« お互いに語れる土台を | トップページ | 与えることと教わること »

町が変る・「美しい」町に

私の事務所は古くからの街中にあって、銀行とか集配局とかが並んでるところに所在する。前には嘉永○年創業の老舗とか、国会議員の事務所とかある典型的な街道町である。
そしてこの事務所から駅前のほうに向かうところは、闇市以来の古い路地の入り組んだ地域がある。すすけた焼き鳥屋、旧第○○国立銀行の由来を持つ銀行支店(建物はさすがに新しい)、昔ながらの八百屋などに、ちょっとしたお菓子や(スイーツや)の店とか、汁粉屋、コーヒーショップ、自家製ハムの工場兼販売店、魚屋・・・・まあ地元に密着した商店街。
--------------------------
ところが、この町ではバスターミナルからの乗客が鉄道に乗り換えるための距離が長すぎ(公的には最低5分の徒歩連絡と書いてある)それらがこの商店街に多大な利益を落としてきたことには間違いはないのだが、火事とかの問題を考えないとやはりまずかろうという懸念が以前からあった。またいろいろなしょうがいのある方にとっては優しくない町だね・・・ということで古い店舗は取り壊されてバスターミナルや車寄せ、タクシー乗り場(このタクシーの列が長年交通阻害の要因にもなっていた)などを整理することになった。まあこの都市計画がなんと40年かかって実施ということになったわけで、それだけ問題になっていた証なのだろう。(空襲で丸焼けした跡地がもと闇市ということを考えると、地権の整理などやたら厄介な問題があり、時間が掛かるのは想定できるのですがね。)
私の事務所は全く関係がない場所で、せいぜい昼飯用の牛丼屋が遠くなるという問題があるぐらい・・・といいたいのだが、これを機に店をたたむところも多いのが現実である。もちろんかなりの店舗は仮店舗ビルに入居するのであるため、営業がすぐさま・・・というわけではないのだが、中には「本青果店は3年後に営業を再開します」とか「本割烹料理店は月末に包丁を置かせていただきます」と墨色鮮やかに書いてあるところもあって、これをみると事業継承という問題点が結構大きいことが分かる。
で店の人にそれなりに聞いてみると、再開発事務所からこういう選択肢をしめされたのだそうである。
1:これを機に店を撤退する。(一時補償金が入る)
2:3年後に正規の駅ビルに入ることを条件に店を一時的にたたむ(その間補償金がでる。但し従業員は解雇するがその補償は行う)
3:仮店舗ビルに移る(仮店舗ビルはタダで入居、その代わり正規の駅ビルには有料で入居)
4:関係ないところに引越し

関係ないところに・・・という場合も割とあり、波及して隣組にお医者さんとか学習塾とかが引っ越してきました。オーナーが事務所にも挨拶にこられましたね。
---------------------------
今日、銀行に行ったら、ある店の前でバーゲンを行っていた。主に扱っている女性用の服飾品は興味ないのだが、(のぞくエプロン・・・萌えではなくてえ)書棚を「300円」でお譲りしますと書いてあり、早速手に入れた。(ビルに移ることになるそうだが、スペースがないため一部の備品を売りに出したというわけらしい)日常使いにはいいし丁度壁の色にも違和感がない。
別の店(もと和装店)の前には、「ご利用の方にお譲りします」という張り紙とともに新品の皿(梱包のまま)、座椅子、姿見の3つが残っていた。私は姿見をいただいてきた。重厚でいいデザイン。かつ自分の内面を見る(内省する)にもつかえるかもとか余計なことを考えていた。
さて、この姿見であるが持って帰ってみると上と下に宣伝文句が書いてあるのが分かった。
上:皇孫殿下御誕生記念 (---うっ。今上天皇のことにしてはへんだなあ) 
下:和装・眼鏡の●●堂(お店の名前)電話:(地名)○○○(---おいおいこれは手動交換機の仕様だぞ。つまりこれは昭和天皇という可能性のあるわけか。)
どうやら店構えはそこまで古くなかったのだが、もともとは戦前からあった店らしい。元々主要な街道沿いの町だからそういう由緒の有る店はあるのも不思議でない(どころか江戸時代からの商店もあちことにある)けど、これは歴史の重みをどさーと感じてしまった。(確かに江戸時代からある店舗とか本陣跡なんかも有る町だから、それなりの重さは感じていたんですけどね。脇本陣に至ってはある会社専用の料亭としていまなお盛業中だったりして
---------------------------
形あるもの、全ては変る。時代とともにこの町は軍事工場や、化学工業、郊外のターミナル、コンピューターソフトの大規模作成事業所、テレビ工場から研究所・・・・と形相を変えまた後背地に住宅地を抱えて絶えず変化してきた。そして駅に到着する列車の中身も変る。地下鉄が来る。高速夜行バスもくる。遠隔地をつないでいたバス(木炭バス時代もあった)とともに、団地輸送用の路線が大きな位置を占める形態に変わる。いまがまたそのときなのだろう。
姿見さんこんにちは。そしてこれからよろしくね。そして出かける前には、自分の眼鏡の確認を励行しようっと。

ブログランキング・にほんブログ村へ

|

« お互いに語れる土台を | トップページ | 与えることと教わること »

コメント

こんにちは。開かずの踏切もありますし、確かにごちゃごちゃしているところですね。H立やBストンなどに勤めている知り合いがいますが、古くから企業城下町というイメージもあります。

投稿: KADOTA | 2007年5月25日 (金曜日) 11時52分

そうですよね。開かずの踏み切りは今あるバイパス(通称ワンマン道路)では追いつかなくなり別途道路を地下にする予備工事が進んでいます。であの踏切を越えて冬の夜お風呂屋さんに行くとひえるのなんのって・・・
閑話休題、東口の改良が20年前におわりました。そして東口はそこそこ発展した。今度は西口ということになってきたのでしょうね。

投稿: デハボ1000 | 2007年5月25日 (金曜日) 12時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/15193039

この記事へのトラックバック一覧です: 町が変る・「美しい」町に:

« お互いに語れる土台を | トップページ | 与えることと教わること »