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伝わる言葉を話してね

私の言葉は、くどい事もあるのか、あんまり説得力を持たないといわれる事があります。それでいて、さまざまなビジネスシーンでは、「それを言われたら、値引きで応じるしかありませんわ」という殺し文句を吐くらしく、それでいて、「おかげさまで、お客さん納得してくれましたよ。またよろしく。」なんて後からメールを打つから、価値共有ができるのか?しばらくして、向こうからこんどは別の話をまわしていただける。ありがたいことです。なぜでしょうか。

言葉に関することば・・・というとこんなのがありますね。
(1)『言葉に愛がなければ、どんなに美しい(正しい)言葉も、相手の胸に響かない。』・・・聖パウロの言葉より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD懐かしい宗教ラジオ番組のオープニングメッセージに使われていました。さて本当かなと思われますが。
相手にいろんな言葉を浴びせて、議論を促すときは相手のわかりうる言葉で説明しようとするのは私もよくします。けどそのまな板にのらんとわかると、とたんに教条主義になってしまって「それじゃあ、こう覚えて置いてください。」・・と文言自体を覚えさせる方向に転じる。意思の疎通のフロアーが違うため、どっちかがかんがえなおしてもらわないと出来ないからである。何日かたってもう一度よく似たことを聞いてみる。これぐらいしないと、技術的用語の場合理解してもらえないのは、それまでの前段階を省略して話をするからで当然であるのだろう。

間反対の言葉もある。
(2)「話せばわかる」「問答無用」世に言う、五・一五事件
1932年5月15日(日)午後5時半頃、三上卓中尉ら海軍将校4名と,士官候補生5名が首相官邸に車で乗りつけ,時の首相犬養毅を襲った。休養中の犬養は、 「話せばわかる。」 と制したが,山岸宏中尉は、「問答無用。撃て。」 と叫んで、黒岩勇予備役少尉と三上中尉がピストルで犬養を撃ち,犬養は午後11時26分絶命した。

