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マジで変れる5日前

別に広末涼子の話をするわけではないですが、結婚してから彼女は、本当の役者になった気がする。というかそれまでは息詰まる生活だったのが自分のペースになって、本当の女性になった気がする。「マジで恋する5秒前」のプロモVTRをみて、そして既出した「バブルでGO」の年齢・子持ちを感じさせない芸風は、なにか魔法でもあるんかいなと思うのです。
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という萌え話ではなくて今日はバブルでGOよろしく1945/8/10にタイムスリップしてみましょう。日本降伏の5日前。
一体この日は何かというのかというと、公式ルートで日本がポツタム宣言を無条件受託することを連合軍に宣言した日であるのです。公式的には8/15であったのですが、前門の虎に加えて、中立条約を掲げていたはずの後門の狼・・いやソ連が8/9急遽参戦、もう逃げ手がなくなったのです。

いくらかの書籍からひいてみよう。
(1)宮脇俊三時刻表昭和史から(旧版 角川選書P222~)
(8/10)早朝、父(注:元衆議院議員 宮脇長吉氏)はひょっこりと疎開先の村上町(現在の村上市)にやってくる。かれは鉱山関係の仕事をしていたと言われる。大石田町(山形県)の亜炭(品質のよくない炭の鉱山だが戦時中は開発された)鉱山に2泊、途中俊三青年は日射病でダウン。(父がこの9日深夜の夜行できたというのも計算があったように見える)
-----以下は引用
天童温泉で一泊すると8月15日である。連日のかんかん照りで昼間の暑さは予想された。今日は村上に帰る日である。コースはまず奥羽本線で山形を通って赤湯に行き、次に長井線(注:現在の山形鉄道)で今泉、更に米坂線で坂町に抜け、羽越線で村上に戻るもの。
宿の主人は正午に天皇陛下の放送があるそうです、と伝えに来た「一体なんだろう」と私が思わず言うと「わからん、いよいよ重大なことになるな」と父が言った。しかし宿の主人が部屋をでると「いいかどんな放送でもだまっているのだぞ」と小声で言った。
--------引用終了
このあと2人は今泉駅での待ち時間に終戦の詔勅を駅前のラジオで聞くことになり、その後村上に戻る。(このあたりは現代国語の教科書でのっているのもあるそうだ。詳細は原著を参考されたい。鉄道マニア以外の人に是非読んでもらいたい一冊である)
ところでかなり高いクラスの退役軍人出身ながら、非戦論を唱えたため大政翼賛会の推薦を受けられない、いわゆる非推薦候補とされ、結果、選挙区である香川県で落選してしまった宮脇長吉氏はどこからこの情報をえていたのだろうか。軍関係の人物とはむしろ疎遠であったことは、色々エピソードがあるらしいし、本書にもその片鱗が見える。
この文章を書いていたときにわかったことは、翼賛議員でない議員でも、地元で熱狂的な地位を得ていた議員はこの選挙干渉が激しい選挙でも当選しているのである。鳩山一郎、斎藤隆夫、中野正剛、笹川良一(注意書きも参照) 赤尾敏(初当選)はこのときに当選している。後の首相、三木武夫・後の法務大臣、田中伊三次もそう。協議会推薦の候補者は381人が当選。その一方で、選挙干渉を徹底的に受けた非推薦の候補者も85人が当選したということが意外であった。(地域差もあるようで、たとえば斎藤隆夫氏(但馬地区選出)は国費留学までし、反軍の弁護士ということでたびたび新聞にものる、地元の結束力が強く干渉をすることが出来なかったといわれている。)多分これらのGrから情報を得ていたと思われる。しかしこれらの85人も切り崩されかなりの人は当人の意思に反して翼賛会に入る嵌めにはなったようであるが。
このように国内ではもう幹部にとっては「国体」崩壊が公知事実であったと思われる8/10である
(2)日本放送協会(参考:NHK放送博物館(愛宕山)資料館の随想記録による)
放送協会内部では報道担当者に関しては、伝聞形式で伝わったようで、早くも8月12日には主要幹部が把握していたようである。これはある意味当然である。ポツタム宣言受託の放送は日本放送協会の短波放送で海外向けに発信した。それを受託し業務に関わった従業員から漏れ出したといわれている。また別の説では、ごく限られた外国短波放送の聴取業務に関わった担当者から、VOAなどから宣言受託のニュースを受けたからとも言われる。但し、これらはほんの一部の技術員と報道員にしか知らされていなかった。それでも、東京は大空襲、広島・長崎は原爆となった国内で、放送局の士気の低下は免れなかったと思われる。その一方、海外にいた経験のある記者にしてみれば必然という思いもあったようだ。
