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意「匠」と技「術」と工「学」(2)

検査入院などで足踏みしていました。6月になったら一寸忙しくなるので、人間ドックも兼ねているようなものです。まだ結果は出ていませんが・・・・・・
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この前、意匠と技術の間にはなかなか齟齬があって、技術者・意匠製作者の間になかなか話が通らない場合が大きいという話をしました。けどなにも、それが全体だとはいえませんよね。もっと目前に私たちは齟齬を持っているのです。しかもそれがますます大きくなっている。そんな現実でこの先新しい(これは環境改善というような今までとベクトルの違う、新しいという技術の定義も含む)技術を構築するにあたり、問題意識がふつふつと湧き出ている処を提言してみたいと思います。
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かなり前、私が設計部門で汗をかき、鉛筆の黒鉛で手を汚し、体中グリースまみれになって日々の仕事をしていたころ、基礎研究一筋の管理職が私たちと一緒にの職場なりました。ある意味実験の大切さ、データの大切さを共有してくれた人物です。この人にあるとき、近所の駅まで車に乗せてもらったことがあります。
デ「課長、確か機械学会に入ってましたね。最近のトピックスありますか。(その当時私はまだ入会していなかった)」
課「そうだなあ。○○とかあるんだけど、しかし最近ああいうものを見ても、この製品に使えるなあということを考えなくなってしまったよ。」
デ「それはまた」
課「結果的に、基礎研究ってのは、もっぱら論文と試作品が成果物なんだよね。その試作品どおりに製品を作るということは出来ないでしょう。だから、いまキミは苦労してるんだよな。」
デ「ははは。まだそれほどではないですけどね。その論文の再現性を取ることに苦労しているわけですから」
課「そこ。要するに性能を出すことが出来るということとその理論的裏づけまでは僕らはやってきたわけだ。しかしそれを工場側が受け入れ製品化するとなったら、安くするとか簡単にするとかそっちのほうにウエイトを置くことになるだろ。」
デ「まあ、技術部署ってそこが重くなりますよね。私も応用研究部署との打合せで(設計技術者が)むちゃくちゃ言うなあと思ったことありましたもの」
課「なるほど。話がはやいな。たとえばここに新しい材料を用いたら性能などがよくなるという結果を出すわけだ。けどそれを考えると、価格がUPするに見合う設計が出来てるかとか、そういう比較対象になりにくい評価もして納得して貰わないと、どの部署も動かないだろ。となると新しい技術を探す・使うということ自体納得してもらうことに精力が使われてしまうんだよな。そうなると、世の中の新規のトレンドを見つけても実用化に持ってくる困難だということが先にたってしまうんだよなあ・・・・・・・」
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要するに会社の中で動いている人でも、その開発ステージによって研究から開発に担当部署をかわっただけで姿勢を変えなければならない。新しい技術については、どうしても手を引かざるを得ない。
また、製造現場を知り、製造現場をこう変えるとかいう視点まで持っていかないと(ないしはそういう人材をGrに巻き込まないと)試作の着手さえも出来ない。つまりこれはDEATH VALLEY(死の谷)に開発製品がどうしても陥りやすいという現実の、一つの現れ。製造現場を変えるという言葉は、それに伴うコストアップなどが見えないことから、だれも関わらず逃げたりするのがおおい、ここでトップのマネージメント姿勢が「変化をすることによって前進する」という姿勢なら、比較的まだ先行した姿勢といわれるだろう。ところが、工場の生産性と設備償却を考えると「そんな新製品を作ることで工場の稼働率が上がると設備投入もともかく、残業の量が増えてきて帰って赤字体質になる」というトップだったらどうなるだろう。新規製品のマイナーチェンジ以外はほとんど出来なくなる。
確かに研究開発の段階には5つのステージがあるという。
1:基礎研究
2:応用研究(生産設備の研究を含む)
3:製品化研究(すくなくてもこの段階には意匠の見方は入り込まないといけない)
4:製品化開発
5:量産品質確保開発(評価技術開発)

このうち1・2 は研究という考え方であり以前は会社の中で基礎研究という形で、従来なら会社の中に取り込んで他社に出さないのが普通であるが、場合によっては技術報告という形で学会に提示し、同調者や自分達が気が付かなかったところを仰ぐ傾向があるのだ。(場合によっては有名学者のお墨付きを得る活動に出たり、同業者に技術の有償開放をして、量産効果を得る) 3 に関しては会社ごとによるが有る程度まとめて、工場の技術陣と一緒に仕事をして技術移管を行う。4が商品開発 5:が工場の生産ラインを構築するためのいろんなオンサイトの工夫を仕込む場面である。前回「匠」が入ってくるのは3の後半から4の全般である。
勿論、既存の技術の組み合わせによる場合は3からスタートという場合もあり、そこは製品化の勘所である。比較的見通しの効く技術の組み合わせで早く製品を立ち上げるかはその製品構成の会社により、場面場面で研究部門と開発部門と独立した営業部門ないしは・・・商品企画部門がどう切り分けていくかという腕の見せ所である・・・のだが、それより「工場の都合」を優先すると、新製品をつくらずモデルチェンジの連続でしのぐということになる。これは最終的には企業の体力を落とす場合も有るのが怖いところ。この事例もまた多いのが現実。
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工学教育という場面を外しておかないと実学という意味合いが誤解されるので、そこは外して議論してみよう。
まあ、上記のように企業の中でならその会社の栄枯盛衰ですむのだが、この死の谷を存在せずに起業を考えている人もいるわけである。それは最近多くなっており、かつそうするようにだれかが仕向けるように感じている「研究機関発ベンチャー」「大学発ベンチャー」なのである。
基礎研究者は自分の得た英知・知恵を一生懸命製品化していこうとする。するはずである。その意欲があるのが実学の実学たるところである。しかしその前段階で製品に関するニーズというところに対し「対話している」だろうか。(そのものの開発によって新しい市場開拓がされることとか。市場環境が変り法律で整備される必要が出てきたとかという市場の動向把握が必要
というのは、あるとき先生方のこんな会話を耳にしたのである。
A「この企画、通らなかったらどうしましょうか」
B「そのときは、ベンチャーを起こすだけだよ」

