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青島ダァ

故人の話であるが、いったいなにを身上にして生きてきた人間なのかな・・・と思ったので一寸調べてみた。
まあまとまりのいいところではこちらなのだが、自分の今の身上と比較してみた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B3%B6%E5%B9%B8%E7%94%B7

--------------引用開始---
青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年7月17日 - 2006年12月20日)は、東京都中央区日本橋出身の作家、作詞家、タレント、放送作家、映画監督。元参議院議員、元東京都知事などの政治家としても活躍。多彩な経歴を持つ。

政治家としては都知事就任以前はカリスマ的人気を誇り、選挙期間中は選挙運動を一切しないのに高得票で当選した。しかしながら、都知事時代はめぼしい業績を残さなかったことや都市博中止以外の公約を反故にした行政をしたことにより、そのカリスマ性も薄れ、以後、選挙に出馬するも落選する。

経歴
1932年日本橋堀留町の仕出し弁当店・弁菊の次男として生まれる。
1955年4月に早稲田大学第一商学部卒業後、大学院商学研究科修士課程商学専攻に進学し、その後療養生活を送る。
1956年6月同大学院中退。
卒業間際に結核を患ったので就職を断念した。高度経済成長期に「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」(ハナ肇とクレージーキャッツ『どんと節』)と作詞して<ニッポン無責任時代>を演出した立役者でもあるが、青島自身にサラリーマン経験は皆無。
「うちのお父さんはサラリーマンですが、ちっとも気楽じゃありません。あんな歌はやめてください」という苦情の手紙を受け取ったことがある。青島は「卒業、就職の時期に結核を患い、やむなく大学院に籍を置いて、療養生活を余儀なくされ、身の保証の何一つないヤクザな稼業に追いやられた私としては、『サラリーマンがナンボのもんじゃい』とうらみがましく思っていた」(『わかっちゃいるけど… シャボン玉の頃』)と語っている
-------------中断

ここのところは結構、いろんな人とダブることがある。
私の高校の恩師は、英語の能力がが最悪な私にとってはいい教師だったとはいえなかったが、京大文学部卒業後NHKに勤務するも結核で退職し、3年後片肺除去後、退院してから母校で65まで英語教師を務めていた。彼曰く、結核にかかったとき「もう人生はないんだな」と思ったそうである。
青島氏も大学院にいたのはそういう理由だったとは。また中退後、バーを経営しながら放送作家として活動しNHKに認められ、次第にそっちで食えるようになるみたいだ。
そしてある意味私とて(以下自粛)

-----------引用再開
政歴
1968年、参議院議員選挙に全国区から立候補し2位で初当選。タレント議員のパイオニア的存在となる。無所属議員による院内会派第二院クラブに所属。或る日佐藤栄作(注:当時の首相)が「自分は参院選の応援の為に日本全国を回った」と得意気に話すので、「自分はテレビでの知名度が有って当選できた。選挙の立候補者も放送を通じて政見を述べれば良い」と答える。そして青島らの議員提案に拠り立法化され、政見放送が実施される。

-----------引用中断

これは面白い話である。タレント議員のパイオニアだけのことはある。
さて、佐藤首相が退陣したとき記者会見で「テレビカメラはどこかね?テレビカメラ。新聞記者の諸君とは話さないことにしてるんだ。僕は直接国民に話したい。新聞は間違って伝える。文字になると違うから偏向的新聞は大嫌いだ。やり直そうよ。(記者は)帰って下さい。」とやって、がらーんとした会見室で(一部の民放のカメラは思いっきり引いて、空の椅子をことさら強調した)TV相手に会見したした有名な事件がある。佐藤氏の頭の中は、このことと無縁でなかったともいえる。(尤も 直前に毎日新聞による沖縄返還協定(極秘電報)の内通・スクープ問題があったため報道管制が引かれており、新聞記者とかなり軋轢があったということも最近アメリカの公文書館の資料からわかりだしており、この発言意図は言葉だけではないとは考える。)
また、佐藤氏が、政治家 故 大野伴睦氏を偲ぶ会に出席し「“伴ちゃん”、“伴ちゃん”とみんなから愛された故人にならい私も“栄ちゃん”と呼ばれたい」と述べたことがあった。(但しこれは本心からの発言ではない由。)これを受けてか横山ノック氏が佐藤首相に“栄ちゃん”と呼びかけた。また青島幸男氏も"栄ちゃん"と呼んだとされるが、これに対して佐藤氏は非常に不快そうな表情を浮かべたとされる。

当時、院内会派第二院クラブには、戦後政治史に名を残す市川房枝氏(参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E6%88%BF%E6%9E%9D)という有名な方がいらっしゃった。彼女は青島氏に対して「弁論能力・情報収集能力がアレだけあるのに、勉強ということをしない。それで政治家といえるのか。」と激しく叱り、青島氏はうなだれるしかなかったという逸話も聞いている。もちろん彼も、論客としてかなり予算委員会でやりあったりしたのは有名であった。曰く、上述の佐藤首相を「財界の男妾」とののしる、大臣達が並んだ予算委員会で、「その程度の回答で済むと思っている案件か。お前らみなバカどもだ」と叫び委員会議事をを止めさせたと、枚挙にいとまない。

