« ブロガーの6タイプ | トップページ | 人工物 »

鉄道のCMソング考

会社のCMだと、かなり各社印象が強いのがありますね。この木なんの木・・・とか、ひかーるひかるToーしば・・・とか。
JRもコマーシャルをしていましたが、末期の国鉄は各鉄道管理局ごとにCMをしておりました。まあそれが地方局だと深夜時間のPOORなCMでして(評価したくないほどなさけない)まあ、そういうものです。
国鉄時代も全社CMについてはさすがに優秀なものがありまして、山口百恵による『いい日旅立ち』なぞ、いまだ曲・シーンとも有名なものがありますし、金を掛けてるなという感じがしました。その次の、郷ひろみによる『2億4千万の瞳』もキャンペーンに使われたが、これは郷の父親が国鉄職員であった縁によるらしいです。この話には落ちがあって、このときの旅行先のキャンペーンは「高野山」。鉄道で行くしかすべが無い(当時の並行道路は非常に悪く、観光バスの運転手もいやがるほどであった。)から、いいターゲットなのだが、関西ではこれを流すと「南海電気鉄道 高野線」のCMをやってるようなもので、どうもよくない。よって、関西地区(主に大阪・天王寺・福知山鉄道管理局管内)だけには別のCMが差し替えて流されていました。当時の国鉄で私鉄併行区間には賃率調整で私鉄と同じ値段に安く運賃を抑えていたことがあって、当時の漫才界の最高峰「やすし・きよし」を用い「切符はやすし。国鉄へきよし」とやってしまいました。(注:「♪トクトクキップはお得な切符 ちょっきん、ちょっきん 切符はやす~し。国鉄へきよ~し)これ、かなりの子供達が口にしてたそうで、それなりに企画力(大日本除虫菊社のCMで有名な大阪電通の作成らしい)があったのですな。
-----------------------------
案外なCMを挙げましょう。
---------------引用
フニクリ・フニクラ』(Funiculi Funicula!)はイタリアの民謡(カンツォーネ)。メロディは日本でも有名ではあるが、曲の成り立ちはあまり知られていない。

1880年にトーマス・クック社(管理者注:英国の時刻表を発行する、由緒ある会社)によって、ヴェスヴィオ火山山頂までの登山鉄道「フニコラーレ(ケーブルカー)」が敷設されたが、当初は利用者が少なかった。そこで、同社の依頼を受けたルイージ・デンツァが宣伝用に作曲したのがこの曲である。世界最古のコマーシャルソングとも言われる
この曲を聴いたリヒャルト・シュトラウスは、これがイタリアに古くから伝わる民謡であると勘違いし、後に作曲した交響的幻想曲『イタリアから』(Aus Italien)に『フニクリ・フニクラ』のメロディーを取り込んでしまった。それを知ったデンツァはシュトラウスを訴えて勝訴し、以降、この曲が演奏されるごとにシュトラウスはデンツァに対して著作権料を支払っていた。
-----------------------終了
高校の時、音楽の授業で、「日本語の歌詞」で独唱させられ、音楽の成績が付けられていたが、その歌詞のなかには「登山電車ができたので、登れる、登れる。(繰り返し)いこう いこう あの山へ。いこう いこう あの山へ、フニクリ・フニクラ、フニクリ・フニクラーーーー・・・」だからこれが民謡じゃない流行歌だったのであるのは、現代の私達には良くわかるのですが、こういう「ビジネスモデル」が無かったからシュトラウスを始め、だれも考えるひとは、いなかったのでしょう。なお当時は、楽譜配布でCMを行ったようである。
で、日本でもあるんです。よく似た例が。
----------------------開始
ちゃっきり節(‐ぶし)は、北原白秋作詞、町田嘉章作曲の歌曲。現在では静岡県民謡と見なされるようにもなっている。
歌は30番まであり、静岡県内各地の地名・方言がふんだんに盛り込まれている。(管理者注:普通は2番ぐらいまでしか知られない)
1927年(昭和2年)、静岡市近郊に開園した狐ヶ崎遊園地(後の狐ヶ崎ヤングランド 1993年閉園)のコマーシャルソングとして、静岡電気鉄道(現・静岡鉄道)の依頼によって制作された。

