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心のプラットホーム

娯楽、特に笑いの本質というのが、国ごとに違うのは、皆さんなんとなく連想が附くでしょう。その理由は蓄積された倫理概念、時代経過内容の国民の累積・・・という倫理的な問題があるんだろうなと思いますが、なかなかわかってそうでわからないものです。
たとえば、アメリカンジョークは日本では「傲慢」な笑いにしか取られないことがあります。それはある意味他人をこき下ろすことによって笑いを取り、またそういう世界であることも「他人」が承知して、時には反論してという、狩猟民族の一つの形態である機構が容認されているからこそです。それをうまく生かすルー大柴氏などもいるんですが、彼に対して好き嫌いが分かれているのは日本人的、和を以って尊しと為す(by 聖徳太子)処にあるんではないかと思います。もちろん「和を以って尊しと為す」という概念自体も全世界にあまねく普及できるかは、残念ですが受け付けない文化もありでしょう。
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比較的「儒教」という面でまだ共通の概念が持ちえている日・中でも、こんなことがあります。
(概略引用:落語的笑いのすすめ 桂 文珍 新潮文庫刊 P22~   これは慶応大学文学部の講義録である)
小噺。
あるところにおじいさんが居た。その息子と息子の妻がおりまして、子供が漸く生まれた。子供は言葉が遅かったのだが、最初にしゃべった言葉は「お母さん」。ところが翌日お母さんが突然亡くなってしまう。大変なことになった。
数ヵ月後、こんどは「おじいさん」と子供がいった。すると翌日おじいさんが亡くなってしまった。
更に数ヵ月後、こんどは「お父さん」と言った。
お父さんは今度は私の番だ、明日が私の命日かと悩んだ。
翌日隣家の男が亡くなっていた。(笑

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この話は言語を超えて楽しめる話ですが、アジア的な部分があります。アメリカ人の前でやるとみなさん笑いません。「最初にしゃべった言葉は「お母さん」。ところが翌日お母さんが突然亡くなってしまう。」この段階で「Oh、No」。おじいさんの時は、もっと激しい身振りをする。「翌日隣家の男が亡くなっていた。」となると、それは大変なことだ・・・となってしまう。
(中略)
中国の公安局に取材で行った時の接待の席で、担当者にこのような話をしますと言ったら、通訳が入って来て話をちゃんと訳してくれた。しかしクスッとも笑わない。困っていたら、そのうち公安局の職員同士で中国語でワイワイ言い出した。どうしたのかと通訳さんに聞いたら、「今、犯人はだれかでもめているんです」(笑)
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この話はその後、公安局の職員の一人が、文珍氏が全く予想だにしなかった、血縁関係の解釈を披露するという落ちがあり、それなりに場が和んだという話ですが、このようにプラットホームが違うと一寸のことで違うものです。こればかりはユニバーサルデザインの着手が難しいというところがあります。
こういう見方をすると、工業倫理も医療倫理でも、そこのバックボーンを違えると理解が困難になるというわけであります。たまたま、医療倫理というのは堅実な日本人の思考と、儒教なり、神道なり、仏教なりの伝承に支えられて最近までやってきた地盤があるのだが、これも今、かなり激しく崩壊(崩落かも)しているという現実があります。
そこで、工業倫理というものを今導入するに当ってですが、世界的に視ても彼の地下鉄サリン事件」(1995年)というのがこの研究のトリガーになっているという、非常にいたたまれない現実があります。そこで、1997年から2002年にかけて、わが国でも学会倫理規定の設定とかの明快な規定作成がが急速に進むことだったり、研究書が翻訳されたりとか言うことが進んだわけです。ただ、やっぱり欧米の研究者の解釈と日本の研究者の間には相反する見解がある。はっきりいうと米・英・独・仏でも間逆に解釈していることがある。あって当然といえばそうですが、これをまだ未完成な分野だから・・・という議論で収めてしまっていいのでしょうか。

私は、これは、どんなに研究をグローバル化を進めても、決して確立した理論は出来かねると考えました。日本企業が諸外国に行って、工場を作り、生産して、品質を確立するということを考えても、日本のものを導入して素直に持ち込んでくれる場面、日本の考え方では私たちの勤労に対する概念と合わないという場面は、かなりの会社で苦労していると聞いています。
一例ですが、品質向上のための職員啓蒙訓練をQC活動と言います。みんなでわいわいがやがややっているのを聞きますが、元々はアメリカのデミング博士が日本に導入したものです。ですが、この活動についての考え方は以下の職務拘束時間の考え方で相反する結果になるのです。
日本:職員の自主訓練であり、定常業務でない。定時時間外でも、過剰な拘束で無い限り拘束時間は業務時間と認めなくて良く、賃金支払い責務が生じない
欧米:職員の必須訓練であるが、定常業務でない。しかし定時時間外であり、かつ定常業務でないからこそ拘束時間は業務時間と認められ、賃金支払い責務が生ずる

