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いろんな名言(2)

よく人生や経営の指標になることばを、箇条書にしてかいてある額なぞを目にする。・・・とかいた。麻生さんなんかは政治の指標が「ビリーズなんとかのエクササイズののり」だなと思うがどうなのでしょう。(ただ彼は御曹司(彼はセメント会社の御曹司だそうな。この会社はかつて産業セメント鉄道という会社も運営していた。戦時買収の対象になった。現在のJR九州・平成筑豊鉄道の一部)の上にノリがいい代わりに不用意な発言も枚挙にいとわないし、大きくはなっていないが、かつて人権に関するひどい発言があったそうで、もし・・・それなりの地位にいくと反って失言を繰り返すかも、それを相手側にぐりぐり責められたらという懸念もあるが。)特に、「気がつかずにやっちまった」(未必の過失)を繰り返すと「未必の故意」とみなされることだから神経質になってしまう。当方もそうなり易いところがあるから・・・もう一度かいてみよう。
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(3)これは、以前にもかいた、失敗再発防止に関する指標として、馬場さんと言う人(故人)によって、某社で提唱されているもの。昭和28年ごろとしては画期的である。どうもこれが「失敗学」のそもそもの原典・原点と、提唱者の畑村氏(東京大学名誉教授)が著書でそれとなく語っている。いわゆる「振り返り作業」。

コンセプト「落穂ひろいの基礎観念」
(1)・・・(仁徳欠乏)・・・他社・他人に対し不親切ではないか?
(2)・・・(信義不全)・・・(製品の)クレームに不信はないか?
(3)・・・(知行不合一)・外に向かって空理空論を吐いていないか。(出典:孔子)
コンセプト「失敗は教訓の素」・・(改過為福)
(1)・・・失敗を素直に認める。臭いものにフタをするな。
(2)・・・経験を生かして(技術の)進歩改善に役立てる。
(3)・・・他の人に同じ失敗を繰り返させないことにする。

工業的にもともかく、それを外れたらやっぱり誠意欠如と言う意味ではないでしょうか。これは過去にも述べたので細かくは語らないことにする。
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(3)これは、ある人から貰った資料。
江戸東京博物館の特別展「大鉄道博覧会 ~昭和への旅は列車に乗って~」のなかの展示パネルの記載だそうである。参考:こちら。ここではパネルの表記を太字にし、わたしなりの考えをいれる。

