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「愚直」であること

ぐちょく 【愚直】 (大辞林 第二版)
(名・形動)[文]ナリ  正直すぎて気のきかない・こと(さま)。馬鹿正直。 「―な男」

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というが、「愚直」であるということはすごいことであると考える。といってもこの辞書の表現では一寸間違った解釈にとられてしまう。
愚直」に仕事をするといっても単に同じ事をするということを少し複雑化するだけで、愚直な作業はいくらでも味付けできると考える。
たとえば、ジェットコースターの点検を考えてみよう(えらく至近な話題だな)。メンテナンスの時に検査をする。破損の芽がないかなど。その方法についてはここで議論するほど資料も力も持っていないので述べない。(詳しく知りたい方はこちらとか、またこちらとかがお勧めです。)ただ毎回同じ段取りにおいて、指示された方法を守るか考えて、それを忠実に行うこと。行うだけで貯めるなら「」なのかもしれないが、「」はその後にある。それを積み重ねて横にみてみるとなにか傾向が見つかることがある。それを明らかにすることが「」なのだと私は考える。そこから新しく開発の芽が見つかることも多いのである。また、この検査手法では、要求する問題が明確にならないという視点だって出てくるかもしれない。愚が直を生み出す。デミング先生に言わせればPCDAの素朴な一種かもしれぬ。
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前に、製缶工場でアルバイトしたことがあるとかいたが、そのときに感じたのは「うそいえ!単純作業ってのは実はとても難しい」のである。当時の缶の製法といまとは若干異なるのだがそれはそうとして、連続して缶コーヒーの缶が目前を流れる。どこかで変ってるのが適度に混ざっているのがいいかというと、それは品質がばらついているということになってしまうわけで、NGなのは至極当然。けれども目視検査で缶コーヒーの空き缶の検査をするということが、作業標準がきっちり定めてあっても、限られた時間/速度で実施することは非常に難しい。1月やってもとうとう習熟することができなかった。「あーあ、おれってこの手の作業に不向きなんだ」といささか落胆したことがある。しかも、その2年前には不得意ながらも自転車の組み立て改造・修理を好きでやっていたこともあった自分。(重ねて、その技能自体も、知識も、工具も直後から減衰し、いまや全く頭に残っていないのが更に情けない)けれども、この経験はのちに社会人になって、工場製品の不良が出るときの作業者の感覚を把握するのによく役立つことが分かった。製品ラインで同じものをつくり続けると、習熟が困難な製品組み立て作業が混じる場合、途中から急に不良品が出てしまう場合がしばしばあるということを気にかけたときである。そうなんだ。ものを作るプロでもそうだったのかと
要するに、場所に応じて「知性」を発揮し、その場所に応じて「愚直」になる。それが出来るようになるのは一種の才能である。「養殖」・・というか努力して学習を試みる。そして積み重ねることが出来ない才能でもなさそうだ。とはいえ大概の人は使い分けができないんだろうし私も出来ない。それは上の製品検査の事例が示している。
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これは類推の範囲を出ないのだが、過日の小柴先生の語る、
 「一流の人は自分の考えや理論がどこまで通用するのか知っている。二流の人は、自分の考えが何でもかんでも通用すると思っているんです。」のことばが、なぜか頭から離れないのである。一流・二流という言葉が最適かは置いておくが、この文章の一流という意味は、「愚直」になりうるからこそ、適用範囲が分かるはず。「愚直」になりきれないひとは一流になれないということに読み替えるのが一つの「方便」かもと、考えるのであった。
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話を変える。合併の話で盛り上がっている大丸の話である。http://www.daimaru.co.jp/company/about/history.html
1717 〈享保2年〉■下村彦右衛門正啓、京都伏見に呉服店「大文字屋」を開業。(大丸創業)
1726 〈享保11年〉■大阪心斎橋筋に大阪店「松屋」を開き、現金正札販売をはじめる。(現・心斎橋店現在地)
1728 〈享保13年〉■名古屋本町4丁目に名古屋店を開き、初めて「大丸屋」と称する。
1736 〈元文元年〉■「先義後利」の店是を全店に布告。■京都・東洞院船屋町に大丸総本店「大文字屋」開店。
1743 〈寛保3年〉■江戸日本橋大伝馬町3丁目に江戸店開業。

今これらの店の場所は移動してるし、大体京都伏見には今は店はない。(但し、伏見区の当該地区は江戸時代からの住所の町名を引き継いている。確かに帯屋町とか紺屋町とかあるんだけどなあ、そのものズバリは見つけられなかった、ちなみに銀座町には銀貨の鋳造を行っていた場所。そして今でも(駅前と言うこともあるが)大手銀行の支店が集まっている。)ただこの時代から、愚直に業務を行ってきたからこそ今でもこの会社はあるのだろう。それも単に「愚」でなく「直」という「差金」をもって業務を行っていたからこそ。この件については、「千年働いてきました」と言う本がなかなか読ませる。

こう考えると「愚直」というのは製造業ならず全ての企業の基本ではあるみたい。ただ、それを辞書の額面どうり解せず読むと言うのは私の強引な論旨に過ぎるでしょうか?ご意見いただきたく思うところです。

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コメント

> 管理人様

9世紀くらいの中国の禅僧で、洞山良价という人がいます。この人の『宝鏡三昧歌』という漢詩があるのですが、その最後に次のようなくだりがあります。

潜行密用は愚の如く、魯の如し。ただよく相続するを主中の主と名づく。

意味としては、「ひそかなる修行は、ただ愚かな様(愚も魯も「愚か」の意)に行うべきであり、そのように先人の行いを相続する者こそ、本当の仏陀なのである。」という感じになるでしょう。整備点検は確かに目立たないかもしれません。しかし、それでもそれを管理人様の言葉を使えば「愚直」に行う必要を感じます。実は、我々の坐禅というのもこれと同じで、別に目立つわけでもないですが、それでもこれまでこれを続けてきた先人を習って、愚直に行わなくてはならないと、拙僧は信じています。

投稿: tenjin95 | 2007年5月15日 (火曜日) 09時37分

tenjin95様

早速当意即妙なご返答ありがとうございます。実にこの言葉には感銘を受けました。私も座禅は何回か経験がありますが、残念ながらそのような深い言葉を持って説明を受けた経験もないので、今から考えれば漫然とやっていたなという気もします。
閑話休題、「ひそかなる修行は、ただ愚かな様に行うべきであり」というところに、種々の倫理概念の本質の一象限があるのだなと感心しきりでございます。ありがとうございました。

投稿: デハボ1000 | 2007年5月15日 (火曜日) 13時09分

こんにちは。先日、テレビ東京の村上龍さんの番組にジュンク堂書店の社長が出ていたとき、商売成功の秘訣は愚直、実直というようなことを言っていました。もう一人の方が同じような意味で基本という言葉を使っていましたが、大事なことだと思います。

投稿: KADOTA | 2007年5月16日 (水曜日) 22時40分

>ジュンク堂書店の社長が出ていたとき、商売成功の秘訣は愚直、実直というようなことを言っていました。もう一人の方が同じような意味で基本という言葉を使っていましたが

ほう・・・・これはそうですか。いい事を聞きました。
私は結構おしゃべり好きです。考えるとそれが、自分に対してどんな損をしているかと考えると、バカになれない自分がいるんです。そこを追求したい(私なりでいいから)という気持ちで書きました。反省から飛躍・・・といってもデバイダーで寸法を図面上で取るときのように片足の軸心を外しては「跳躍」ですからね。その差が分かるようになりたい。

投稿: デハボ1000 | 2007年5月17日 (木曜日) 02時37分

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