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大きなことを言っちゃった(恥)

最近鉄道関係の話をしていませんでしたが、SUBALさんのBLOGでこの本が紹介されていました。また筆者の平川さんもこのBLOGで意見をされており、非常に高いレベルの論議をされています。
鉄道趣味という意味ではそれはそれで興味深いのですが、ここでは、あえて趣味的な論議を排し、完全に技術者として最適化をつくしたかという検証作業の難しさを、私自体再認識したということで、襟を正しここに紹介させていただきます。
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ドイツ高速鉄道脱線事故の真相―技術者の責任論から (単行本) 平川 賢爾 (著)
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1998/6/3 ドイツ国鉄ICE-Iが200㎞/h走行中、脱線転覆し、たまたまそこにあった跨線橋衝突、更に橋脚落下を起こし、多数の死傷者を出した事故が、この事故である。この本の姿勢は、State of the artというものを、技術者・経営者が最善を尽くしていたのかという過失責任とは又違ったものが、議論にされています。State of the artは「技術水準」と訳されていますが、医療関係では、「安全の説明責任」という表現でこれを示している事例もあるので、純粋に日本語ではまだない概念と考えるのは筆者と意見を同じくすることです。
あと技術者という意味はこの場合、設計者という狭い意義で取るべきでなく、検査技術者・製造技術者・メンテナンス技術者も含めた広い意味での技術を司る人間全てに対する分担であります。その意味で日本では「技術水準」といういみと「それを実際に使う人々に対する説明責任」という2つの意味が入っているということを考える必要があることを承知ください。

で、この議論で純粋に技術的に訴因としてでたのは、同書によると、(P8)
(1)ゴム弾性車輪を用いるに当って、事故当時のState of the artに従って、充分な強度解析を行わなかった。
(2)車輪タイヤとゴムの接触によってタイヤの疲労強度を低下するのを無視していた。
(3)車輪タイヤ内面の定期的な点検と保守を行わなかった。
これらの件がドイツ刑法による刑罰に値する過失を構成するか。
ということで3人の責任ある技術者が検察がわからの起訴を受けた。そして議論はこの弾性車輪のICEへの使用が当該時の技術水準に対して適正な水準か、及び、事故防止用の保守点検が行われていたか、ということになる。
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ここで話が脱線することになるが、我々はついぞ、大事故が起こると、すぐ専門家という人がTVに出て所見を求めることを要求することを求めがちになる。ところがこの中には、感情論(当然死傷者がでたなら、入る話ではある)と、技術論・経営論の最低3つを混在して報道されることがある。勿論いずれも大切な話である。しかしこれを切り分けしないで話をする事例のおおいことは、非常に自戒の念を持ってかんがえなければならない。報道側は「事実」を伝えることを任務としているはずだが、そこに感情論が混ざると非常にバランスが欠けたものになる。これは日本だけかと思っていたが、ドイツでもその傾向があるというところはある意味理解できた。(ではこの論評した技術者のほうに責任があるかというと、自信がないとか、明確な事象が開示されない限り断るというのが一般的ではあろうが、それによって世間的に評価を下げてしまうような、人材の選定をむりやりしてしまう現状を考えると、その人物の生計の問題まで考えるとさてどうしたものかである。)
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中身に対しては、私如きが論ずることなどあまりにもおこがましく、迂闊な発言は許されないほど緻密なものである。ドイツでは日本のような事故調査委員会の方式に加え、法廷での議論によって判断が行われるというシステムであり、そのためには技術の専門家(特に利害関係のない外国の専門家を多数招聘して、中立な立場で議論をさせる)を用いた上で議論を出すというシステム)というのは、日本の議論が非公開で行われるタイプであることを考えると、違う方向である。
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さて、技術者倫理の考え方で、このように恣意的にでなく事故が生じたときの議論として下記の論議がある。本当にいいかというとまだ、私自体練ったものではない。但しこの見方は非常に有用なので、書いておきたい。