星 晃氏の旅客車を設計するに当っての哲学とは
 (注:星 晃氏:1918年富山市生。鉄道省(=国鉄)入省。陸軍召集解除により戻る。客貨車設計。車両設計事務所電車主任技師、旅客車担当次長等を歴任し、ビジネス特急・新幹線電車・寝台電車など近代化旅客車の車体設計に従事。本社副技師長で国鉄退職後、川崎重工業㈱入社。車両設計部長、取締役車両事業部、常務取締役車両事業本部長、技術研究所長などを歴任した)
(1)・・・常識的な人間として仕事に取り込む(旅客車の改良進歩)
現代では常識と言う意味では、定性的に議論するのが難しい時代。いい例とは言わないが、ラピートの先頭車形状が、「常識」かというと???と言う向きも多かろう。創造と常識的概念が拮抗すると言う時代と思う。けれども、一般論として「常識的な人間として仕事に取り込む」というのは、決して排除されたことではないどころか、自分なりの常識を元にしてする限りは貴重な意見であり、振り返りの必要を感じる。
(2)・・・鉄道利用人という意識
当然(1)に付随する概念である。某社の事例であるが、バスを作ったりする業務に従事する人が、バスに乗らないし、乗ったことがほとんどない。当然である。近傍のバス会社がほとんど撤退・廃業して路線がないのだから、担当者の中には誠意と自分の業務の意義がいまひとつ見出せない。これはかわいそうであるが。
(3)・・・鉄道趣味人であるからの発想を生かす。
着眼の細かさを指摘しているであろう。多少(1)とは相反すると見えるが、これは「バランス」を失わない程度にと言う言葉を入れたほうがいいかもしれない。
(4)・・・どう決めても良い場合に鉄道趣味知識を生かす。
最後は設計者の感性であるということ。ただし商品企画部門・経営方針策定部門などの有る部署なら、そちらの客観的意見を取りこまならればならない。このようなところはそのシステムによって依存しているかもしれない。国鉄ではこのあたりを設計者のリーダーが担っていたのであろう。
(5)・・・旅客に喜ばれるような構造的配慮
これは(3)と一部相反するところがでるかもしれないが、乖離があるかもしれないのですり合わせをする必要があると意図してるのではないか。星氏の設計概念とはかなり違って、多様化が見られるわけで、それを全て取り込むと、製品自体が成り立たないということは、いまは有ると考える。関東と関西でもそう。(このため戦前でも車両の投入方針は一部代えている。JRになったら全く進むべき方向が変わってきた。)
(6)・・・取扱乗務員への配慮、車両仕様現場の声を聞く(車両区・検査区)
当然である。産業機械だとこれが先に来る。現場・現物の巡視/意見聴取をしない設計者は失格である。わたしとて、製品検討の時は、全国のメンテナンスサイドの人間を集め会議をおこない、かつ客先への訪問をいとわなかった。
(7)・・・車内を明らかにする方法で(窓の大型化、照明)
これは本人のポリシーなのであろう。けど(1)(5)に立脚しているものと解する。
(8)・・・清掃に便利な構造的配慮
これは(2)(5)(6)の一つの事例である。けど重要ですよね。特にサブマリン化しやすい項目なので特に上げたのだろう。
(9)・・・作りやすいような構造的配慮(量産向き)
経済性を意図しているのと(6)の項目が混じっている。経済性という見方はここだけに出てくる。さすがに当時としては優先順位が低いな。国の機関であることは、強烈なダンピングなどの提案がしにくいというのは納得できる。もちろんこのことは、工作機械などの関連知識(製造現場や世情)を熟知せよということにも言える。
(7)・・・社会情勢の変化に対応
この見方はどうしても、変わっていく。昔の永年使用(簿記上では償却12年ですけどね)的概念から見ると、この段階でこれを言っているのは面白い。彼の概念どおりに現在が進んでいるかは疑問だが。
(8)・・・車両工業デザイン的配慮(人間工学の導入を含む)
いまになって更に見直されているところである。ただ設計といわゆるデザイン(=工業意匠)との関係が、相反項目が増える傾向にある現代、設計者個々にその調整能力が問われているのかなとは思う。
(9)・・・客車・電車・気動車で同じ目的の扱い方統一
これは(6)(8)(9)と同じ項目の切り口を替えた表現とみなせる。(5)の要素もあるかも知れない。
(10)・・・国鉄らしさ(落ち着き)の強調と遵守
これは、今のようにコンセンサス形成が難しい時期には言いにくいはなしであろう。ただ各社らしさというところはどうしても出てくる。ここに関してはあまり強くいえない時流があるかとは考える。他方、国の機関である所の縛りという側面があるからこそ出てくる表現なのかもしれぬ。それ以上に上記の項目にかなり擬似するところもあり、相反するところもありではないのかな。(PS:会社の社会的コンセンサス形成と発露・・と言う視点に読み替えると、今の世界なら成り立つという御意見があった。その評価なら理解できる。)
(11)・・・建築・家具などの擬似設計品の調査・観察
今なら、乗用車内装もはいりそうですね。まあ、専門分野に凝り固まるがために、本当のニーズを拾えないということが良く有ることである。心して分野の違うものを見なければならないということ。それは私も意識して、あちこちちょっかいを出しているつもり。技術者生活はそもそもそうである。
(12)・・・外国車両の動向の調査
これは(11)とあるいみ同じ。(3)(4)の問題も含むであろうが、基礎的には外国に限らず他社調査は(自分の設計に反映するかはともかく)非常に大切である。反面教師としても設計者自体の技術力の向上に必須である。
(13)・・・一般社会の調査と取入れが好ましいものの把握
これは(11)(12)そして(3)(4)の概念を更にブレークダウンしたものであろう。
(14)・・・新設計の反響・批評の関心と反省(部内外)
要するに「振り返り作業」なのである。これは(13)の工程をしっかりやる段階で、必然的に入ってくるはずなのだが、現実はそういう余裕がない場合が多いことをいさめていると解した。
(15)・・・国内他の鉄道・各車両メーカーの状況把握
当然のこと(14)そして(9)をやって入れば、必要になることなのである。

