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自己主張する人間

余り音楽のことは、知識もないし、あんまりコンサートに行ったわけでもないので、(中島みゆき・渡辺真知子 etcですかね)人のことをとやかく言えるほどの立場にない。但し創造性という意味合いでは、文章も、音楽も、コンピュータプログラムも著作権で扱われるという創造物であるので類似性がある。但し、コンピュータプログラムと設計業務というものは、技能伝承という意味でも近頃「創造」というものをあえて失わせて、雛形化というやり方が推進されることで、技能の吸い上げ(及び技能のブラックボックス化)が行われていると感じる。このような前提から、あえて文章・音楽というものの創造性について考えてみよう。
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優れたと世の中に言われる文筆家といっても、それに賞を与える場所「芥川賞・・・・とか」での議論は、各々の主義・主張が交差・輻輳し統一してみんな一緒に推奨というのは難しいものである。音楽でもある人はさだまさし氏の曲を言葉が多く煩雑で言い訳がましいと評するし、他のひとはこのような言葉文言は落語をベースにした彼独自の言い回しであると言いまわす場合がある。同じ文言でもその曲・詞のSETに関する考え方は色々あるだろう。
過日歌手で、シンガーソングライターの坂井泉水女史が不慮の事故と思われることで逝去されたが(謹んでお悔やみ申し上げます・・・・・)、彼女の歌についていい印象を持ったり、力つけられたひとも多い代わりに、「そんな印象がないなあ」というひとがいても仕方がないことである。
過日美術館にいって感じたのは、「万人に好まれる芸術は、本当はあってはならない」のかもしれないということ。だからこそ「美術」が創作物としてあるのである。そのいみで芸術大学ど大学院に博士号を与える仕組みがないというのは、統合するべき思想があってはならないという意味から考えると至極当然なのである。もし一つの価値観で美術を語り始めたら、それは思想統制に当るし、人々の考える権利と義務を剥奪する行為ではないかと信じる。さらに工業分野に対しては工業意匠と言い換えてもおなじことを考えうる。トラバントという東独の車の末期ににその浅ましい視点を感じるところがあるとおもうのは、私の思い込みかもしれないが。
音楽を作る方は実は落語が好きだという特集を、この前BRUTUS(2007/6/1号)でやっていた。これをみると自分から話の枕をいじったり、オチをいじくる人すなわちイノベーター(インベータに有らず・・・笑)を評価している。古典をただまじめに演じる落語家よりも、噺をいじる能力がある、ないしは噺をいじるスタッフとタッグを組む人が評価される傾向が見える。音楽という囲いの中で練りこみをする音楽家と、落語という囲いのなかでいかに跳ね回るかという、「生け簀の中の生きのいい魚」に共通性を見出すのだろう。
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さて、私は小学校の時ピアノを習っていた。一応ソナタまでは習ったがその後、引越しでやめることになってから見事能力はおっこち、今は大正琴を引くのに重宝しているのが辛うじてなんとか。(ソナタ:となると現代自動車の車とか、「冬のソナタ」になってしまいますなあ。)金持ちだったわけでなく、単に母の知り合いが音楽大学のOBだったので習っていたからでして、とはいえ6年間やってたのだが・・・・・・・
同時に私は同じ先生にソルフェージュを習っていた(もっぱら「コールユーブンゲン」の1~3をマスターした)はずなのだが、その痕跡は接待カラオケに残ってるだけである。まあ譜面は読めるが絶対音階がないらしく、まあ本職にならなくてよかったと今は安心している。
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これは母親が道筋を引いたものであるが、一方の父親は極端に聞くものが偏っているのでありまして、これはこまった。まあピアノはいいのです。マンドリンは独身時代にやっていたらしく、父が結婚してからは一切手をつけなくなった。(趣味を大切にする人間に仕事を大事には出来ない。それよりも家族というものがある。・・・考えれば古い考え方のような)定年になって(その後も嘱託勤務で仕事をしていたのだが)また再開し、最近では油絵などを再開したらしい。
このように趣味については一寸私には理解できないところがある父親なのであるが、聞くものといえば「コンチネンタルタンゴ」ばっかりで、私にはつらい。(それを言い出したら、「黒猫のタンゴ」とか「だんご3兄弟」はどーする)しかもジャズなぞをFMで聞いてたりすると、「下らんものを聞く」と文句をいう。
さすがに文句をたれると、曰く「あれは非常に規律がない。突如はずれたり(いわゆる演奏者が突っ走ったりすることを言ってるのだろう)。ああいう音楽を聴いてると統制というものが取れない人間になるんではないかと心配だ。」そこが面白いじゃないのかい。え。
まあ父親は言いたい放題いってるのだが、そういえば、私が花月に吉本新喜劇を見に行く(新聞屋が持ってくるので・・・)のもあまりいい顔をしなかった。開始のタイトル曲が「Somebody Stole My Gal」(Leo Wood作曲。1918年。演奏はPee Wee Huntというビッグバンドの曲(有名な、「プンワカプッパ プンワカプンワカ…」というメロディです)というのが気に食わなかったのか、あの舞台も一人の芸人が突っ走るタイプの芸風であったことも嫌悪感の理由かもしれない。
Bittersweet Samba(ビタースウィート・サンバ)にしても、ハーブアルバートの曲であるにも関わらず、明らかに家で聞くと嫌悪感を示されていた。
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では、私は「コンチネンタルタンゴ」が・・・というと嫌いといった覚えがない。けど非常に定型的なアレンジ、どこまでこれをアレンジするという創造性が許容できるのかが私は分からなかった。クラッシックの宗教音楽の一種であるバロック音楽があまりにもがちがちであるという概念があったからそれを意識したのだろう。
しかし、雅楽東儀秀樹氏らの活動で違う世界をくっつける活動にて創造が図られるようになる。
意外なことを言うが、J-POP歌手のKANが1990年に発表した歌「愛は勝つ。私はこの曲のアレンジを聞いて、あえて、「明らかにバロック音楽を意識してるな」と思った。この評価は他に見ないのだが、同じようなことを思っている人はいないだろうか。
これも創造の一つの発露だろう。私はそう思っている。
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最近、JAZZを基調とした音楽をかける、和食やさん(日本酒がいいんです)とかに出入りしていることもあって、また気分的におちついたこのごろ。明日、港のほうにこういうものを聞きに行こうと思っております。新たな出会いになればいいか

