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鉄道頭

ロシアの首相 サハロフ氏の諜報活動云々と聞いて、「サハロユニフ」とか、一歩間違うと買収前の飯田線の運用を思い出すというこの鶏頭(とりあたま)には何とかならんか・・・・と自分でも思っております。
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余談はこれぐらいにしまして、キハ55というと末期に綺麗な編成(キハ55×4)でスキーに行ったことが何回かあります。
面白山という場所が山形市にあり、そこに手ごろなスキー場があるのですが、冬季になると、この場所は林道への道が雪でうもれてしまい道路閉鎖、鉄道しか行き方がないのです。元々仙山線は勾配線ですから、これでフルノッチにしても登りは20キロがいいとこかなという程度。「あ、止まった」と思ったら何のこと無い、トンネルの中で対向列車と交換しただけでして。けど廃車末期にしてはまともな編成でした。(当時は簡易乗降場でしたので、キロ程が設定されてなかったが、JR化後すぐちゃんと「面白山高原」という駅になりましたね。)
そのまえは、山陰本線でのキハ26-400ばっかり連なった通勤列車。キロからの格下げですから、シートがそれなりにいいんです。(ただもう「キロ」でつかうと阿漕だな・・・とは思った)それがキハ47-1と混合編成で入っていたのが今になっては面白い。

これらは写真を撮ってなかったのが悔やまれる列車の1つです。
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幼いころ、夏の暑い日つかれきった父親が帰ってきました。その事由があんまりにも面白い話だったのでここにのせておきましょう。

部下と一緒に取引先から和歌山市駅(この当時はこっちのほうが全うである。(苦笑))に送ってもらって、難波→梅田と会社に戻ることになった父。
そこですぐ来た難波行きの特急はフェリーからの連絡運輸の客がすでに沢山乗っていて、座れるどころの状態ではない。この時代なら時期柄しかたがないでしょう。

父「なんとかなりませんかね」
駅「そうですね・・・このあと、おそらくすいて「」いると思われる列車が来ますが、お乗りになります?料金かかりますけど」
父「そうしましょうか。じゃあ2人分難波まで」

電車は出て行く、冷房余熱は残る。後にのこるは癪の種。とか言っているとなぜか右の「国社分岐点」のほうからDCが入ってくる。はいそうです。キハ5500×2難波行きです。(紀勢線乗り入れのDC、南海籍の要するにキハ55)で、確かに窓側にはすわれたらしい。(駅員は嘘は言っていない)けど走っても涼しくはならず(冷房ないしね)車内は騒々しく、窓を開けても機関の音かしましく、なんかお金を払って返って疲れたような感じで帰社。そこから仕事もする気も起きず、さっくり家に帰ってきたというわけ。「あんなの詐欺じゃ」といいながらビールを飲んでおりました。

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コメント

僕も仙山線はキハ55で完乗しました。あの喘ぎながら登る姿は感動モノでしたね。

投稿: mac | 2006年12月16日 (土曜日) 14時52分

本日は、横浜市営地下鉄、1000・2000形のお別れ会でした。
市電に代わる”ハマっ子の足”と親しまれた横浜市営地下鉄の旧型車両「1000形」「2000形」の「さようなら運転」には、約五百人の乗客が別れを惜しんだそうですが、私は、上永谷の車両基地で見てましたが、沢山の人がいましたね。
よく、子供をつれて電車を見に行きましたけ・・・

投稿: 職業訓練指導員 | 2006年12月17日 (日曜日) 19時19分

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