 倫理問題の解決方法の一案として、「セブン・ステップ・ガイド」がある。
 ステップ1:問題を述べなさい。
 ステップ2:事実関係を調べなさい
 ステップ3:関連事項を確定しなさい。(誰が、どんな法律が、どんな制約が関わるか 等)
 ステップ4:思いつく限りの対策案を出してみなさい。
 ステップ5:それらの案について、以下のことを考えてみなさい。
  a)その案は、他の案より害が少ないか?
  b)その案は、新聞等で公にできるものか?
  c)その案は、議会の調査委員会などの前で擁護できるものか?
  d)その案は、自分が他の人からされることを望むものか?
  e)その案は、同僚が聞いたとしたら、何と言うか?
  f)その案は、自分が所属する専門団体の倫理委員会が知ったら何と言うか?
  g)その案は、自分が所属する企業の倫理委員会が知ったら何と言うか?
 ステップ6:ステップ1~5に基づいて選択しなさい。
 ステップ7:ステップ1~6を再検討しなさい。今回のような事態を避けるための予防策がないか考えなさい。
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この雛形を考えると、この裁判はステップ2・3である。ステップ2の段階について、その人の視点によって重み付けが変ることから、設計者の「技能」依存が大きいとはいえる。まさにこれがいわゆる複合要因であるために、専門家多数の意見の差異が生じることになるわけである。

内容としては、実動し耐久試験を実地と同じ条件で行うことは、このようなものでは必要であるが、模擬試験を行うことは規模上、ある程度不可能であることを容認しなければならないであろう。この場合は従来の採用事例(低速用の電車が多い)を用いず改めて試験をしていることは(まあ当然だが)評価が出来る。但し、そのときの安全係数などは現在用いられている疲労強度の指標を用いるしかない。これを指標とする以上、従来技術の踏襲は避けられないが、ここまで来ると、すでに起訴物性検討や、部材のピンホールなどを考えるしかないとなると、設計者という話ではなく、基礎技術の再検討となり、すでに最適設計の仮定能力を凌駕している。

