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2006年9月の記事

心のプラットホーム

娯楽、特に笑いの本質というのが、国ごとに違うのは、皆さんなんとなく連想が附くでしょう。その理由は蓄積された倫理概念、時代経過内容の国民の累積・・・という倫理的な問題があるんだろうなと思いますが、なかなかわかってそうでわからないものです。
たとえば、アメリカンジョークは日本では「傲慢」な笑いにしか取られないことがあります。それはある意味他人をこき下ろすことによって笑いを取り、またそういう世界であることも「他人」が承知して、時には反論してという、狩猟民族の一つの形態である機構が容認されているからこそです。それをうまく生かすルー大柴氏などもいるんですが、彼に対して好き嫌いが分かれているのは日本人的、和を以って尊しと為す(by 聖徳太子)処にあるんではないかと思います。もちろん「和を以って尊しと為す」という概念自体も全世界にあまねく普及できるかは、残念ですが受け付けない文化もありでしょう。
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比較的「儒教」という面でまだ共通の概念が持ちえている日・中でも、こんなことがあります。
(概略引用:落語的笑いのすすめ 桂 文珍 新潮文庫刊 P22~   これは慶応大学文学部の講義録である)
小噺。
あるところにおじいさんが居た。その息子と息子の妻がおりまして、子供が漸く生まれた。子供は言葉が遅かったのだが、最初にしゃべった言葉は「お母さん」。ところが翌日お母さんが突然亡くなってしまう。大変なことになった。
数ヵ月後、こんどは「おじいさん」と子供がいった。すると翌日おじいさんが亡くなってしまった。
更に数ヵ月後、こんどは「お父さん」と言った。
お父さんは今度は私の番だ、明日が私の命日かと悩んだ。
翌日隣家の男が亡くなっていた。(笑

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この話は言語を超えて楽しめる話ですが、アジア的な部分があります。アメリカ人の前でやるとみなさん笑いません。「最初にしゃべった言葉は「お母さん」。ところが翌日お母さんが突然亡くなってしまう。」この段階で「Oh、No」。おじいさんの時は、もっと激しい身振りをする。「翌日隣家の男が亡くなっていた。」となると、それは大変なことだ・・・となってしまう。
(中略)
中国の公安局に取材で行った時の接待の席で、担当者にこのような話をしますと言ったら、通訳が入って来て話をちゃんと訳してくれた。しかしクスッとも笑わない。困っていたら、そのうち公安局の職員同士で中国語でワイワイ言い出した。どうしたのかと通訳さんに聞いたら、「今、犯人はだれかでもめているんです」(笑)
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この話はその後、公安局の職員の一人が、文珍氏が全く予想だにしなかった、血縁関係の解釈を披露するという落ちがあり、それなりに場が和んだという話ですが、このようにプラットホームが違うと一寸のことで違うものです。こればかりはユニバーサルデザインの着手が難しいというところがあります。
こういう見方をすると、工業倫理も医療倫理でも、そこのバックボーンを違えると理解が困難になるというわけであります。たまたま、医療倫理というのは堅実な日本人の思考と、儒教なり、神道なり、仏教なりの伝承に支えられて最近までやってきた地盤があるのだが、これも今、かなり激しく崩壊(崩落かも)しているという現実があります。
そこで、工業倫理というものを今導入するに当ってですが、世界的に視ても彼の地下鉄サリン事件」(1995年)というのがこの研究のトリガーになっているという、非常にいたたまれない現実があります。そこで、1997年から2002年にかけて、わが国でも学会倫理規定の設定とかの明快な規定作成がが急速に進むことだったり、研究書が翻訳されたりとか言うことが進んだわけです。ただ、やっぱり欧米の研究者の解釈と日本の研究者の間には相反する見解がある。はっきりいうと米・英・独・仏でも間逆に解釈していることがある。あって当然といえばそうですが、これをまだ未完成な分野だから・・・という議論で収めてしまっていいのでしょうか。

