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与えることと教わること

とかくプロというと胡散臭い印象をもたれる場合がある。とかくと、ちょっとまてそんなに定義を縛っていいのかというのか言われそうである。
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以前、なんかのスピーチを頼まれて、まだ若かった私はこのような話をしたことがある。わかいひとに対してはこういうことをいまでも言うことがある。酒の時には絶対言わない視線をもって。
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キミ達はプロフェッショナルである。プロである。なぜなら仕事をして、図面を書いて、商談をして、物を作って、そして対価を得て給与所得を得てるんだからね
けどね、まだ完全な仕事をいつも出来ているとは限らない。先輩にも指摘されることもあるんじゃないかな。
そうなるとその仕事は「プロ」の仕事ではないとみなされたわけだよねプロからマルを引くと何が残るかというと、「フロ」となってしまう。(笑)従って、これは気分がその仕事に入りきっていないでのーんびりという感じに浸ってるということになってしまうんだ。
じゃあ「プロ」になるのはどうしたらいいか。手っ取り早くするには先輩の仕事を観察し、時には仕事を手伝ったりしたりして学ばしてもらう。話を聞いたり、したりするのもいいことだよね。
その次に、仕事の中身を自分でよーく反芻・・・わかるかな。みなおしてみること。場合によってはこんなやり方もあると先輩に提言して、意見を貰えるような会話ができたら(正邪に関わらず)ぼちぼちマルをもらえて晴れて「プロ」になる。これが真のプロフェッショナルになる一歩になるんだとボクは考える。どうだ。やってみるかい。」
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とかいってると、この前も出てきた工業デザイナー奥山清行氏は、NHKの番組(20065/7/6 プロフェッショナル 仕事の流儀)でこういう話をされているそうだ。
問:プロフェッッショナルとは・・・
答:「大変な質問で。プロっていうのは、僕は今日のためでじゃなくて、本当に明日のために仕事が出来る人。自分のためではなくて、人のために仕事が出来る人。だから明日のために仕事が出来る人だと思うんです」

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さて、今日のためというのと明日のために仕事をする。人によって差が有ることだが、注意しなければならないのは、人と話をして教わること、そしてその中から相手の考えてなかったことを導き出すこと。これ案外大変なのであるが、必要である話と考えている。それが相手に、感動した行為として伝わってその人が「えーそこが勘所だったんだ」と気が付いてくれること。お互いにとても必要なことなのです。
そのためには、言える範囲だが、こんなことを言うこともあるのです。(専門用語は適当にスルーしてね)
<例>
客:「旋盤で突っ切りバイトでモノを切るというのだって、ノウハウ一杯ですよ。けどそれを本当に担当者の伝承のみでやると、なかなかうまいこといかないんです」
デ:「そうでしょうね。大体突っ切りバイトの形状は自励振動が起こりやすく難しいんです。根元でおれるということを経験するでしょう。普通の旋盤なら先が欠けるという現象がおおいですよね」
客:「そうですね。そこは経験で知っていくでしょうね。」
デ:「一寸待ってください、。そのためのバイトの入れ方は2mm追い込んだら0.5mm引くというような出し入れをしてるんですよね。但しそのインデックスの力の入れ方・抜き方・速度は削る材料によって異なってきますよね。」
客:「そうか、それを早急にしなければなりませんか」
デ:「そこを、明確に伝承してますか?」
客:「うーん。」
デ:「更にですよ、それを最近流行の5軸マシニングセンターに入れるとどうなるか・・・となるとこんどはその手作業を自動化しなければならないですよね」
客:「そうですね。」
デ:「となると、今までのノウハウをどうやってプログラムに入れるか、工具をどうするかという工程を考えることを頭の中で構築するしかないのです。やっぱりそうなると、今までの作業者をこのような作り方を考える転換教育をしなければならないです。機械を入れて、人が減って原価低減がすぐできる。その考え方では試行錯誤が多すぎるし、品質だって安定しない。顧客は待ってくれません。」
客:「それ時間掛かるでしょうか。」
デ:「時間の問題ではありません。熱意の有る人への動機付けを行うこと。それが管理する人に課せられた任務です。私は信念と努力で作りこむ。闇雲な使命感だけでやっても壁にぶつかって鼻の頭を赤くするのが関の山でっせ。」
客:「ピンときませんね」
デ:「うーん、こまりましたね・・・・たとえば、経営幹部は現場を歩く時にお連れを一杯連れた会社ってあるでしょ。私もそういう姿を見たこともあります。」
客:「ええ、私も見たことがあります。○○製作所でとかね。」
デ:「その姿で、現場の問題点や隠れたノウハウ/隠れた技術があるかが、経営者に見えると思いますか?」
客:「見えないですね・・・・それですか
(以下自粛)
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こうなる場合時に秘匿ぎりぎりの他社の先進事例をいわないと分かってくれない場合も多い。逆にそれを言うことによって「だからあの会社はあんなことを僕たちに求めるのか」という話もあり、「そうですか、よく言ってくれました。その理由を考えて見ましょう。そこに近づいたら、そこをどうやって相手さんの購買部門が要求するのかを考えて、『そこまで受けましょうか』といえば、儲けものですし、『あそこ、そんなことまでやろうとするんだ』という積極的な姿勢が喜ばれるかもしれません。逆に「そんなことをいうなら、余計なお世話です」などという客先なら、その相手に対して少し距離を置くとかしたほうがいいかもしれません。要するに技術屋さんは技術屋さんの売りを、自力で見出し獲得すること。弱みをすこしでも弱め、強みを更に強く見せる。このような会話をしていくことが技術を営業にする強みであろう。
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何事でもそうだが、与えることによって相手が気が付いてくれる。そしてなにか気が付いてくれれば私が聞く。聞けばこの問題の相互認識が少しずつわかってくる。問題点や今後するべきことを顕在化していく。そのためには「与えること」をしないと「教われない」。教わるためには「与えることが必要」であります。与えるためには、いろんな先生や、業者さんの技術者から「教わることが必要」です。
人にものを教える仕事をするためには自己研鑽も含め、他人に聞いて聞いて聞きまくる。聞きまくったことを(自分のものにするための裏付けを取りながら)話して、批評を賜り(聞き)、また練り直していく。それが仕事をしていくあいだは、ずっと続くと思います
そのためには教わる相手を選ぶことは避けるべきです。旋盤の突っ切り作業のノウハウも、かつて私は熟練の旋盤工さんから話を聞いて見せてもらったことです。極端な話、「やくざ」のひとと飲み屋で一緒になり、意気投合して任侠の世界を聞き、その中で一体どういうところに本質があるかを質問して私なりに模索したことがあります。(あとで店の主人に、あんた怖いもの知らずだねとあきれられました。ハイ。アグレッシブに生きることは、人を導くためには避けられないでしょう。たとえ宗教でも、なんでも、本質は必ずある。あえて躊躇せず頭を突っ込んでいくところに、真実が漠然と見えてくるものではないでしょうかそのためのTOOLとしてぎりぎりのところまで「与える」、ぎりぎりのところを「教わる」。
私はそのために生きている。それが信念でもあります。使命感でもあるのです。
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けどそのさじ加減ってのが難しい。言いすぎもあれば言葉足らずもある。まだそこに自分の未熟さも見出すことも多いです。多分この悩みは一生続くでしょう。学習しながらも・・・
けど私はこれを語ります。