となると、じつは星さんの言いたいことはダブっている。私はじつはこの15項目は分かりやすくばらしているけれども、骨子は(1)に集約されていると見るのだが、皆さんはこれを見て、いかがお考えだろうか。

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コメント

> ただし商品企画部門(中略)そちらの客観的意見
ここは現実問題として多くの場合決して「客観的」ではないし、私自身としては「客観的」である必要もないと考えています。企画者の感性もまた極めて大事なのです。ただ、経営者を始め他部署に対してはいかにも客観的に装ったプレゼンをする。それでいいのだと思います。

> ただ設計といわゆるデザイン(=工業意匠)との関係が、相反項目が増える傾向にある現代
うーん、技術屋さんからみるとそうなんですか??私は、むしろ電子・情報技術で解決できるところが広がった分だけ、デザインを生かした設計がやりやすい時代になってきていると思っていますが。

> 国鉄らしさ(落ち着き)の強調と遵守
これを現代の民間企業のことばに訳すと「企業ポリシー・コーポレートイメージや、ブランドイメージ・商品群コンセプトに沿った個別商品を開発する」ということになるのではないでしょうか?時代を超えて、あらゆるビジネスにおいて大切なことだと思います。

投稿: TX650 | 2007年8月 5日 (日曜日) 00時38分

>>ただし商品企画部門(中略)そちらの客観的意見
>ここは現実問題として多くの場合決して「客観的」ではないし、私自身としては「客観的」である必要もないと考えています。企画者の感性もまた極めて大事なのです。ただ、経営者を始め他部署に対してはいかにも客観的に装ったプレゼンをする。それでいいのだと思います。
------有る意味、いろんな開発を見ているとそれでいいという気がしています。しかし、商品企画出身だったり、その知識がある経営陣が段々増加している現在、そのような内側の「感性」による不確実性が、経営責任として後日失敗したときの責任を経営幹部に負わせる形になっている会社が圧倒的に多いです。従ってこのようなことを、今流行の「見える化」のシステムとして具体的な数値指標(・・といいながらこれ人事査定みたいな欺瞞の有る構成ですが)をあえて求める動向が有るのがかなりの会社の現状であります。展示会に行くとそのようなソリューションの提案が今とてもおおいのも事実です。
反対に某自動車メーカーではここを判定の対象とせず、PLの感性創造力構築訓練作業に費やし、上層部は明確な判断をしないことを経営方針としている事例もあります。どっちが「株主によって」『健全』なのか・・・この考えの是非もありますが、私も悩むところです。

>> ただ設計といわゆるデザイン(=工業意匠)との関係が、相反項目が増える傾向にある現代
>うーん、技術屋さんからみるとそうなんですか??私は、むしろ電子・情報技術で解決できるところが広がった分だけ、デザインを生かした設計がやりやすい時代になってきていると思っていますが。
-----電子基板・素子を乗せるということは、その場所が、ノイズ、熱などに隔離する必要があるという反対の側面があります。電車ならVVVFになっただけ制御用基板と駆動用インバータとその配線をシールド・隔離・離間距離確保という配置設計上の課題が増えました。(その分他の利得も多くありますけど)
だから、メカから、エレキ(ハード)に変わったとて、配置設計の問題内容が変わっただけ、つまり配置設計・干渉設計については、本質的に大きく変わらないと思っています。(もっともきついのが乗用車ですけど・・・)

>> 国鉄らしさ(落ち着き)の強調と遵守
>これを現代の民間企業のことばに訳すと「企業ポリシー・コーポレートイメージや、ブランドイメージ・商品群コンセプトに沿った個別商品を開発する」ということになるのではないでしょうか?時代を超えて、あらゆるビジネスにおいて大切なことだと思います。
--------これはそういう見方も出来ますね。(落ち着き)という表現に私が引っ張られている可能性は、否定できないと思いました。そこは付記したほうがいいかもしれません。ご指摘感謝します。