 話せばわかるかと問われれば、私は、この事件を例に引いて、そうとばかりは言えぬ、と答える。この当時、犬養首相は、中国との関係悪化を懼れて満州進出に反対していた。(ありそうですね)満州へ出ていけば、既得権益を侵される欧米列強の反発は必至という理由である。他方、若手将校達は、満州進出、貧農救済を目指していた。この前後、天候不順で東北地方では米が取れず、娘の人身売買が頻発しているが、政党はこれをあまり挙げない。当時の犬養に、貧農救済の妙案はなかったのある。
といっても、地方の惨状を把握していても(しかもそのような地域出身であるからこそ)若手将校達に、欧米列強の動向を察知するだけの能力はなかったようだ。
かかる問題意識、バックボーンの差異がある以上、両者に話し合いの成立する可能性はない。まして、話せば判るはずもなかった。さらにこの齟齬は時代が移っても続く。
 戦後、この事件は、軍国主義者の暴力的政治介入だということにされ、政治家の無能は言わず、軍人ばかりが責められることになった。社会主義革命は、暴力的であっても肯定的に語られたのに、である。
 犬養の孫娘は、評論家としてマスコミに登場した。他方、若手将校の親類縁者は、肩身の狭い思いをして、一生を終わった。一方若手将校の親戚で、マスコミに登場する者が少なかったのは、一に、マスコミの時代への迎合。二に、若手将校の親戚に、それほどの力を蓄える余裕がなかったことに尽きる。彼らの多
くは、貧しい農家の二男三男であった。
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ちなみにこの年の流行語は「馬鹿は死ななきゃ直らない」である。(この文章は少しバイアスがあるみたい)
なお、もう一寸ドキメンタリー的に話すと、このような記載もある。
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午後五時二十七分、一台の自動車が永田町の首相官邸にすべり込んで来た。車から降りたのは、海軍の三上卓中尉、黒岩勇少尉、陸軍士官候補生三人である。彼らは警護の村田巡査部長らを拳銃で脅すと日本間にいた犬養総理の前に現れた。抵抗する田中巡査の腹部に弾丸を撃ちこむと、三上が犬養に拳銃を向けた。犬養は、
「あちらで話をしよう」
と将校たちを食堂の隣りの十五畳の日本間に案内した。
「話を聞こう」
と煙草を手にした犬養に、三上は、
「かつて張学良の倉庫の中から、学良が日本に送った大金の領収書が出て来たが、その中には犬養総理のものもまじっていたという。事実はどうか」
と問うた。
「ああ、そのことか、それならば話せばわかる」
犬養がそう言ったとき、裏門から入っていた山岸宏中尉が、
「問答無用、撃て!」
と叫んだ。
黒岩が発砲し、犬養は左頬と右こめかみに二弾を受けて倒れた。 犬養は出血の為午後十一時二十六分死去した。
三上ら青年将校十八名は、その日の内に憲兵隊に自首した。その大官暗殺の名目は“昭和維新”であり、君側の奸を屠り、国民の敵たる腐敗した既成政党と財閥を倒し、新しい日本を創ることであった。(松本清張 「昭和史発掘(4)」  P.260)
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多面的で正確な報道がされていたかの疑問はさておき(それは将校寄りの記事も多かったという)でも・・・犯人たちに国民の共感(100万を超える減刑嘆願書)があった事実は知らなければならない。
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(3) バカの壁
ご存知 東大名誉教授 脳外科の権威養老先生の本です。持っている人おおいでしょ。
ある意味彼の本にしては口調が軽かったのは、口述筆記によるものらしい。で当然いろんな人の書評をもってきた。自分がいっても伝わるのかの議論をしているのに自分の主張をさきにもってくるのも変だろう。
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(A)『わかるひとにはわかるし、わからないひとにはわからない。話せばわかるは嘘である。』といったくだりがある。そもそもこの本も誰でもが何度も読めば分かるものでもない。あえて言えば、本の最後の方に出てくる一元論を否定するところに先生の哲学があるのではないかと思う。
本書の中でいろいろと説明されていることは、理解ということの先に存在する、すべての「壁」(管理者注:「限界」といってもいいかな)というものについて、示唆しているものだと思う。私たちは、絶対の真理とか、絶対の正義とかというものの存在を信じ、判断のよりどころとする場合がある。しかし、本書はそのことについて反省を促すものであると思う。
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(B)本の随所に、人の意表を衝くような・あるいは鋭い指摘が散見される。
常識について。ピーター・バラカン氏「日本人は、“常識”を“雑学”のことだとおもっているじゃないんですかね」と言った言葉を、まさにその通りだと言い、常識とは、「誰もが考えてもそうでしょ」と。と説く。私も、常々思っていたことであった。
「「個性を伸ばせ」という欺瞞」や「万物流転、情報不変」という章も、非常に逆説的だが、よく読むとこちらが、本当は当たり前なのであり、自分らの考えが転倒してしまったことに気づかされる。 (変わらないと思っている)自分達も、日々変わっている。また万物は変化している。そして本当は、変わらないのは、一度何らかの形で情報化された情報である。(理系なら:数値化データ 文系なら過去データの分析結果でしょうか)
 氏は、「個性を伸ばせ」という考えの欺瞞性、もっと大事なものを指摘。「それより、親の気持ちがわからない、友達の気持ちがわからない、そういうことのほうが、日常的により重要な問題。これはそのまま「常識」の問題につながります。それはわかり切っていることでしょう。その問題を放置したまま個性と言ってみたって、その世の中で個性を発揮して生きることができるのか。他人のことがわからなくて、生きられるわけがない。社会というのは共通性の上に成り立っている。人がいろんなことをして、自分だけが違うことをして、通るわけがない。当たり前の話です。」と鋭く現代日本の風潮を批判。
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ううん。ONLY ONEになっても誰に対してのONLY ONEか訴求できない状況でで意味があるかということかな。それは感じるな。しかしそういうのが目に付く現状もあるのですよねえ。ONLY ONEになっても、実は壮大な深遠を感じる、故赤尾敏氏を評価することは、明治のバックボーンから来ているというところまで付加読みしないとわからない。従ってこの解釈は、相当難解な理論構成を踏んでいることは読者は注意されるべき。
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(3)「教育の怪しさ」の章では、「反面教師になってもいい。嫌われてもいい、という信念が先生にない。」なぜそうなったか。今の教育というのは、子供に顔が向いていないということ。 よく言われることですが、サラリーマンになってしまっているわけです。サラリーマンというのは、給料の出所に忠実な人であって、仕事に忠実なのではない。職人は、仕事に忠実じゃないと食えない。自分の作る作品に対して責任を持たなくてはいけない。」
 これはやはり言っても、立場の違う人・サラリーマンには、わかった、と表面的に言っても、本当はわからない可能性があるのだろうな。
 その他にも、キリスト教世界とイスラム教世界の一元論的世界の危うさ、日本もだんだんと一元論化してきたという指摘。オウム真理教に多くの東大生などが惹かれていった理由。衝動殺人犯と連続殺人犯の脳から見た解剖学的分析など、面白い話が沢山書かれている。
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時代が変わってデータ、資料、報道の蓄積化が進んでいる。資料を多面的に見ることで人は、このものの考え方・着眼点・問題点を意識する。そして3次元立体像を意識している。3DCADのビューアーは、普通3Dを2Dというディスプレーでみせることになるから、頭中の「演算」装置を駆動して多面的な作業を強いられているわけ。CAEとか切削シミュレーションもそう。けれど多面的に、違う解釈をすることをしなければ3DCADは使いにくいものである。
このように考えていくと私は、言いたいことの伝わらないことは、
(1)情報化された情報は変わらない。変わるのは受け取る人間である。
(2) そのように変わることに気がついて情報を多面比較する能力が必要。
(3) それを知ってから、真の事実を把握する作業能力が必要
と集約されるのだと考えている。
といってその努力はどんな方法が?
--------------------------引用
 「話せばわかる」と言うには、まず第一に、話す本人が、何を言いたいのか、わかっていなければならない。
 実は、この自覚のない者が甚だ多い。この手合いは、どこかで聞きかじった怪しい知識と勝手な思い込みを繋ぎ合わせて話しているだけだから、本当は、自分が何を話しているのか、よくわかっていない。こういう輩は、罵倒するか避けるのが定石である。ところが、世の中には、そうもいかない職業もある。知りたければ、サポートセンターの秘密を覗いてみるが良い。たかがコンピューターの操作についてさえ、自分が何を話しているかわからない輩が多いと知れる。話題が、社会、経済、人生に及べば、この手の輩が増えることは必定である。