あと、案外に差異が見られているのは、有限要素法の適用である。私も気になってることであるが、計算時に境界条件をどう設定するかによって計算結果が無意味であるものになるのはよく知られている。従って要素実験をして、拘束条件をどうするかという推定を行うことは、経験上必要であると考える。場合によっては完全拘束にするか不完全拘束の中間のどのぐらいにするかを検討するものである。しかし、その検討がまだ不十分である結果のため専門家の中でもその条件はばらばらで、本当に模擬しているとは言いがたい。
このようなCAEに対する誤解は、まだあちこちにあり、計算すればいいと思っている技術者がいる事実は残念ながら事実である。(有るものの政府認証指針にも、FEM結果が有ることが望ましいという、まやかしたような文章が載っており唖然としたことがある。)従って実証試験との突合せが必要であることを考えていくには、他所の部署の実験部隊の実験評価にも進んで入る、コンカレントエンジニアリング性が必要とされる。ところが、個々の職務権限がかっちり分割されている業界や文化の下では、そのような「横串を挿す」ようなステータスは生じにくい。本書P91のように各々の専門家の議論がばらばらになっているのはそこだろうと思う。しかも筆者はそれでも仮定項目があることを指摘している。(勿論計算技術上、いくらかの条件のトレードオフを行っただろう)それぐらい慎重にならなければならないのに、一般の人はCAEを万能なものとして信じ込む傾向がある。特に実証実験と基礎資料による仮定が控えていることが見えない。まだ金属は基礎文献もあるだけましなほう。ゴムなどについては本当に実証実験の結果と、論理的な仮定を見なければまだ分からないことなんだということは、大きく宣言してもいいと思う。P90にあるA教授の発言は誠に持ってそうである。
なお、ABAQUASを用いた弾性体の計算事例があるが、当時のコンピューターの技術では、繰り返して計算して実験に最適な条件に合わせることは、実用的でない。個人的な経験だと1995年ごろにUNIXで1つの条件計算を行うのに48時間以上掛かった記憶があり、しかもゴムということになるとすでに計算が収束しなかった記憶もある。そういうとたしかに筆者のいう(P66)当時の技術水準では困難というのは実感として当方にもある。
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他にもフレッチングの検討など、かなり細かい検討がされている。その意味では漏れがないとは思う。ここで当方(管理者)としては、この議論自体が議論と実践(たとえば超音波探傷試験が出来るかどうかを実践して技能的な有無を示すなど・・・・これもやはり他人の職分に干渉しない欧米の雰囲気に対して論破できる日本人の技術者だからもしれない。)から進まれているところは模範とすべき事と考える。
但し、これは一人の優秀な筆者の基本的な見解を基にした議論である。多分、他の技術者がこの本を書いたなら違うことを訴求するかもしれない。確かにその言及はあるが、本当はその本を並べ比較することをしながら考えることが、実験をしていない読者として、最低限の礼儀である(それは筆者に対しても、法廷に対しても)と考える。従ってそれ以上の技術についての考え方は、技術計算に対する事例演習として考えていかなければならないと考える。
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さて、興味があるのは、この本のあちこちにある、弁護人や検察側から出している実験結果や検討結果をその可否を、きわめて高次の視点から見て取り込むものは取り込み、否定するものは否定するという姿勢を貫いているということであるが、中に挿話として入ってくる、「駆け引き」については、弁護側もよくみてるなあという驚きを禁じえない。私の同業者にも自動車事故鑑定業務を専門に活躍されている人がいるが、自分の性格に照らし合わせてあのような、論破するスキルがあるのかということに関しては、まだまだ勉強不足だなあと思うことを非常に考えるし、もしかしたら、そちらには自分のような性格では不向きかなと考え込んでしまった。このような駆け引きということについては、本当に技術者の職分かなあというと、それを技術者にあまねく習熟させるのは、やや難しいかとは思う
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傲慢を省みず申し上げると、基礎から応用まで、全ての問題点を「自分の目で見て、やってみて、考えてみて、それを論理の破綻なく(但し分からないことは分からないと明確な宣言をして)公刊するという活動は、やはり企業出身の研究者(平川氏は住友金属工業の研究所員や工場部門を歴任・・・おや・職歴のところ(p3)に誤植がある・・・)だなという意味で非常に同感するべきである。
ただ、個々の内容は大学院生などの演習用として非常に面白い示唆を与えるしそれを多面的に組み付ける能力は必要だが、それ以前にそれを一般技術者が受け入れる余裕(実は必須なのだが、体力的にもう余裕がない状況に陥っている技術者・技術管理職があまりにも多すぎる)がない現実。私はこの本を輪読していく余裕がある問題を認識している技術者が少なく、意識改革をすることも難しいという、機械工学を製品展開する現場をどうやって改革していくかという問題点にぶち当たる。
というのは、今はむしろ設計知識を定型化するほうに議論が行っている。(いわゆるナレッジマネージメント)それが、現場実績と乖離していることが、どの現場にいってもあまりにも多いと見える。そして機械に限らず工学の研究者の世間的価値が低下せざる得ないという世界情勢が「現場と離れた設計技術の定型化」となっていることがある。まあ設計者がものを開発する場合も「以前に採用した実績の有る機構なのでそれを無条件に採用し、実機試験を行った」ということを、その問題意識を全然持たずに高らかに言う設計者のおおいことか。(すこしでも考えてるならましである
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また話が外れたが、この本は基礎研究者には、「あえて本当か確認しながら」よんでいただきたいと思う。但し、本の帯の表現には「学生必携の書」とあるが、半分かりをされると工学というものの重さから、素質の有る技術者が他業種に行っちまう怖さもある。むしろ、やるべき指標が定まった「大学院生」とか、「中堅技術者」のオフ・ジョブ・トレーニングの本としては、類書がないと思う
私たち技術士には、設計工学の面から見て、技術者の倫理概念としての、ブラックボックス的な技術指針の怖さと、その解決への実践記録として熟読に値する本だと考える。

まあ、本当に業界の一隅にいる機械技術者のたわごととしてではあるが、この文書を平川先生にささげたいと思う。
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コメント