私は、これは、どんなに研究をグローバル化を進めても、決して確立した理論は出来かねると考えました。日本企業が諸外国に行って、工場を作り、生産して、品質を確立するということを考えても、日本のものを導入して素直に持ち込んでくれる場面、日本の考え方では私たちの勤労に対する概念と合わないという場面は、かなりの会社で苦労していると聞いています。
一例ですが、品質向上のための職員啓蒙訓練をQC活動と言います。みんなでわいわいがやがややっているのを聞きますが、元々はアメリカのデミング博士が日本に導入したものです。ですが、この活動についての考え方は以下の職務拘束時間の考え方で相反する結果になるのです。
日本:職員の自主訓練であり、定常業務でない。定時時間外でも、過剰な拘束で無い限り拘束時間は業務時間と認めなくて良く、賃金支払い責務が生じない
欧米:職員の必須訓練であるが、定常業務でない。しかし定時時間外であり、かつ定常業務でないからこそ拘束時間は業務時間と認められ、賃金支払い責務が生ずる

こうなると、その内容を過去の歴史とか思想家の見解に頼るより、その土地・場所・環境・風土を取り込み、筋道を立てた思考訓練を行うことによって、最適な結果をその時々で得る訓練を行うこと、または最適結果を探索するためのノウハウを習慣つけて企業で活躍するなりすることが、これから実業界で活躍される各位にとって見れば有用と思うのです。従って、本当なら「工業倫理演習」という実践演習手法が有用なのだと思っています。
案外言われなかったことですが、大東亜戦争の時敵艦に飛行機や人間魚雷を突っ込む手法をとった日本人を、欧米人は「JAPANESE IS CRAZY」といって笑った。なにあろう、そういう思考訓練をすること自体理解できなかったのだろう。従って日本人の教育訓練全体が戦後矯正されたという側面はある。その正否は問う必要はないし、そのような考えもあってしかるべきという見方を与えた戦勝国に対し、批判することは出来ない。
しかし、このアクションがなにも日本人の専売特許でないことを確実に世界に植えつけたのが、2001年の9.11 世界貿易センタービル倒壊である。東京大学工学部中尾教授は自著「失敗百選」にてこう書いている(P350)。
死ぬ気になれば何でも壊せる。自爆すればよいのだから。
なんかアントニオ猪木氏がいってそうなせりふだなあ(苦笑))
もちろんテロの場合はよくある事例ではあったのだが、この報道(現象・現実)があまりにも世界の人民に対するアピールとして顕著であった。
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話を戻すか。
寄席・芸事に関して非常に知己のある方として神津友好(コウズトモヨシ)氏がいらっしゃる。
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1927(昭和2)年、長野県生れ。放送演芸作家。’47年上智大学新聞科、’50年法政大学英文学部、各卒。日本放送作家協会理事、文化庁芸術祭審査委員、芸術選奨選考委員、NHK新人演芸大賞審査員、東宝名人会企画委員、花王名人劇場プロデューサー、三越名人会企画委員、など歴任。2000(平成12)年、文化庁長官表彰
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特に「初代林家三平」について、その芸風と能力に対しての評論が著名である。また諸芸(色物)を含めた演芸のプロデューサーとして活躍されている。
2002年ごろだったか、この方の講演を聞く機会があった。営業トークに対する研修の一環であったと思う。勤務部署にたまたま落語に造旨が深く、当の本人も素人落語をする方がいらっしゃったのでその縁と聞いている。
この人のプロデューサーとしての資質はTVよりも演芸会などの寄席・ホールでのほうが引き立っていると私は思う。たとえば、三越名人会で意図的に落語抜きの名人会をされたことがある。(関西のように漫才中心の構成ではそこまで異色ではないが)
牧 伸二のウクレレ漫談(当時彼は病み上がりだったはず)と梅后流「江戸芸かっぽれ」を一緒に流したというのは、かなり異色である。サンバの合間にテーブルスピーチをするようなものであるのだ。しかも階級意識の強い江戸では「土間芸」として同じ舞台を踏むことが無かったらしい。
余談だが、こういうことはちょこちょこあったらしく、以前は講談と落語がこのような関係で、これを憂いた初代快楽亭ブラック(明治末期の英国人・・英国領オーストラリア生まれの落語家)は、席亭と談判し日本人の講談師と英国人の落語家(ブラック)中国人の奇術師の3人で興業を打った。題して「日中英 三国演芸大会」(爆笑)けどこれで講談の地位があがったそうな。
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さて
http://homepage1.nifty.com/kappore/   の内容を読んでみると、
「かっぽれ」の起源につきましては、「かっぽれ」の名で記事がでた元治2年(1865年)頃と思われるが、「かっぽれ」が踊りとして完成されたこの頃が「かっぽれ元年」といえるかもしれぬ。「かっぽれ」を作るきっかけは、天保の改革に際し、天保13年(1842)11月、願人坊主の住吉踊が禁止されたことにあると思われる。明治時代となり、「かっぽれ」は爆発的な流行となったが、歴史的な経緯もあり、社会的な地位も低く、歌舞伎などと異なり公的に認められたものではなかった。(中略)
地元、台東区が毎年夏に主催するサンバ・カーニバルに、ブラジルのサンバに負けない、日本の踊り「かっぽれ」として早くからこの催しに参加していた。「かっぽれ」のサンバ・カーニバルへの参加は、バレードヘ参加となる。昔、大道芸として道路で踊ったときも、「かっぽれ」は歩きながら踊ったわけではない。豊年斎梅坊主伝来の「かっぽれ」を、歩きながら踊り、なおかつ、皆さんに本物の伝統芸能「かっぽれ」を見て頂くにはどうしたら良いか何度も手直しを行い、パレードにも対応することができる、歩きながら踊れる「かっぽれ」、「歩くかっぽれ」ともいえる踊りを振り付けた。結果、限られた観客の皆さんに見ていただく舞台の「かっぽれ」から、パレードにより沿道の、より多くの人々に見ていただき、喜んでいただける「歩くかっぽれ」となった。
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これはいまさらであるが、
牧 伸二(まき しんじ、1934年9月26日 - )は、東京都目黒区出身のお笑いタレント、ウクレレ漫談家(一時期ギターを使ったり、レゲエアレンジをしたりしたこともある)。本名、大井守常。
1934年9月26日、東京都目黒区にて生。その後、ラジオ東京(現TBSラジオ)の番組「素人寄席」に出演し、9回連続して名人となったことから、1957年、漫談家・牧野周一に入門。牧伸二の名前を襲名。
1960年、ウクレレを奏でながら歌うボヤキ漫談「やんなっちゃった節」が大人気となる。喜劇映画・バラエティ番組などにも数々出演。
1963年、NETテレビ(現テレビ朝日)の演芸番組「大正テレビ寄席」の司会者となり、以降・15年間続くテレビ朝日の長寿番組となった。
1965年には、第2回日本放送作家協会賞「大衆芸能賞」を受賞。
1999年、東京演芸協会会長に就任。
2003年、文化庁長官賞を受賞。
趣味は絵画(アクリル画)。また泉ピン子の師匠。東京の大衆演芸を代表する一人。
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ビートたけしにして「漫談としてすごい人といったら、牧 伸二・ ケーシー高峰・綾小路きみまろ」と言わしめた由。(唯自力で売れる手段を開拓したという意味らしい)
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さて、彼の講演は、如何に人を和やかにするための話芸は・・という話であったが、このあと質問コーナーで、ある人がこんなことを聞いた。
質「世界情勢が不安定な折ですから、世界各国の演芸を集めて一堂に会するというのができればいいんだがと思っていました。どんなものでしょう。」
神「・・・うんそうなんですよね。そうするようにやってみたいですね。」