他方、第一次世界大戦でドイツの手を離れ、祖借した南方地域においては、8/10の短波放送が聴取できたため、終戦の詔勅の中継放送がおこなわれず、翌日平たい言葉で軍幹部が放送した(宣撫放送)というところもあった。
(3)中支においては、こういうものがある。
春風亭柳昇与太郎戦記(与太郎戦記 (自身の大東亜戦争体験を、面白おかしく人情噺としたもの 1982年芸術祭優秀賞受賞・映画化もされた)において秋元班長・・伍長待遇(つまりのちの春風亭柳昇氏。この時は昇進し職業軍人なみになっていた。それまでは横河電機勤務。)は傷痍を負い終戦を迎える。当然事前の情報などはない・・・というわけでなかったようである。(P319~)「明日天皇陛下の放送がある」と(北京の)病院内に通知があった。(注意:国内より一日早い)(中略)私達は翌8/15正午、病棟前に整列し玉音放送を聴いた、だれも「戦局が悪くなるし、みんな頑張れ」という陛下のお言葉と信じ込んでいた。そのうえ詔勅の言葉が難しくラジオも雑音が多いので(短波であろう)「さあ、いよいよ決戦だぞ」といいながら病室に戻った。ただわたし(秋元班長)はふにおちないところがあったので、あとのニュースを聞き、そこで無条件降伏を確認した。
これはもうそこまで情報遮断状態でしかなかったわけである。
(4)さてここからは、自分の親族の話に移る。私の父は当時広島県立高等工業学校(のちの広島工業高校・及び・国立広島大学工学部の一部)に通っており、呉の防空壕で対数の概念を習ったとか言ってた。原爆投下の前後は呉海軍工廠に動員されており被災は逃れた。とはいえもう海軍工廠も修理する機材自体が払底していたこともあって翌日市内の学校の復旧に動員された。とはいえ瓦礫の山で壊滅状態。たいしたこともできず。10日には郷里に帰ることになり、親族のいる宮島町(現在の廿日市市の一部)まで、何とかまともに動いていた広島電鉄(鉄道線)でたどり着いた。(省線は無ダイヤ状態、広浜鉄道(のちのJR可部線 現在の残存区間がそのもの)は運休同然だそうだ。この時期は国に買収されていた。)そして15日は省線の汽船乗り場で詔勅を聞いたらしい。ただ、海軍工廠の稼動状態からみてもうあきらめはあったようだ。(このため父は間接被爆者となったが、まだ存命である。)
一方、広島市内でビジネス宿(軍人用)を共同経営していた祖母は、被災はは偶然食料調達のからみで免れたが、建屋からなにまで壊滅し詔勅があることさえつたわらなかったらしい。もっとも電気もきてないし、ラジオもないから聞けるわけがなかったようである
(4)母親は京都市内にいた国民学校生徒。京都市内からも大阪のほうが真っ赤に燃えているのがよくわかったようだ。
ところで母の父(祖父)は京都府警で特別高等警察の任務についていたが、1944年末、京都府警中立売署(なかたちうりと読むが、路面電車のアナウンスは「なかだちゅーり」となっていた)勤務の刑事へ転任となった(年齢の問題であろう。なお、京都の地名には上立売(かみたちうり)というところもあるがここも路面電車のテープでは「かみだちゅーり」と読んでいた気がする。転勤とはいえ、何のことない隣のビルにおひっこしである。
8/10早めに家に帰ってきた父は子供達を呼び出した(8人+αの子供がいた)そしてこう告げた。「残念ながら日本はアメリカに戦争では負けることになった。これからどういうことが起きるかわからないし、食料も更に乏しくなると思うが家族まとまって難局をのりきろう」意外と冷静だったそうだ。但しお母さんには言わないように。(これは祖母は大日本婦人会の役員を、夫が警察勤務という理由でおしつけられていたため、混乱を避けるためだったらしい)(なお本年4月から経費節減を理由として統合されたので、この警察署はエリアを分割され廃止された
さて、なぜ祖父がいち早くこれをしりえたのであろうか。推測の域をでないが、京都府警が隣であったことも理由かもしれない。しかしそれ以上に問題なのは中立売署の範囲の半分は京都御所なのである。多分皇居前と同じことを警戒したのだろう。推測の域を出ないが奈良県警橿原署などもそうだった可能性がある。おなじことは警視庁丸の内署でもあったようである
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私達は、戦争は挙国一致、全員砲弾となってやってたと思っている。基礎的な倫理思想が構築されている以上免れないところはあるのだろう。しかし、その中の認識のレベルは実は個々で違っていた。人心をある思想で統一すること自体が、限度がある。それが東洋の東洋なる所以だと思う。しかもだ、それが朝鮮半島までそれが出来るという予測(というか押し付け)をすることは、傲慢のそしりがあったのではないか。そんな考えが私をよぎる。

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