-------------引用再開

人物像
同年生まれであり、青島が学生のときに芥川賞をとった石原慎太郎のことを青島は意識し、時にライバル視していたといわれる。石原は初選挙も同じ参院選全国区であり、青島が直木賞受賞を目指したのも彼の影響によるところが小さくはない。かつては犬猿の仲とも言われ、メディアでも両者はよく対比された。
青島が亡くなった際、石原は「本当びっくりしましたね。前も一回がんを患って・・・。本当に希代の才人だったからね。僕と同じ年だしね。同じ参議院で出て、ああいうウイッティーで才気のある人っていうのは、だんだんいなくなっちゃった」と述べた。

-------------引用終了

まあ石原氏にとっては、前任者(都知事)のことを悪くいうことは、この場合いろんな意味で当然出来ないわけである(青島氏が都知事時代はめぼしい業績を残さなかったと評されることや都市博中止以外の公約を反故にし、2信金破綻などの処理を役人任せにした経緯が積もり積もって、石原氏が当選したようなところがある。新銀行東京を石原氏が肝入れして立ち上げた(これとて全く0からではないんですがね)のも、これに呼応するもので青島氏のミスと無縁ではないと考える)から、かなりオブラートに包んだ表現であろう。けど石原氏もある意味似たようなステージに立っているわけでして(石原裕次郎まで引き合いに出せば)、そこを考えると相通じるものが合っても不思議ではないのである。
独特の一匹狼的活動を行うという意味では、青島氏も 石原氏も、かの田中康夫氏も、コロンビア・トップ氏(政治漫談から政界へ、第二院クラブのけん引役。また東京漫才の青空一門の総帥でもあった。故人)も、横山ノック氏(それをいうと、こちらも政治漫談がお得意)も、そして市川房枝氏も実はおなじところがある。(知らなかったが、1963年に、市川房枝氏は、田中清玄(極右翼の長老)や菅原通済(経済人・江ノ島電鉄社長など鉄道関係の役員多数歴任・随筆家)らと一緒に、麻薬取締りキャンペーンに積極的に取り組んだ。その際に山口組の田岡一雄組長のところに単身乗り込んで意気投合し、キャンペーンを完全意を通じて普及させたという寝技表現が女性には不謹慎かも・・・)を張った武勇伝があるそうだ。このため山口組傘下組員は薬物を扱うと、絶対復帰できない「赤文字の破門状」が送付される方針が、今もって綱領にあると聞く。)
もしかしてというと、独特の一匹狼的活動は、小泉前首相にもその影が見て取れる。

故 金丸信氏と東京佐川急便の癒着疑惑につき、検察庁が罰金のみの略式起訴で幕引きを図ったときには抗議のハンガーストライキを行い、多くの国民の支持を集めたのは記憶もある。
当然、アクティブでかつアイデアマン。たとえば、日本のテレビで最初にエイプリルフールネタを披露したのは彼であるといわれている。「おとなの漫画」(注:月~金10分枠の政治風刺コント番組。生放送でほとんど資料は残ってないそうだ。NHK(愛宕山)と横浜・関内の放送資料館で聞いた)内でギザギザの線が書かれた紙を上下に動かしテレビの故障を思わせる演出だった由。思考回路にテレビの枠の無い人だったのだろう。
後年、政治には有権者がもっと自己主張を生かすことを提唱し、講演やHP構成の趣旨にしていた。このことは即ち投票権行使義務の履行を訴求しているものと理解する選挙風景のVTRが残っている。かえって晩年の彼の落選は、どちらかというと投票率向上を趣旨とし自分の議員への復帰を考えていたとは私には見えないし、知事を引退した時点で達観していたと私は見ている。また、同じ意味で2院制度の維持(政治に対しての責任貫徹は1院制では不十分だということを各所で明確にアピールしていたこと)は、実績に対し各論差し引き有るにしても辣腕政治家の肩書きを削ぐものではないと考える。

癌とはいえ、安らかな最期だった由、謹んでご冥福をお祈り申し上げます
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さて、ウイットのある会話が出来るわけでもないし、美男なんかにはなれない自分。けど独立自営となった今年をふと考えるに、情報提供らしきことをこのBLOGで行い、意見を頂戴し、いろんな人とお付き合いさせていただきました。そして又勉強し・・・という意味では完璧ではないかもしれませんし、時にお叱りもいただきましたけれど、明らかに人生の中間決算発表(苦笑)、かつイノベーションであったのには間違いないと思っております。彼の人生の一端部のように
ありがたいことです。

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コメント

TB有難うございます。
青島さんが居なかったら、今のテレビメディアはどうなっていたんでしょうね。それくらいの異才であったと思います。

投稿: mac | 2006年12月24日 (日曜日) 14時52分

彼が、結核でサラリーマンになれなかったのがばねになっていたということを読み、驚嘆しました。私もいささか持病がありますが、ばねにはならずともスプリングバック(苦笑)ぐらいにはしなければと思った次第です。

投稿: デハボ1000 | 2006年12月24日 (日曜日) 15時01分

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