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玉川上水脇

仕事も一山超えたので、展示会3件に行って、本屋で探し物をして、役所に相談にいってきた。(コンサルタント業務の面接)
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私は、元々ヒートアップの遅い人間で「5時から男」とか言う人もいた。別に遊ぶわけでない。PM5時ごろになると俄然仕事のテンポが上がり、書面などを書き込み始めるからである。もちろんこれには理由があって定時の間はやれ打ち合わせだ、来客だ、納品だということが絶えないためである。おまけに定時後に実験したりする場合は、常に危険が伴う。更に結構な時間までかかって仕事をしておかないと明日が不安で仕方がない。ただ、そのスタイルを他人に押し付けることはなかった。
ただ大概の場合、翌日出社後に、原稿・図面などはゆっくりとは再検査していた。そういう雰囲気でかくと誤謬も多い可能性があるからで、さめた頭でないとCHECK出来ないからである。夜中、一人でドラフター(製図用具)を前にして図面を書き、計算書を書き込み、同僚への指示項目をまとめたり、積算業務をしたり、文献を読み倒した
りするのは、邪魔されずにできるので好きだった。そういう意味ではCADは楽な分、あまり好きではない。
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転職後、一応管理職になって、研究業務計画や手法を一緒に考えるという立場になったが、そのときは勤務時間中ずーっとヒートアップというか「ドーパミン」が始終でていいたのだろう。当然、会議もあるし、来客もあるのだが、それではなくて、仕事途中で「すみません。伝票の確認とサインをお願いします」とかいうのがあるから、いつも切り替える用意をしておかなければならない。時に調子を崩すこともあった。また、同僚の困りごとを察知し、技術文献の探し方を教えたりというフォローも必要であり、それがわかってもらえると、喜びを共有するというわけで、やりがいはすごくあるのである。しかも、いつでもなんでも対応できるよう臨戦態勢・即断即決を必要とする。しかしそれは体が許さなかった
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AM8時からPM11時まで緊張を持続するのは私の体力ではかなりきつかった。会社の門を閉めて、コンビニで弁当を買って、(単身赴任先に)かえる途中に突如疲れが襲ってくるのである。それは恐怖でもあった。
運動をしてみたらといわれるが、それの疲れはいつも明らかに月曜日にくる。寝込んでしまう。それだったら、前日に酒を飲んで、マスターや気の利いた女の子と話をするほうがましだった。趣味活動もあまり動けなくなり、うどん巡礼+電車のたびをナビをしてくれる仲間と行ったくらいかな。
大体ヘロヘロで会話などしていたら、結構直感的な思い込みからぬけないこともある性格でもあるし。
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赴任先の近くには玉川上水が流れていた、多摩川の支流から羽村で取水している。青梅付近は扇状地であるため地下水の質もよく、事実この地の上水道は井戸水だった。
勤続年数の長い人に聞くと「玉川上水は土手や底を粘土で固めて漏水しない様にしてある。事実、近年それを知らずに掘った業者があり、礫状態の川底の下の地盤に水が全部吸い込まれて川下に流れなくなり、困ったこともあるそうだ。」とか。
この話を聞きながら私は、なぜかこんな言葉を思い出した。川下に流れなくなる・・・・駐車場にて死んでいた子猫なぞを想像しなかった。
リストカット
当時、WEBでお話する人にそれをする人がいた(女性)けど翌日には、メールで「昨日よるリストカットしちゃった。」というメールがきたりする。そこで私はこう書いた。「生きていてくれてありがとう」 たこ八郎の座右の銘「迷惑掛けてありがとう」のもじりである。(彼も水死したが)またもっと玉川上水の位置としては下のほうになるが、太宰治の入水自殺というのもある。
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閑話休題「40代になると仕事のやり方を変えなければ、生きていけなくなる」という人が多い。私の場合もそうである。自分の仕事を見直すことが必要だったのだ。いまはそう思って天命となる仕事に打ち込むことになろう。
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昨日珍しく映画を映画館でみてきた。UDON」。内容はともかくとして(ネタ本を読んでるだけに)、主人公の父(うどん職人)役(木場 勝己)が寡黙に・律儀にうどんを打つ、そして仕事場にて脳溢血で亡くなる。そのつらさを家族に転嫁してしまうのはいやだけど、こういう、地道にこつこつと歩くことも、いいのだなと思う。私は、天命に従うのみである。
今日も多分玉川上水は変わらず流れているのだろう。

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コメント

こんにちは。大学が小金井にあったもので、玉川上水沿いは陸上部の練習コースでした。玉川兄弟や太宰治のことを知ったのもその頃でした。

「40代になると仕事のやり方を変えなければ、生きていけなくなる」>そうですね。私もあと2年なので、いろいろと考えることもあります。

投稿: KADOTA | 2006年9月16日 (土曜日) 20時52分

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