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理数力は論理的思考の基礎

私は、あまりまじめな親ではないので、小学校・中学校の授業参観には土曜日の時以外いったことがないのです。運動会でさえも、急な出張のためいけなかったことがあります。そういう親が言う言葉ではないのですが、やっぱり授業参観には行くべきですね。ただ、考えてみると、今まで行った授業参観は国語・社会・美術・技術家庭しかめぐり合っていないんです。
一方、世の中では理数系が世界を左右していた時代ではなくなっているように見えます。しかしそれはうわべのこと。考え方のベクトルはむしろ理数系に近くなっているようです。
------引用(   こちら
電車の中で見かけた某進学塾の広告です。「理数の落日。」と、ちょっとドッキリするコピーが大きく書かれています。横には以下のメッセージが。
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かつては日本の子どもたちが得意としていた理科・数学。でも小中学生の得点は国際比較で下がるばかり。理数力は論理的思考の基礎。しっかり身につけたいもの。
--------終了--
ううん、そうなんですよね。このような論理的思考は全てに関してなんらかに関わるんですよね。経済学なんかはそうだし、大学入試でも一見かんけいないように見える学科でも選択として数学を入れるのは、計算力や知識でなく、考え方の道筋を立てることが出来るかを見極めるのが目的だと思っています。大学の数学クラスになってしまうと聊か技法を覚える世界になってしまいますから、そこまでは必要ないでしょうし。
CAD/CAMでもかかわりのある一つです。慣れてしまえればなんて熟練されている各位はこともなげにおっしゃいますが、その実分析してみると、図を読む工程、図を描く工程、3Dモデリングすることや検証する工程、加工用パスを作る工程、暗黙知にもしなっていても、よーく見ると論理的思考の蓄積を常に入れ替える作業がまっている。
まあ、かくも純粋な意味で社会生活を行っていく上で、論理的な認識を持ってもらうことはますます必要になってくるでしょうが、その前段階でそっぽを向かれても困りますよね。
そこで今般文部科学省は、「第3期科学技術基本計画」に基づき、次代を担う科学技術人材養成の一環として、本年度から小学5、6年の理科授業を対象に「理科支援員等配置事業」を実施することにしたのだそうです。この事業は、(独)科学技術振興機構(JST)が、都道府県及び政令指定都市の教育委員会に事業委託して実施するものです。
民間の有識者や企業OBを募って行うそうです。面白いことで、(余り報酬はでないとか聞いていますが)報酬はこの場合関係ありませんね。次の世代を拓する子供達に対し動機付けが出来るというやりがいはあります。(手助けの人材や実験材料は無償ででるようです)ただね、本当は小学生の場合あちこちのある「科学センター」とか(たとえばこちらとかこちらとかこちらとか)あるんですけどね。なかなかこういうところを活用するのも難しい地域も有るというのは想像は付きます。
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個人的に考えると、本当は小学校5・6年よりも中学校1・2年にこのような機会を作るほうが効果が高いかなとは思っているんですが、識者の意見はどうなんでしょうか。私自身は中学に入ってからの科学実験のほうが、自分のその後の人生経験に少しでも役立っている気がするんですが。鉄は熱いうちに打てということですよね。

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コメント

こんばんは。トラックバックありがとうございます。

>民間の有識者や企業OBを募って行うそうです。面白いことで、(余り報酬はでないとか聞いていますが)報酬はこの場合関係ありませんね。次の世代を拓する子供達に対し動機付けが出来るというやりがいはあります。

確かに面白い試みです。
ただし論理的思考を養うには、そのための言語と基礎体力(算数の場合は公式と計算能力)を身に着けておくことが必要条件で、これらはある程度ムリヤリ体で覚えさせることが必要ではないかと考えます。
昔は今と違って学校から宿題がたくさん出ました。私は算数ドリルの宿題がいやでいやで仕方ありませんでした。しかし今から思い返すと、そのときに得られた言語と基礎体力が、現在の自分の思考(いつも論理的とは限りませんが)に役立っていると思います。

投稿: kunihiko_ouchi | 2007年7月11日 (水曜日) 22時46分

>ただし論理的思考を養うには、そのための言語と基礎体力(算数の場合は公式と計算能力)を身に着けておくことが必要条件で、これらはある程度ムリヤリ体で覚えさせることが必要ではないかと考えます。

そうかあ。100ます掛け算とか色々な普及方法が出てますね。そこの展開に関しては不十分という感覚がぬぐえません。だから小学生なのかな。また塾でやらないことに特化した「実験など」になるのかあ。
そういえば、夏休みの宿題が意外と少ないなあと思っていたら「塾に行くから要らない。という家庭からの『苦情』があまりにも多くて」とぼやいている先生がいましたからね。やれやれ、なんなのかなあですな。

投稿: デハボ1000 | 2007年7月11日 (水曜日) 23時07分

日本の学校教育(≒受験教育)における算数・数学や理科が、大部分の子供たちにとって論理的思考ではなく公式や解法をひたすら覚える「暗記物」になってしまっているところに問題の根本があると思います。私自身も中学から大学に至る数学や物理は「ひたすら暗記の苦行」以外の何者でもありませんでした。
その意味で「教える」ことが専門の教員ではなく「考える」ことが専門の技術者や科学者が子供たちの前に立つこの事業は、大きな可能性を持っていると思います。
ところで先日仕事をしていて「三角関数」(どれがsinでどれがcosだったか…)と「三平方の定理」があやふやになってしまいWikiで調べてしまいました(汗)。「工学士」「技術者」はやはり返上したほうがいいみたいです。

投稿: TX650 | 2007年7月12日 (木曜日) 09時20分

>公式や解法をひたすら覚える「暗記物」になってしまっているところ

そうなる場合はそうなってしまうみたいですね。私は、数学・物理はこの面では恵まれていたといえるかもしれません。(逆に英語は苦労しました。予備校に通うようになってからのほうが面白かった。)但しもし、考えることが専門という人がメインでも苦しいんですよね。シャイなオタクでも困るわけで、そのあたりの組み立ては成否を占うのかと思います。

投稿: デハボ1000 | 2007年7月12日 (木曜日) 10時43分

算数と数学の違いでしょうか。

算数は生活の役に立つもので、例えば「料理本の6人分の材料分量から4人分の材料分量を求める」のような、非常に生活に密着した分野が算数である。
他方、数学はある程度算数を基礎として持ちながらも、九九の掛け算が出来なければ解けない問題でもない。三角関数の加法定理には九九は不要ですし。

もしかして私達が普段考えているより、算数と数学は違うのかも知れない…と思ってしまいました。その違いを無視して数学に算数メソッドを取り入れてしまった結果が「数学は暗記物」となってしまっているのかなぁと。

戯言、失礼しました。

投稿: 通りすがり | 2007年7月12日 (木曜日) 19時55分

>もしかして私達が普段考えているより、算数と数学は違うのかも知れない
なるほど、この意見も説得力ありますね。算数といわず算術と言い換えられることを思うと「術」と「学」は非なるものともいえますね。
偶然の話、今日夕方、当方はある大学の先生達と懇談していたのですが、席上、論理的に構成されるのが数学であり、そこまでいかない(九九を覚えるような知識レベル)のが算数、しかし結果のみをON/OFFチックに求めようとする。マークシート式試験見たいなのが普及したのが、結果的に数学を暗記物まがいにしてしまったのではないか。(いわんや物理をや)・・・とかいう話がでてましたね。
>戯言、失礼しました。
いや、とんでもないです。

投稿: デハボ1000 | 2007年7月13日 (金曜日) 00時31分

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