こうなると、その内容を過去の歴史とか思想家の見解に頼るより、その土地・場所・環境・風土を取り込み、筋道を立てた思考訓練を行うことによって、最適な結果をその時々で得る訓練を行うこと、または最適結果を探索するためのノウハウを習慣つけて企業で活躍するなりすることが、これから実業界で活躍される各位にとって見れば有用と思うのです。従って、本当なら「工業倫理演習」という実践演習手法が有用なのだと思っています。
案外言われなかったことですが、大東亜戦争の時敵艦に飛行機や人間魚雷を突っ込む手法をとった日本人を、欧米人は「JAPANESE IS CRAZY」といって笑った。なにあろう、そういう思考訓練をすること自体理解できなかったのだろう。従って日本人の教育訓練全体が戦後矯正されたという側面はある。その正否は問う必要はないし、そのような考えもあってしかるべきという見方を与えた戦勝国に対し、批判することは出来ない。
しかし、このアクションがなにも日本人の専売特許でないことを確実に世界に植えつけたのが、2001年の9.11 世界貿易センタービル倒壊である。東京大学工学部中尾教授は自著「失敗百選」にてこう書いている(P350)。
死ぬ気になれば何でも壊せる。自爆すればよいのだから。
なんかアントニオ猪木氏がいってそうなせりふだなあ(苦笑))
もちろんテロの場合はよくある事例ではあったのだが、この報道(現象・現実)があまりにも世界の人民に対するアピールとして顕著であった。
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話を戻すか。
寄席・芸事に関して非常に知己のある方として神津友好(コウズトモヨシ)氏がいらっしゃる。
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1927(昭和2)年、長野県生れ。放送演芸作家。’47年上智大学新聞科、’50年法政大学英文学部、各卒。日本放送作家協会理事、文化庁芸術祭審査委員、芸術選奨選考委員、NHK新人演芸大賞審査員、東宝名人会企画委員、花王名人劇場プロデューサー、三越名人会企画委員、など歴任。2000(平成12)年、文化庁長官表彰
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特に「初代林家三平」について、その芸風と能力に対しての評論が著名である。また諸芸(色物)を含めた演芸のプロデューサーとして活躍されている。
2002年ごろだったか、この方の講演を聞く機会があった。営業トークに対する研修の一環であったと思う。勤務部署にたまたま落語に造旨が深く、当の本人も素人落語をする方がいらっしゃったのでその縁と聞いている。
この人のプロデューサーとしての資質はTVよりも演芸会などの寄席・ホールでのほうが引き立っていると私は思う。たとえば、三越名人会で意図的に落語抜きの名人会をされたことがある。(関西のように漫才中心の構成ではそこまで異色ではないが)
牧 伸二のウクレレ漫談(当時彼は病み上がりだったはず)と梅后流「江戸芸かっぽれ」を一緒に流したというのは、かなり異色である。サンバの合間にテーブルスピーチをするようなものであるのだ。しかも階級意識の強い江戸では「土間芸」として同じ舞台を踏むことが無かったらしい。
余談だが、こういうことはちょこちょこあったらしく、以前は講談と落語がこのような関係で、これを憂いた初代快楽亭ブラック(明治末期の英国人・・英国領オーストラリア生まれの落語家)は、席亭と談判し日本人の講談師と英国人の落語家(ブラック)中国人の奇術師の3人で興業を打った。題して「日中英 三国演芸大会」(爆笑)けどこれで講談の地位があがったそうな。
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さて
http://homepage1.nifty.com/kappore/   の内容を読んでみると、
「かっぽれ」の起源につきましては、「かっぽれ」の名で記事がでた元治2年(1865年)頃と思われるが、「かっぽれ」が踊りとして完成されたこの頃が「かっぽれ元年」といえるかもしれぬ。「かっぽれ」を作るきっかけは、天保の改革に際し、天保13年(1842)11月、願人坊主の住吉踊が禁止されたことにあると思われる。明治時代となり、「かっぽれ」は爆発的な流行となったが、歴史的な経緯もあり、社会的な地位も低く、歌舞伎などと異なり公的に認められたものではなかった。(中略)
地元、台東区が毎年夏に主催するサンバ・カーニバルに、ブラジルのサンバに負けない、日本の踊り「かっぽれ」として早くからこの催しに参加していた。「かっぽれ」のサンバ・カーニバルへの参加は、バレードヘ参加となる。昔、大道芸として道路で踊ったときも、「かっぽれ」は歩きながら踊ったわけではない。豊年斎梅坊主伝来の「かっぽれ」を、歩きながら踊り、なおかつ、皆さんに本物の伝統芸能「かっぽれ」を見て頂くにはどうしたら良いか何度も手直しを行い、パレードにも対応することができる、歩きながら踊れる「かっぽれ」、「歩くかっぽれ」ともいえる踊りを振り付けた。結果、限られた観客の皆さんに見ていただく舞台の「かっぽれ」から、パレードにより沿道の、より多くの人々に見ていただき、喜んでいただける「歩くかっぽれ」となった。
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これはいまさらであるが、
牧 伸二(まき しんじ、1934年9月26日 - )は、東京都目黒区出身のお笑いタレント、ウクレレ漫談家(一時期ギターを使ったり、レゲエアレンジをしたりしたこともある)。本名、大井守常。
1934年9月26日、東京都目黒区にて生。その後、ラジオ東京(現TBSラジオ)の番組「素人寄席」に出演し、9回連続して名人となったことから、1957年、漫談家・牧野周一に入門。牧伸二の名前を襲名。
1960年、ウクレレを奏でながら歌うボヤキ漫談「やんなっちゃった節」が大人気となる。喜劇映画・バラエティ番組などにも数々出演。
1963年、NETテレビ(現テレビ朝日)の演芸番組「大正テレビ寄席」の司会者となり、以降・15年間続くテレビ朝日の長寿番組となった。
1965年には、第2回日本放送作家協会賞「大衆芸能賞」を受賞。
1999年、東京演芸協会会長に就任。
2003年、文化庁長官賞を受賞。
趣味は絵画(アクリル画)。また泉ピン子の師匠。東京の大衆演芸を代表する一人。
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ビートたけしにして「漫談としてすごい人といったら、牧 伸二・ ケーシー高峰・綾小路きみまろ」と言わしめた由。(唯自力で売れる手段を開拓したという意味らしい)
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さて、彼の講演は、如何に人を和やかにするための話芸は・・という話であったが、このあと質問コーナーで、ある人がこんなことを聞いた。
質「世界情勢が不安定な折ですから、世界各国の演芸を集めて一堂に会するというのができればいいんだがと思っていました。どんなものでしょう。」
神「・・・うんそうなんですよね。そうするようにやってみたいですね。」

