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法律の下に有る人倫

さっきまで、26年ぶりにあった高校時代の友人と飲んでいた。「お前はふけないというか、変わらないと言うか、変化が無いというか・・・・」喜んでいいのだろうか。(笑)
帰宅後9月ごろ書いた文章を見返していた。
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自分はどこにいるのかというスタンスは、必ず考えなければならない。そういう時期は必ず会社員になるとやって来る。そのために自分の業務をたな卸しするべく、まとめて見る(で一番よかったのがJIS規格の履歴書である)。
これを時々作っていると、自分の生き様がいかなるものなのかが見えてくる。
いちずに一本道   いちずに一ッ事
観音さまに助けられ    佛さまに守られて
曲りなりにも一本道    迷いながらも一ッ事
                       相田みつを

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いやおれは、人を監督することで大きい人間になるんだという言葉も聞く。できるのかな・・という人が言っている場合もあり、出来ない人が言っている場合も多い。それ以前に自分の行動がちぐはぐという人もいるから、本当にあてにならない。・・・と自分を見て嘆く。

ところで、人倫に劣る・・という言葉をご存知であろうか。これは人間としての倫理ということであるが、習俗の壁を取り払って考えるという前提にあって、バートナー・ガードという人が下記の様な「十戒」(これ自体旧約聖書の言葉であるが、妥当な表現がなかったのであろう)を義務論という形で提唱している。(1988:Morality:Oxford University Press)
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(1)殺すな
(2)痛みを生じさせるな
(3)不具にするな
(4)自由をうばうな
(5)喜びを奪うな
(6)騙すな(=瞞くな)
(7)約束を破るな
(8)欺くな
(9)法に不服従であるな(法を守れ)
(10)自分の義務を怠るな

---------------------終了
個人的に見ると、人々の合意の上に形成される「法」をその更に基本概念である「人倫」に導入するのは多少、問題があるといえる。『(9)法に不服従であるな』だとAの国の法に忠実で有る代わりに、Bの国の法には忠実であるとは限らない。境界線を渡り歩く人間はどっちにいると安泰か。そういった意味で多少の突っ込みどころも無いわけではないが、趣旨はおおむね理解できる。
さて仏教ではどうか。やっぱり十戒があるのでして、下記の通り。
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不殺生(ふせっしょう)
不偸溢(ふとういつ)
不邪淫(ふじゃいん)
不妄語(ふもうご)
不飲酒(ふいんしゅ)
不両舌(ふりょうぜつ)
不悪口(ふあくく)
不貪欲(ふどんよく)
不瞋恚(ふしんい)
不邪見(ふじゃけん)

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だそうである(引用:技術者の倫理:今村 鹿島出版会 2003)

これも、やはりローカルルール的な印象が残る項目も有る。ここを素直に、上下齟齬無く疎通できるようにするというと、完璧な答えは期待できないとあきらめるしかない。
そう解釈しても意味が無い。きわめて近いところを包括して一緒にするしかないのである。そして更に、違うところがこれだけ有るんだよということを理解していただく活動を、業務を共同で行う管理者は意識して説明していくしかないのである。

以前も書いたが、歴代の総理の指南版として活躍した、論語と中国思想・儒教精神の指導で知られる安岡正篤は、自ら考える、トップリーダー像の7条件とという指摘をしている。
ーその地位には淡々洛々として
ー敬虔で私心なく
ー自信を温容に包み
ー慈愛と信頼を秘めて
ー侵しがたい威厳を備えながら
ーどこかユーモアがあり
ーそして一抹の淋しさを含んでいるもの

なものである、相反する項目が見え隠れるが、氏は使い分けろという意味でこれを書いている。

もちろんこれは人倫という意味ではもう一段上の話なのであるが

すなわち、相手・相手の根底にある人倫の背骨を理解する・・・というところまで踏み込まなくとも、異なった考えから人倫が成り立っているところでは、本人たち同士の異論を監督者がサポートする必要がある。
要するに、自分の尺度だけが第一義だと考えないこと。常にじぶんの心の鏡に写してみること。異なる人倫が有る以上、異なる指摘があって当然、そこの最大公約数をどう定めるかによって異文化の交流がいきてくるのではないか
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会社員のころ、総務部の人と一緒に、会社の社員寮に行った。実はその建物はある建設機器のメーカーから買ったもので、使っていない2F・3Fを社員寮としてつかっている。この社員寮は、中国から研修に来た人が使うことになっている。
1階の計測装置を見せてもらい、固定資産の確認をしたあと、2Fにいくことになった。総務担当者は「閉口」したように言った。
「いやあ、彼らはまじめですから、ほら昼間は全員工場に行ってるでしょ。」
「本当ですね。クーラーは止めときましょう。」
「ただね、彼ら、銀杏の実を部屋でむいて食べるんですよ。これが匂いがひどくてなじめなくてねえ。」
「酒の肴にはいいんですけどね。けど、ご相伴に預かったことないんですか」
「いやあ、あのにおいではとてもとても」
それぐらいのことで、齟齬が生じるのだ。普段がまじめを絵に描いた如き人だけに、この齟齬が根深いものが有るということを感ぜざるを得なかった
-------------------問題-------------
1:自分の中でどうも人と意見が違って賛同できないということがあったとき、どういう風に自分の心に納得させたか考えてみよう。

2:十戒(2つ)について、自分は遵守する自信がある。自身がない。迎合しないかを、表にしてまとめ、その理由を簡潔に記入せよ。

3:異文化交流が必要とされている昨今で有るが、「とてもそこには入っていけない」とおもった経験談を自分でまとめて討議してみよう。

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