みにくい事は時にある)、ポイントカードを作る段階で分かるはずなのである。(最近はこの手のカードを作るときに、情報を交換するなというところに印をつけると、データ交換行為をしないところもある)けど、この場合確認をしたか・・というとまずしてないであろう。以前なら契約内容の云々がほとんど使用者に対して「意味を持たないとみなしている」現実認識が一部の人に根強くあるからだ。
それと、「デパートが出している」と思われているカードが、実は「PASMOカード」も発行している鉄道会社本体の発行である場合もあるので、そこをしっかり書面で確認しているならば、可能性が容易に分かるのである。このことは、(3)コミニケーション不足と言うのは「約款確認をしていなかった」という業者と個人の関係という意味合いを含んでいるのだ。
もっと問題なのは、大手の会社(時と場合によっては政府)がやることに「間違い」はない、と考えることである。但しこの「間違い」という表現は「自分に対して不利なこと」と同じと考える認識がある。なに有ろう、お年を召した方ほどその認識が強い気がするし、私は一般的には関東より関西のほうがこの感覚が、強いような気がしている。
ここは推測であるが、関西での鉄道用カードの「与信業務」というのは実は「説明責任を果たさなければもめる」現状認識ゆえの策ということかもしれない。)

業者側にたってみたら、
「他人に対し空理・空論を吐いていないか。」
「ナゼ分かろうと、ナゼ知ろうと出来なかったのか」
ということになるわけである。
前者は、「理解できない人と言うのはいるのだから、そういう人に空理・空論を吐いていないか
後者は、「このような説明では分からないということを、なぜ分かろうと出来なかったのか
ということがいえるのだが、このことは逆に、契約した個人にも言えることである
前者は、「理解できないないようだということなのに、空理・空論を吐いていないか
後者は、「契約と言うものを、なぜ分かろうと出来なかったのか
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会社員時代、私自身、製造物に市場クレームがあり、交換に走り回ったことがあるが、そこでであった現実は、取り扱い注意という説明書をいくらつけていて、免責範囲とまで書いてあっても、客先なり施工業者にその認識を持ってもらうことは難しいこと。(ブランドイメージが高いほど苦労する)たとえば機械油の交換をしたとき、油を顧客側で間違え、その結果破損し、事故をおこしたとしても、製造物責任として裁判に持ち込まれた例さえある。したがって20年前の製品とは比較にならないぐらい免責条件が付いている(顧客がメンテナンスしてくれとかいてあるものも、絶対触らないでくださいとした事例も有る。)のが、現在の製品の特長になる。つまり20年前の常識は捨てなければならないという、有る意味固有の知識の一部は廃却し、いれ変えなければならないことだ。(同時にPL面からの状況も20年前とは思いっきり変わっているわけだから・・・。)
以前書いたように、電子レンジを買ったときの取説に「電子レンジに動物を入れてはいけません」と本当にかいてあったのに驚いたことがあるが、そうしなければならない事実がある。(ちなみに、この電子レンジの話は都市伝説だろうと当初思っていたが、お付き合いの有るシンクタンクの研究員の人が、アメリカで専門家に聞いたところ、当事者で示談になりおもてざたになっていないだけで事実だという話を聞いてきたらしい。)
こう考えると、認識の違いや契約に関する共通認識を全てこれらの「サービス」を享受する人間は持たなくてはならない分け。けど、そこが認識できる人がすべてでないのは認めなければならない。そうなると、どう考えればいいのか。
サービスの中身をよく審査し、判断する態度(契約書・約款の確認)がすべてについて必要
ということなのだろう。(事実不動産取引に関しては、その説明などに不動産会社がすごく丁寧に行うことが常態化している。)それが出来ない以上、サービスを享受することを判断するスキルを生きていくうえで持つしかないし、できなければ撤退するだけの信念を個人が持たなければならない
たとえば、この場合、クレジットカードにしないという考えを持って、2つのカードを使用するという解決策を判断する能力が必要である。それがなくても生活できるということも考えると、それも選択肢では有る。また、その得失をよく理解し、有効に活用する必要性を感じるなら使うスキルを進んで持つという考えも有る。要するに自己認識力の問題である。
そういうと先に上げた文章が出てくる。
(1)・・・失敗を素直に認める。(臭いものにフタをするな。)
(2)・・・経験を生かして(技術の)進歩改善に役立てる
(3)・・・(他の人に)同じ失敗を繰り返させないことにする
自分で自分の身を責め、自分自身の中に反省を見出す事
括弧の部分を除くとこの事例を考えるに丁度いいかもしれない。
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さて、知人の話を一寸考えてみる。以前から割と判断能力については高い人で、かつ知見のある人だと見ている。しかし、実はお母さんの判断能力が時流に合わなくなっていたということが、かなりショックだったのではと思う。だからどうしてもエキセントリックな意見になったとは本人も言っていた。(「語ってしまいましたね。(笑)ごめんなさい。」というのも一片である。)そしてシステム全体を見ることが、自分がいながら出来ていなかったということに、「自分で自分の身を責め、自分自身の中に反省を見出す」態度が見られる。
このこと自体は自分も自分の親(70台後半)に関して意識しなければいけないことなのかなと、考えるところがあった。
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