使命感」を持って仕事を行う。これが全ての技術者の喜びです。
そして問題点が「解決」できるようにお客様が納得していただく事が嬉しいのです。

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コメント

こんばんは。
与えるものが少ない代わりにとでも言うように教わりたいことはたくさんあります。ということで,リンクを貼らせていただきたくよろしくお願いいたします。(事後にて失礼します。)

投稿: niwatadumi | 2007年5月27日 (日曜日) 19時21分

このところ立て続けに町工場ではたらいている方々の前で講演などさせていただいておりますが、すべて工場に入ってから自力で学んだという話をよく聞きます。それで、自信をもっているのかと思っていたら、仕事は無事こなしていても、学問的な裏付けに関する自信があまりないようでして、「今日は、工業高校の先生のお話を聞けると言うことで早起きをしてしまいました。」などと言われると、やはり専門的な知識や技能を若い内に身につけておくことは大事なことだとつくづく実感しました。しかし、切削加工を数値制御になることと、圧造加工を数値制御することはだいぶ違うなと実感しました。やろうという方もいないのかもしれませんが。

投稿: KADOTA | 2007年5月27日 (日曜日) 20時19分

> 管理人様

以前、将棋の升田幸三名人が、仏教者に対してプロになれとハッパをかけていました。そこでは、創造を行う者こそ、プロであり、ただ以前の物を真似ているだけではダメだというのです。同じように同じようなことをしているのか、それともそこで創造が行われていくのか、ここに違いがあるのでしょう。

投稿: tenjin95 | 2007年5月29日 (火曜日) 10時30分

>創造を行う者こそ、プロであり、ただ以前の物を真似ているだけでは

宗教にもいろいろありますが、いたずらな回帰主義は思考を止めるだけである見方を私は思い出しました。
ただ別項でいずれは論じたいと思いますが、類似設計ないしはテンプレート設計という考え方で、設計者という立場が段々類似ツールを転用する世界になっているという兆候が主流になっているという現実があります。これはいずれは設計業務と創造者を引き離していく兆候が・・・これはまた別途述べたいと思います。

>しかし、切削加工を数値制御になることと、圧造加工を数値制御することはだいぶ違うなと実感しました。
この間にプレス加工というものの数値制御をすること自体にかなり隘路があるのを経験しています。さらに転造の前に鍛造というものがありあすがこれにいたってもまだ(冷間に関しては)まだ模索段階であります。ステップを踏んでいくと段々進んでいくと思いますが・・・

>リンクを貼らせていただきたく
ありがとうございます。但し当方からのリンクを諸般の事情により行えない経緯がありますので、その節よろしくお願いいたします。

投稿: デハボ1000 | 2007年5月29日 (火曜日) 23時40分

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» 仏教者もプロになれ [つらつら日暮らし]
将棋の升田幸三名人が、プロという生き方を、仏教者も行うべきだとハッパをかけたことがありましたので、紹介していきます。 [続きを読む]

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