投稿: デハボ1000 | 2007年8月 5日 (日曜日) 01時49分

こんにちは。ロボット本を紹介いただきありがとうございます。諸般の状況を分析しますと、ねじ本のように2ヶ月で重版ということはないと思いますが、競合商品が多い中でどのような売れ方をするのかが見物です。

同じ出版社から鉄道の本が出たそうです。この執筆陣はある意味スゴイと思いますよ。
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31927020

投稿: KADOTA | 2007年8月 5日 (日曜日) 11時55分

> 今流行の「見える化」のシステムとして具体的な数値指標(中略)そのようなソリューションの提案が今とてもおおいのも事実
それがまさに、「経営者を始め他部署に対してはいかにも客観的に装ったプレゼンをする」ということだと考えます。そもそも消費者(生活者)個々人のライフスタイルを数値化することなどできないのですから。前々項の
> 第3法則  顧客調査でヒットは生まれません
> 第4法則  確実なビジネスは確実に失敗する
あたりもそういうことを示唆しているように思います。

> 配置設計の問題内容が変わっただけ、つまり配置設計・干渉設計については、本質的に大きく変わらない
なんかごく一部とても狭い分野の筐体物だけでものづくり全体を論じようとされているように思います。それに私は配置設計だけの話をしているつもりはないです。
でも配置設計という面で言っても、特に操作系(マンマシンインターフェイス)が機構との連動のしがらみを受けずに配置できる、さらに配置のみならず操作性や視覚の面からみてよりよいデザインを実現できるという点で、近年の電子化の恩恵は大きいと考えます。(例:エアバス機のサイドスティック操縦システム)

>(落ち着き)
それも立派な「企業ポリシー・コーポレートイメージや、ブランドイメージ・商品群コンセプト」ですよ。

投稿: TX650 | 2007年8月 5日 (日曜日) 13時28分

>http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31927020
○トコトンやさしい鉄道の本(B&Tブックス 今日からモノ知りシリーズ) 著者名 佐藤建吉/編著 日本技術史教育学会/著
出版社名 日刊工業新聞社 (ISBN:978-4-526-05907-0)
おや。技術史教育学会!ということは執筆者レベルが想像出来ますね。初学者の指導と言う意味では面白いかもしれないですね。

> 今流行の「見える化」のシステムとして具体的な数値指標(中略)そのようなソリューションの提案が今とてもおおいのも事実
それがまさに、「経営者を始め他部署に対してはいかにも客観的に装ったプレゼンをする」ということだと考えます。そもそも消費者(生活者)個々人のライフスタイルを数値化することなどできないのですから。
それを、ムリにでも数値指標化することにすることになっている。しかも「生データ」(?)を直接経営陣提示するインフラなのです。今は経営責任を押し付けるために経営陣にとっての指標を求めるというのが、設計工学的なトレンドになってるのです。前述したように当方は非常に欺瞞性をもちますと考えていますし、以前リ○ルート社のカリスマ編集者の話を聞いたときに「企画の裏づけを取れといって、やむを得ずデータを作ったことが2回だけある」といっった話をかきましたよね。ただその欺瞞性を分かってかわからずか、社外の経営責任誇示のためにむりやり数値評価するということを推し進めているソリューションが経営者にはうけがいいというのは、なんでも管理しなければならないというノリッジコントロールの負の面なのだと私も批判的です。
上記したとおり、そこをスルーできるような経営方針を打ち出す会社も有ることが救いだと思っています。多分株主総会でデザインの話をされても、『社風』で貫きとうすぐらいでありたいものですが、短期的な利潤回収に走る株主に対しては、説明責任を果たしていないということになってしまう場合も多い。そこに不毛な問題が横たわってると考えます。(最近某社でその問題がでた事例を聞いたばかりでした・・・)