大正時代から昭和時代初期にかけては、地域おこしや観光宣伝のため、旧来からの民謡を広く紹介し、あるいはPRソングとして民謡風の新曲を作るなどの動きが日本の各地で見られた。(管理者注・例:東京音頭←丸の内音頭)ちゃっきり節もその一つである。(管理者注:ときあたかも観光振興が奨励されていた時期で、鉄道絵図の流行に時期的に近い。)
静岡電鉄(管理者注:当時:静岡市と 当時の清水市 に路面電車・そして静岡-清水間の鉄道線(←その出自を大日本軌道静岡支社とする)を経営していた。焼津以遠の軽便線は当時は入っていない)は当時すでに名のある詩人であった白秋に懇請して作詞を引き受けさせたが、取材のため静岡を訪れた白秋は、静岡の花柳地・二丁町で芸者遊びを続け、一向に詩作に取りかかろうとしなかった。豪遊続きの長逗留に電鉄会社側が作詞依頼の取り下げも検討し始めた頃、老妓の方言による、ふとした一言にインスピレーションを得て、白秋は長大な歌詞を書き上げたという。
作曲者の町田嘉章(1888年-1981年)は、邦楽作曲家で民謡の研究家でもあるが、白秋の知人であったことからその推挙により「ちゃっきり節」の作曲を引き受けることになった。
この曲は1927年11月に狐ヶ崎遊園地を会場として、同時に白秋・嘉章のコンビによって作られた「狐音頭」「新駿河節」と共に、地元芸妓衆の歌・踊りによって発表された。
----------------------------終了
一時期、これがわからず、作詞作曲:不祥という時期が続いていたみたいだが、昭和の末期になって静岡鉄道が自社倉庫を整理していたとき、このレコード(多分SP盤でしょう)が大量に出て、事実が発覚したようである。なお歌詞に関しては、著作権が消滅している。(歌のほうは死亡から50年であるから著作権が残る。JASRAC信託扱)とはいえ、一時期、民謡とされていたからこれに関する権利関係はあいまいみたいである。これは申告罪であるからなおさらである。
一方 フニクリ・フニクラのほうは、実質的に権利消滅なのだが、編曲者の関係で一部権利が残っている。面白いのは、著作権に関しては編曲・作詞  嘉門 達夫 というのがあってこれだけが権利が残ってるみたいですが・・これはまた独創的な曲(爆笑)に変わっており違うでしょうね。
----------------------------
私のイメージは・岩崎宏美(相鉄Gr:関東ローカル) とか京阪電鉄フラッシュニュース(関西ローカル枠。特急が豪快に走り去る)とか宝塚歌劇団の団員だけを使った関西ローカルのドラマ(阪急電鉄)・・・嗚呼、もうすこし調べなければならないなあ。

ブログランキング・にほんブログ村へ

(PS)
最近、面白い話を聞きました。曰く
結果『いい日旅立ち』となる楽曲を広告に使うのは決まったのだが、曲の歌詞とかを頼むには、広告代理店に支払うお金が予算上全部は下りなかったらしい。困っていたところ、広告代理店筋に強い日本旅行と、国鉄が大口納入先である日立製作所が金を工面することを申し出た。
結果、題名に「日旅」「日 立」という字が入っているというありうるが噴飯物の事実が出来てしまった。・・・とか。orz

|

« ブロガーの6タイプ | トップページ | 人工物 »

コメント

戦後の一大レジャーブームが訪れた昭和30年代、小田急は看板電車のロマンスカーを歌い込んだ「小田急ピポーの電車」を、当時の超売れっ子である三木鶏郎の作詞・作曲、ザ・ピーナッツとボニージャックスの唄で作っています。最近CDに収録されて聴くことができます。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000GYHU58/250-0169445-3697858
同じ頃京成や京急も盛んにCMソングを流していましたね。
近年ではJR東海の「ANBITIOUS JAPAN!」は、須田寛会長自ら作詞のなかにし礼に依頼してできたものだそうな。
京急の「赤い電車」もありますが、これは歌の中身がややマニアックですかな?