何はともあれ、世は、「話せばわかる」時代になった。おかげで、説明会に公聴会、学級会に懇談会と、話し合い全盛である。私の思うところがわかる者は、出席者の中に一人いれば上等、二人いれば万々歳である。たとえ委曲を尽くしても、それ以上に増えるとは思わぬから、もし、出席しても、発言することはない。
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だから私は、むしろ学会に聞きに行くと大概質問する。(質問者の多いときは除く)それは相手の行っていることの齟齬の補正、相手の言っている事項が同じレベルかの確認。
以前ある会議で
(デ)パンタグラフの先端に、振動制御装置(アクティブダンパー)を附けて効果があったということであるが、従来型のものに対して摺動部(シュー)部付近の架線に追従する部分の増加は2キロ以上あり、単純な重さのことを考えたものの中間データが必要である。それを考えると、私の見解ではたとえばダンパー位置を変えることによってすこし効果は低減するかもしれないが、相対的に上がるのではと考えます。その視点の得失の定性的分析はされましたか。
(講)やっておりません。
(デ)それ結構大切なことと思いますよ、20000V交流電界の誘導性能変動も必要ですがどっちが先というぐらいに。
(講)当社はゴムメーカーでして残りはJR総研さんのご指導によります。ですから・・・
(デ)ありがとうございました。(あーあ)

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だからわたしはこうする。
何はともあれ、世は、「話せばわかる」時代になった。おかげで、説明会に公聴会、学級会に懇談会と、話し合い全盛である。私の思うところがわかる者は、出席者の中に一人いれば上等、二人いれば万々歳である。たとえ委曲を尽くしても、それ以上に増えるとは限らぬから、出席して、発言し、目線を落として話を聞く自分と、自分の意見がどうかを2層に考えることにより、今までの考え方のリビルドを図る

人間は、2つの眼を持って生活している(大概は)。虫は複数眼を持っているから視野は広いが解像度は低いとか。どっちもひつような視野なのである。少なくとも「わかること」「わからんこと」ぐらいの判断は裁定するべき。しかも多面的に。
もってる素質のレベルで、こちらも話し方は変えなければ理解してもらえないという当然の結論なのだが。
聖パウロの言葉がも人々に理解されなかったとすれば、相反した基板認識自体が逆だとみるべきであろう。一神教を多神教にもっていっても。バックボーンがちがうから、相手の耳には響かない
なお私は常識を雑学とは全く別物だと考えている。雑学は組み合わせて知識にはなりうるが、もう何段かSTEPを上らないと常識にならない。また常識をたくさんあわせても、それは常識である。

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コメント

>なお私は常識を雑学とは全く別物だと考えている。雑学は組み合わせて知識にはなりうるが、もう何段かSTEPを上らないと常識にならない。また常識をたくさんあわせても、それは常識である。

この発想はパリ条約にて認められた特許法の基本的考え方に依存しています。従って問題があっても現状はこうだとしかいえません。

投稿: デハボ1000 | 2006年10月 9日 (月曜日) 16時17分

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