デハボ1000 さん
おはようございます。
4200円の値段、決して高すぎる本ではなかったでしょう(笑)。
State of the artは「医療関係では、『安全の説明責任』」といわれるのですか。「技術水準」という言葉が持つ常識的なニュアンスとも違うし、過失責任ともずれるような気がしていました。現状はState of the artとしておくほうが良いのかもしれませんね。
私のつれあい殿は助産婦(最近は助産師と言うらしいけれど、つれあい殿は助産は女性の仕事とすべきと言っています)です。彼女が若いころ(相当以前ですが)田舎の病院に研修にいったとき、お産のときに胎児の心臓と子宮の収縮をモニターする装置があるのだけれど、医者が波形を読めない(危険を見逃しかけた)と言う事態に遭遇して、唖然としたと言う話を聞きました。
この本を読むと、State of the artが「優秀な筆者の見解」として述べられている、その切り口の鋭さに驚くわけです。
でもことの性質から言って、世界に数人しかいない特別な方によってしかState of the artが明らかに出来ないものであるうちは、だめだと思うのです。
ある程度の教育を受けた人にとっては、「常識」となるようなシステムが必要だと思うのです。

投稿: SUBAL | 2007年6月 9日 (土曜日) 09時33分

SUBALさん。ご指導ありがとうございます。
実は私の妻は薬剤師でして、有る門前薬局で働いていますが、彼女の指摘は「結構医師の出す処方箋には、二重投薬が多い」という事です。(成分がだぶること。まあ味の素が沢山入っているラーメンだしの素を使ったラーメンに、さらに味の素をいれるようなものでしょうかね)
医師に対して薬剤師がその危険性を指摘する「倫理的責務」があるし、医師にも投薬理由を説明する「説明責任」があるはずですが、町医者ではうかつにやると薬剤師のほうが弱い立場ということで、見ないふりをするようです。ところが性格も有るんでしょうがやってしまうんですよね。同じ問題があるような気がします。

投稿: デハボ1000 | 2007年6月 9日 (土曜日) 15時00分

デハボ1000 さん こんばんは
薬の飲み合わせや副作用情報も実に複雑そうですが、現在はデータベースのシステムが出来上がっていると聞きます。それに記載されていることを遵守してなければState of the artに基づいていない、と言うようにわかりやすいのだと思います。
医者の医療行為となると、このあたり微妙になります。State of the artの観点から問いたい事例もあるのですが、ここでは止めておきます。
私の主治医(町医者)は、実に説明がうまい。10年ぐらい前に「ユリノーム」の副作用について質問をしたら、副作用が発生する確率と時期、飲む危険と飲まない危険をさっと説明した後、こういいました。
「僕も飲んでいるから・・・」
以後、その質問はしていません。私のカルテの左上にに赤い印鑑で「院長」と書いてあり、院長不在のとき以外は必ず院長が診ていた訳も納得いきました。

投稿: SUBAL | 2007年6月 9日 (土曜日) 21時08分

薬剤師の業務は、患者に対する投薬のファイナルゲートだという言い方をします。
この意見や、見方はかなり紛糾している事例なので、専門家でない私は意見できないですが、先端医療の現場でこの考え方を「模索」しているのは現状だそうです。

投稿: デハボ1000 | 2007年6月10日 (日曜日) 00時02分

SUBALさん、デハボ1000さん
うちのヨメは看護師です。これであと保健師さんが揃えば(以下略)
それはともかく、薬剤師がファイナルゲートなら助産師・看護師はある意味ファーストゲートというところがあるかもしれません。その内の「誰が説明責任をとるのか」ではなく「誰もがそれぞれの説明責任をとる」ことこそ真のState of the artのような気が致します。

投稿: TX650 | 2007年6月10日 (日曜日) 01時01分

私のかかりつけのお医者さんと「医療倫理」のことで話をしたことがあります。偶然、有る意味先端医療の「権威」の方だったという稀有な巡り会わせなのですが、説明責任という意味では色々な先端医療機関が独自のトライをしているものの、なかなか・・・という現状を教わりました。概念の理解が医師の中でも差異が出てくる上に、研究と臨床でも捕らえ方がまちまちなのだそうです。(このお医者さん、研究管理職が本業ですが、臨床の必要性を強く感じて実践しておられる医師です)
下記の本なんかは面白いけど、「僕には書く能力がないなあ」とかおっしゃっていましたが。書名だけでもご参考まで。
「慈恵医大青戸病院事件・・医療の構造と実践的倫理 小松秀樹 著 日本経済評論社刊」

投稿: デハボ1000 | 2007年6月10日 (日曜日) 12時48分

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