>> 配置設計の問題内容が変わっただけ、つまり配置設計・干渉設計については、本質的に大きく変わらない
>なんかごく一部とても狭い分野の筐体物だけでものづくり全体を論じようとされているように思います。それに私は配置設計だけの話をしているつもりはないです。
例示だったので省略してます。品質保証まで含めてますけどね。
>でも配置設計という面で言っても、特に操作系(マンマシンインターフェイス)が機構との連動のしがらみを受けずに配置できる、さらに配置のみならず操作性や視覚の面からみてよりよいデザインを実現できるという点で、近年の電子化の恩恵は大きいと考えます。(例:エアバス機のサイドスティック操縦システム)
それは素直に認めます。けど見えない要素が増えて、整理して操縦者・運転者にアウトプットとして出されることはいい効果ですが、その分万が一の故障の時に、これらがブラックボックス化されていると言う事に対して補償しなければならないという問題は、潜在的にあるんでは。従って「いって来い」なのかなあと考えました。といってネガティブに考えることは慎むべきですが。
ともかく設計者(PL)を核としてでいいから、営業企画や意匠技術者などまで一緒のプラットホームで話することが必須になるべきですが、とかくオフラインで扱う。(かつての先行基礎研究がこの形でしたが、いまはそんなことないですよね)そして、一緒にするとなったら、同じ土俵にのせてはいけないはずなのに、数値的目標などというものを求めたがる現実を見ると、かなり悩みます。

>>(落ち着き)
>それも立派な「企業ポリシー・コーポレートイメージや、ブランドイメージ・商品群コンセプト」ですよ。
なんでしょうね。国鉄の工業意匠は、余り冒険をしなかったともいえます。けど、私なりに落ち着いて考えると、151系なんかはよく考えると、当時としてはアグレッシブなんですよね。201系も設計拘束(や外野ノイズ)の中でよく考えてると思っています。だから落ち着きと言う言葉でくくるのは、一寸ムリがあるし、言わなくてもいいかもと思うに至りました。

投稿: デハボ1000 | 2007年8月 5日 (日曜日) 17時21分

> 非常に欺瞞性をもちますと考えていますし
欺瞞とは人聞きの悪い。嘘も方便と言ってやってください(笑)。企画を通すためにツールとして利用すればいいわけです。
究極的には消費者さえ裏切らなければ、私はいいと思っています。

> けど見えない要素が増えて、整理して操縦者・運転者にアウトプットとして出されることはいい効果ですが、その分万が一の故障の時に、これらがブラックボックス化されていると言う事に対して補償しなければならないという問題は、潜在的にあるんでは。
これはある意味トレードオフですから、例えばエアバスのフライバイワイヤ化によって発生したリスクと低下したリスクとの比較で評価されるべき問題だと思います。デザインの自由度の話題とはだいぶそれてしまっていますが。

> 国鉄の工業意匠は、余り冒険をしなかったともいえます。(中略)だから落ち着きと言う言葉でくくるのは、一寸ムリがあるし、
デザイン上の冒険と「落ち着き」は必ずしも対立概念ではないと思います。これは星氏が携わった151系電車や82系気動車、20系客車なんかを見てもよくわかるのではないでしょうか?また最近では例えば小田急50000形「VSE」なんかも、斬新でありながら落ち着いたデザインだと思います。

投稿: TX650 | 2007年8月 5日 (日曜日) 21時30分

>欺瞞とは人聞きの悪い。嘘も方便と言ってやってください(笑)。企画を通すためにツールとして利用すればいいわけです。
究極的には消費者さえ裏切らなければ、私はいいと思っています。
これは語彙選択が良くなかったみたいですな。私も終は同じ意見なのですが、産業機械の会社で一寸物言う株主対策で困ってるのがありまして・・・そのために技術投資を否定されているそうで。(以下秘匿)

>これはある意味トレードオフですから、(中略)評価されるべき問題だと思います。
設計と工業意匠や商品企画が同じステージに乗るべきなのに、どうも、各々のバランスが見えないならまだしも、見ようとしない人が普通なのが、きついです。今後の「設計工学」の課題にするべきだし、心ある実務者や研究者は分かってるのですが・・・。
次世代ロボットの開発でも同じ問題がでているみたいです。

>デザイン上の冒険と「落ち着き」は必ずしも対立概念ではないと思います。
それは、貴見の通りですね。どうも対立概念が強いイメージで語ったです。拝承。

投稿: デハボ1000 | 2007年8月 6日 (月曜日) 09時13分

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