実は、そんなことができるものでないと私は上述の理由から思い込んでおり、神津氏の発言が最初、納得いかなかったのである。ただ、その後、彼がはじめに口ごもったのは、この辺でネガティブな発言はするべきではないというのと、難しさを理解してもらうためには前提条件なども含め、短時間の回答では一寸難しすぎるとおもったような気がしてきた。
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とにかく、倫理概念の難しさというのが、基本的にその人の属する社会・地位・職務・伝承・宗教などの属性を抜きにして考えられず、さりとてそれを抜きにして理解してもらえずと言うところである。最近の書物に、人の知識・認識の99.9%は思い込みで出来ていると言っている本があるが。(まだよんでいないものの)かなり近いラインなんじゃないかなと勝手に思っている。従ってなおさら、工業についての解釈・ひいては産業と言うものの解釈も属人とまではいかないものの属社会的要因があると考えていいと言えるのではないか。
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最後に、悲しくなったことを1つ。
地下鉄サリン事件の2日後だったか、上九一色村(当時)のオウム真理教本部の一斉捜索が行われ、中で兵器類を作っていたと思われる建物(サティアンという)から大量に汎用工作機械などが押収された。何気なくTVを視ていたら、いろんな機械が出てきたようであるが、その中に空気圧縮機があった。An社のが何台 Ho社のエンジン付が何台 Hi社のが何台・・・中古の大型機を買い集めたようである。すでにこの段階で自分たちが設計・製造した空気圧縮機が出てきてたのだが、とどめは、たまたま自分が図面を引いた圧縮機が最後に出てきたとき、口がふさがらなかった。僕達はなにも悪いことはしてないはずであったのだが。

