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祖父の足跡(3)

始めに・・・前章でコメントをいただきました。それについて補足を少し。
> 生活は全般的に刹那的になっている
と書くとそれは倹約・貯蓄を是とした旧来の考え方から見たネガティブなニュアンスが強いですが、・・・(略)
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光ある所に影もある。逆も又然りということで。
(追加)
刹那的というのは原典の表現です。私なりに書き換えればこうなるのでしょうか。
   (バブル前) 贅沢は、敵だ。
   (バブル後) 贅沢は素敵だ。

という見方が若年層の社会認識として定着傾向になって行った・・・というのが分かりいいのかなあ。
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(承前)

この前書いたように、馬場康夫氏の祖父である「馬場粂夫」氏の話をしてみよう。

氏は、明治43(1910)年 東京帝大工学部電気工学科卒、創業時に入社(まだベンチャー会社だったんですね)徳山曹達納塩水電解形水素瓦斯・塩素瓦斯・曹達製造装置などの新規開発に従事 日立研究所初代所長 中央研究所初代所長 専務取締役就任後 公職追放。
公職追放解除後「顧問」として復帰。復帰後は製品事故の後始末に専任し「失敗の中に経験を拾う」活動を率先推進。1977年没。

というわけで、「失敗の中に経験を拾う」という意味で名前を検討。社史では「どぶさらい」という意見もあったが、さすがに・・・ということで、ミレーの絵にあやかり「落穂ひろい」というなまえにした由。たしかにあちこちの研修所にミレーの「落穂ひろい」の絵の複製(大日本印刷製が有名)が置いてあるのをよく見た。

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コンセプト「落穂ひろいの基礎観念
(1)・・・(仁徳欠乏)・・・他社・他人に対し不親切ではないか?
(2)・・・(信義不全)・・・製品のクレームに不信はないか?
(3)・・・(知行不合一)・外に向かって空理空論を吐いていないか。(出典:孔子)

コンセプト「失敗は教訓の素」・・(改過為福)
(1)・・・失敗を素直に認める。臭いものにフタをするな。
(2)・・・経験を生かして技術の進歩改善に役立てる。
(3)・・・他の人に同じ失敗を繰り返させないことにする。

コンセプト「事故処理の視点」・・・(省略)

コンセプト「開拓者精神」・・・(省略)

コンセプト「落穂ひろい」(製品事故反省会の定期実施 後述)

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この後にブレークダウンした文章が続くのだが、どちらかといえば、研究と製品開発向けなのでここでは割愛する。どっちにせよ、技術・技能系ではこの方向性が、関連会社まで関与して普及が図られた。

たとえば、群馬県の某県議会議員のHPにはこんなことが書いてある(系列会社に勤務していたとのこと)
----------------------引用(概略)
この時期には季節はずれのタイトルだが、サラリーマン時代に勉強させてもらった中で、強く印象に残っているのが「落穂拾い」という行事である。
毎年一度、前年に起こした社外クレームや重大不良等の事故反省会である。本社からのお偉いさんの前で、事故に至った原因を、それも「ナゼ、ナゼ、ナゼ」と三度繰り返し、動機的な原因(主因は、副因は)まで遡り、夫々を説明し、それに対するご意見を拝聴し、反省するものであった。
この時期になると、てんやわんやと大騒ぎした(管理者注:追加実験などが課せられる)ことが懐かしいが、厳しい中にも一度の失敗は大目に見てくれ、むしろそれを教訓とせよとの指導があった。また、事故の原因がどうであれ、最終的にはその原因は当事者自身に帰すことになるのだ、と言うことを悟ることが目的だったのかなと、今に思う。(中略)
他人に対し空理・空論を吐いていないか。」「臭いものに蓋をしていないか。」がこの「落穂拾い」の精神である。

「ナゼ分かろうと、ナゼ知ろうと出来なかったのか」を仕事を通して叩き込むことが必要だ。「看脚下」:他人の足元より、己の足元をしっかりと見つめられる人間形成が待たれる
------------------引用終了
そういえば、「落穂の精神」という額もあった。「自分で自分の身を責め、自分自身の中に反省を見出す事」と書いてあった記憶がある。

このように、方向性は顧問の出自もあったため、どうしても技術者・製作者向けの訓示が主となるわけである。しかもきわめて精神論に特化しており、技法ではなくコンセプト指示にとどまっている。また事務関係はあんまり関係ない(但し工場経営部門管理職は列席・・・)のであまり知る機会もなかっただろうし、むしろ黙々と、日々の対応に従事することになってしまうから実感はなかったと思う。知っていた人はやっぱりクリエーティブな部門(デザインなども入るだろう)に限るであろう。

けど、これらの文言は「孔子」からの引用も多いようで、馬場粂夫氏が漢籍の素養を持っていたなら(当時の文化人では当然かも) 日常生活のなかでも指導され、それが妻子に伝わり、ひいては馬場康夫氏の考え方に影響を与えていることは否定できないと思う。

従前からの馬場康夫氏の著作を見ていると、大学を卒業して、晴れて入った本社宣伝部。しかし、その業務の方向性に対しては問題点があるということを、多少意識していることが見える。(初期の著作には、ピリッと書いてあるものがある。要するにマーケティングのベクトルが大企業目線になっておりずれているといいたいらしい。)それは小学校から大学まで一貫教育だった今までの人生経験によることもあったかもしれないが、それを推察するのは野暮である。
そこで考えるのだが、技術に対して掲げた上述のコンセプトを、一般執務に関して考えていく上で、かつマーケティング技法を学習したことを視野に入れると、「落穂ひろい」の精神は実は「社会史一般」にも使えるという視点が出てくるのは、馬場康夫氏にとって見れは、至極当然の考え方だったのではないだろうか。

またこの考え方は、屈曲せずそのまま推進していくと、東京大学で萌芽を得た「失敗学」のルーツにつながるところがある。これも偶然だとはいえない気がしてきた。


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(未了)

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コメント

環境問題についてのコメントありがとうございます☆
ブログとメールマガジンで,みなさんに紹介させていただきました。

本当に,参考になります。

「失敗を生かす」とても大切ですよね。

日本人は,失敗を恐れすぎです,英語学習に関して言えばですが・・・
英語を話す上での大きなネックになっています。

投稿: ほしのねこ | 2007年2月24日 (土曜日) 15時23分

拝承。多謝いたします。
尤も私は、「お前一寸ブロークンにすぎないか・・・」といわれました。しかし相手がフランクになったのでよかったのかと。

投稿: デハボ1000 | 2007年2月25日 (日曜日) 17時44分

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