投稿: TX650 | 2007年1月 7日 (日曜日) 19時11分

そうそう、最近なら京阪の「出町柳から」も忘れてはいけませんね。

投稿: TX650 | 2007年1月 7日 (日曜日) 19時13分

>小田急は看板電車のロマンスカーを歌い込んだ「小田急ピポーの電車」を、当時の超売れっ子である三木鶏郎
これはしりませんでしたね。

最近の事例は、意図的に外したのですが、
>JR東海の「ANBITIOUS JAPAN!」
は知らなかったですわ。「赤い電車」とか「出町柳から」は意図せず出てきたとこもあったりして・・・

投稿: デハボ1000 | 2007年1月 7日 (日曜日) 20時12分

> 須田寛会長自ら作詞のなかにし礼に依頼して
大物作家に書き下ろしを頼むということは、それくらいの重みがあることなのかもしれません。(まあセッティングは広告代理店と音楽制作会社がやったとしても…)
「出町柳から」は、意図せずというよりはむしろ全てが綿密に仕組まれた感じを受けましたが…。「赤い電車」は確かに「なんとなく話が盛り上がってできてしまった」みたいな雰囲気ですね。

投稿: TX650 | 2007年1月 8日 (月曜日) 07時23分

当方、十八番は来生たかおのJR東「夢より遠くへ」です。

投稿: mac | 2007年1月 8日 (月曜日) 22時43分

改めて調べたら、なかにし礼氏に直接依頼したのは須田寛会長ではなく葛西敬之社長だったようですので訂正します。発売当時の曲紹介のサイトでなかにし氏が、「新しい時代の鉄道唱歌を」と依頼されたと書いていました。

macさん
私も「夢より遠くへ」は好きで、今でもよく聴いています。新幹線や特急列車で旅をする雰囲気がよく表現されているように思います。

投稿: TX650 | 2007年1月 9日 (火曜日) 12時26分

「出町柳から」の歌手は秘密だったはずだが・・・
-------引用------
本名:三浦 理恵子 読み仮名:みうら りえこ
出身地: 東京都  生年月日:1973年9月1日
血液型:A型    155cm 43kg B80 W58 H80
その特徴のある声は、“魅惑のキャットヴォイス”と呼ばれている。

※中之島ゆきとして歌手活動もしている
------終了-------
という記載がある。

投稿: デハボ1000 | 2007年2月12日 (月曜日) 16時16分

日比谷公園の「鉄道の日」イベントに出演して正体を明かしたんでしたね。

投稿: TX650 | 2007年2月12日 (月曜日) 20時08分

初めまして。古いスレへのコメント、失礼します。
やすきよ師匠のトクトクきっぷのCMについて調べていてたどり着きました。

ちゃっきり節に静鉄が絡んでるという話は知ってましたが、そんなエピソードがあったとはw(゚o゚)w

嘉門達夫版の『フニクリフニクラ』は『NIPPONの楽しみ』と言うアルバムに収録されてます。発売は1993年なので入手は難しいかもしれませんが、もしよかったら探してみてください(^_-)-☆

投稿: 鷹之介 | 2012年10月24日 (水曜日) 21時42分

>嘉門達夫版の『フニクリフニクラ』は『NIPPONの楽しみ』と言うアルバムに収録されてます。
これですか・・・・http://www.youtube.com/watch?v=MHVy1qA8ifU・・・やっぱりな(笑)

投稿: デハボ1000 | 2012年10月27日 (土曜日) 00時10分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/13371491

この記事へのトラックバック一覧です: 鉄道のCMソング考:

« ブロガーの6タイプ | トップページ | 人工物 »