おい。あのね、起業は・・・・もうあとに引く場面がないように退路を断つ・・・覚悟まで抱えて行うものである。「でもしか」で起業されたらたまったものではない。本心で言っているのか、言わざる得ない状態になってるのか。
私は、大学・大学院・そして公共研究施設の研究を担う人たちは、その有る集中的な技術分野に対して深堀をし、そこから横に触覚を伸ばすように技術の関連性を広げていくためのエキスパートであることが第一と考えている。、人望・人脈・資金はその結果から付いてくる(自動的にこれらが付いてくるという言い方でなく、人望・人脈・資金を導くための導火線になるという意味)そこが、その研究者の持ち味であり、その先の製品研究の伸びと市場の見極めである(一種の技術経営である)。
ただ、人間の能力の方向性は、そこまで幅広く出来るのであろうか。まずその研究者が経営コンサルとかある種の技術コンサルを脇につけ、アドバイスと適切な指示を貰いながら進めていくというなら、優れているといえる。けどその場面は多くない。自分の研究能力をメインに考えるのが、研究者の認識であろうし、もしそのレベルを過信せず研究できるなら、その人はその後もっとまた違った有意な研究成果が出来ると考える。
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なぜ簡単に、沢山の人が、工「学」の蓄積を技「術」に落とし込むことができると考えてしまうのだろうか。再度書くが
1:基礎研究
2:応用研究(生産設備の研究を含む)
3:製品化研究(すくなくてもこの段階には意匠の見方は入り込まないといけない)
4:製品化開発
5:量産品質確保開発

この前段階にはこれがあるのだが、気がついてるのだろうか。
0:SEEDの潜在的な発掘
そこから考えると、これまで研究者が企業家のエリアに対して簡単に入り込むことができるという錯覚があるとしたら、お互いの仕事の内容を理解していないとしかいえないと思う。

何人かのいろんな研究施設のスピンアウト技術者が起業を試みているのを、私もよくみてきた。おしなべて人格者ばかりで、純粋で、研究内容については博学かつ頭脳明晰という印象をもつひとばかりである。但し、その実績はやはり経験という意味でみると決して平坦ではない。ラボレベルだったのを量産レベルに対しての新たな「製品化研究」が必要であることを抜かしていたということもあったし、いい研究成果を持っているのに、援助したくてもその会社の信用調査をすると「技術力があるが、資金繰りがよくない」という評価で援助を打ち切ることを余儀されなくなったり・・・・・・・こうなると、私たちがこれらの研究者のを作っているのではないかというのではないかと思ってしまう。
つまり「技術と工学」これでさえも、類似性は当然あるが、差異があり同じ軌道の上に乗っているわけではないのに、そこを誤解して同じ軌道に乗っていると認識させてしまう。これは兵糧攻めという側面もあるし、工業と工学の差についての理解を不足したまま、旗を振っている人々がいるのだろうと思う。
優秀な研究者の中にも、論文作成でがんばってるという場合もあるが、その一方で各社の基礎研究受託のためにその商談に走り回っている先生もいる。勿論これは評価されていいことだとはいえ、なかには程度問題だというひともおられる。彼らは、本当に、本来の、本当の使命の業務をされるべき環境になっているのだろうか。
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産学共同という性格が強い工学の世界、しかしそれも節度があってのこと。お互いに話し合える環境同志といおうか)を研究と技術各々に作り、責任分担を図るとともに、各々の得意なところを生かすようなシステムを作らずに先にベンチャー起業ありき。ちょっとまて、それ百年の計を誤らないか
全部の人間がマルチに働ける、(自分はそういっていないものの他人がみな認める・・・ここがすごいと思う)小柴先生とて、「会社をつくって」スーパーカミオカンデに類するものを又作れといわれるかというと、そこまで体力があるとは必ずしも思えないし、それを期待するのは人材を摩滅させる活動、すまり研究者に対するすざましい冒涜である。
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私事になるが、母親が書道教諭を30年ほどやっている(なのに私は相当な悪筆である)。墨汁を使うのが多いのだが、なぜか私の母は墨と硯にこだわり、奈良までいい墨(但し割れ墨という特価品)を仕入れに生かされたことも結構有る。膠・油煙の混合などのノウハウがあるそうな。
硯にしてもそう。中国の端渓(たんけい)の硯がいいといわれている(但し市場にあまり出ていない)。日本では雄勝町(今は石巻市に合併・・・とは言っても石巻からバスで60分以上掛かる)の硯が有名である。この製作作業はなかなか味があるの作業である。で、最近はプラスティックの硯があるのね。子供の書道道具についてきたのだが使えたものではない
さて、墨汁を墨を自動的にすって作る機械がある。最近のモデルは墨を2本使って回転させてするシステムが主流だそうだが、どっちにせよいい墨といい硯の相性を見出さないと「漆黒の黒」は出せないそうである
墨と硯でもそう。いわんや工学だけで、技術だけで製品を新規に立ち上げることには、どこかで限界があると思うのだ。そのなかの仲人、もしかしてそれがオレの仕事かも。

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