実は、そんなことができるものでないと私は上述の理由から思い込んでおり、神津氏の発言が最初、納得いかなかったのである。ただ、その後、彼がはじめに口ごもったのは、この辺でネガティブな発言はするべきではないというのと、難しさを理解してもらうためには前提条件なども含め、短時間の回答では一寸難しすぎるとおもったような気がしてきた。
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とにかく、倫理概念の難しさというのが、基本的にその人の属する社会・地位・職務・伝承・宗教などの属性を抜きにして考えられず、さりとてそれを抜きにして理解してもらえずと言うところである。最近の書物に、人の知識・認識の99.9%は思い込みで出来ていると言っている本があるが。(まだよんでいないものの)かなり近いラインなんじゃないかなと勝手に思っている。従ってなおさら、工業についての解釈・ひいては産業と言うものの解釈も属人とまではいかないものの属社会的要因があると考えていいと言えるのではないか。
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最後に、悲しくなったことを1つ。
地下鉄サリン事件の2日後だったか、上九一色村(当時)のオウム真理教本部の一斉捜索が行われ、中で兵器類を作っていたと思われる建物(サティアンという)から大量に汎用工作機械などが押収された。何気なくTVを視ていたら、いろんな機械が出てきたようであるが、その中に空気圧縮機があった。An社のが何台 Ho社のエンジン付が何台 Hi社のが何台・・・中古の大型機を買い集めたようである。すでにこの段階で自分たちが設計・製造した空気圧縮機が出てきてたのだが、とどめは、たまたま自分が図面を引いた圧縮機が最後に出てきたとき、口がふさがらなかった。僕達はなにも悪いことはしてないはずであったのだが。

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コメント

私も、勤務先で作って某国に輸出した製品が内戦勃発で民兵に使われているニュース映像を見たことがあります。
人間活動の役に立つものは悪事にも役に立ってしまう。殺傷兵器は別としても、それが「道具」というものの本質かもしれません。

ところで「啓蒙」の「蒙」という字はもともと「盲」の意味なので、いまは「啓発」と言ったほうがいいそうです。
確かに「啓蒙」という言葉には、優れたものが劣ったものに(知恵を)施すというニュアンスがなくもないですね。

投稿: TX650 | 2006年9月30日 (土曜日) 12時28分

啓蒙としても啓発としても、どちらとも言える文章です。QCサークルじたいの扱いは、書籍では工学(工場経営)と自己啓発の両方で扱っています。
従って、職員啓蒙 自己啓発どちらの解釈もあり、この場合はどちらの意味も含んでいるので、訓練とのみ表記します。

投稿: デハボ1000 | 2006年10月12日 (木曜日) 18時42分

そういうQC活動の意味論もありますが、それ以前に「啓蒙」=「啓盲」ということば自体が障がい者差別のニュアンス、即ち視覚障がい者は人間として劣ったものという意味を含んでおり好ましくない、と申し上げたかったのですが。

投稿: TX650 | 2006年10月12日 (木曜日) 22時26分

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