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コメント

> 芸術大学ど大学院に博士号を与える仕組みがないというのは
東京藝術大学や武蔵野美術大学、多摩美術大学などには大学院博士後期過程があり、「博士(美術)」などの学位が授与されています。美術創作と美術研究のどちらの分野でも取得できるようです。

> もし一つの価値観で美術を語り始めたら、それは思想統制に当るし、人々の考える権利と義務を剥奪する行為ではないかと信じる。
ひとつの価値観で語れないのはなにも芸術に限ったことではなく、技術でも何でも人間活動は全てそういうものだと考えます。ピュアサイエンスの世界だって、見出された事実を人間社会にどう位置づけるかという点では決してひとつの価値観では語れないはずです。

投稿: TX650 | 2007年5月30日 (水曜日) 09時39分

ごめんなさいリサーチ不足でした。この部分は取り消し線を引いておきます。

> もし一つの価値観で美術を語り始めたら、

あの・・・美術のような創作物ではそうである。という意味でしたが、では技術はどうかというとやはり同じことなんです。トラバントは末期の一時を除くとずーと同じ視点でしかエンジンを作らざるをえなかったですね。・・・・その噺は追ってするつもりでトラバントの事例を出したのです。このあと技術のテンプレート設計への移行を評価しようとしています。ということでして。

投稿: デハボ1000 | 2007年5月30日 (水曜日) 12時11分

ご指摘をうけたので東京芸大の大学院のカリキュラムを見てみると
○修士課程
絵画専攻・彫刻専攻・工芸専攻・デザイン専攻・建築専攻・先端芸術表現専攻・芸術学専攻・文化財保存学専攻
○博士後期課程
美術専攻・文化財保存学専攻 (映像関係は未開講)
考えてみると高松塚古墳ではないですが、このような文化財保存という分析技能の意味合いの大きいもの(だけではないでしょうね)があるということは非常に面白いのみならず、匠の世界を見た気になりました。新たな発見!
武蔵美や多摩美は2001年以降に後期過程ができたのですか、調査不足でしたが、やはり博士という世界と美術は似合わない気がするんですよね。どこかで。

投稿: デハボ1000 | 2007年5月31日 (木曜日) 01時57分

> やはり博士という世界と美術は似合わない気がするんですよね。どこかで。
確かに芸術作家を目指す人の大部分にとっては学位なんてどうでもよくて、作品が評価されることこそ全てなのでしょうね。建築学の世界でも、特に意匠系志向の人には多分にその傾向があるように思います。
ここにきて私立美大でも博士後期過程がつくられているのは、大学としての発展のためと、もうひとつは一般大学で美術系(デザインなど)の教員にも博士号を要求する方向にあることが要因としてあるのではないかと思います。

投稿: TX650 | 2007年5月31日 (木曜日) 09時56分

これは面白いというか我田引水にもなりますが、ご容赦のこと。
このところ5年ぐらいの工業系大学教員公募は博士号取得のこと(OR取得見込みのこと)というのが定説になりつつあります。それも工業高専の教官もそうでした。(それ以前の公募は会社推薦・縁故採用が多い)
ところが、工業高専に限ってみては、博士号ないしは技術士(機械部門・金属部門など・・・建築/土木はそうでもないみたい)という要件に変化してきています。産学協同という意味でそういうい要求が出てきてるのかもしれません。工業高専のほとんどは元々国立です。
一元的な議論は語弊を招きますが、またゆり戻しがあるかもと考えてる昨今です。(けど私は教員向きではないみたいですけどね)

投稿: デハボ1000 | 2007年5月31日 (木曜日) 21時14分

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