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京葉線・変電所ブレーカー不具合?

引用
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京葉線ストップ、変電所ブレーカーの不具合が主原因か[読売新聞社:2006年09月29日 01時06分]
 28日未明にJR東京駅構内で起きた京葉線の電気系統トラブルは、火災が起きた変電所のブレーカーの不具合が主原因である可能性が高いことが、JR東日本の調査でわかった。
 京葉線が通常運転に戻るのは29日正午ごろにずれ込む見通しで、始発から東京―新木場間の運転を中止し、新木場―蘇我間を通常の3分の1に減らして運行する。
 同社によると、28日午前4時20分ごろ、1500ボルトの高圧電流が漏電。東京駅地下2階にある「鍛冶橋変電所」のブレーカーが何らかの不具合で電流を遮断できず、火災が発生。地下1階の信号機器室にある配電盤全体の約6割が焼け焦げ、地下4階のポイント転換装置など20か所も焦げた。
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1500V高圧電流・・ということから架線電流(直流)が突然変電所のブレーカーに掛かったということでしょうな。
機械式ブレーカーは総じて熟成技術であることから、余りMCがないこともあり、このブレーカーは1989製とか言ってますね。というと万に1つの災害が生じ、下流の子供ブレーカーのコイル6割を焼いてしまったわけですね。
ブレーカーの性能云々・耐久性云々は議論しても不毛だからとめましょう。また安全装置を通過してこのシステムを動かしてかつ、こんな状態になったのだから、安全システムの穴があったとはいえるんですけど、このような施設はJR東なら本当にあちこちにあります。私鉄もいれたらもっとですね。(地下にあったというのはいささか特殊だけど)
JR東に不信感を持つということもわかるし、事実近年、故障後の回復に時間が掛かることはなはだしいのは、私でなくてもみなさんお気づきでしょうが、なぜなんでしょうね。
現場を見ていない人間が言う言葉ではない(もしかしたらお鉢が回ってきたりして・・・うそ)のですが、この状態は下記原因も包括されているのではと試案を作ってみました。
(1)電源設備の予防保全が不十分:メンテナンスサイクルを伸ばすということもありました。(2年から3年)そうすると、何百個のブレーカーの中には早めにおかしくなるというものも出るはず。それが、技術伝承できていないか、外注さんに任せきりだったために、上部団体に情報があがっていなかった。また外注さんを使うということは時として経費節減という理由もありそうですが、それらの要員の技能訓練に対し、JR東からもアドバイスを出していたか。さらにいうと、業者の選定に対し、JR東自体がメンテナンスに対する技術的能力を維持しきれていなかったのか。→技能評価基準を明確にする。「予防保全」のシステムを更に確立。
(2)遠隔操作・センサーによる確認体制に依存しすぎていないか:たとえばこの場合、漏水があってピチャピチャと水がたれ始め、漏電にいたったということはある話。そして、個々のサーマルプロテクターまで駆動確認を「手触りで」「頻繁に」しているとはいえないでしょう。このような事実を「現場で視る」視点をセンサーで管理することに依存していませんか。→検査周期の短縮・目視検査体制の確立をISO9000クラス以上で作りこみ、業者に展開。
(3)これはJRにとってたしかにつらいと思うのは、路線長の長さ、及び管理区画を集中にしていることである。過去の事例をみても、現場裁量の重視は社員スキル向上と統制に対して相反するところを持つし、JR自体が新幹線等でノウハウを積んで来ているところは世界も認めることである。しかし、路線長に依存する項目ではなくて、これらは路線の用途(デイリーに使うのか、そうでないのか etc)列車本数や混雑のばらつきなどの要因も大きいという問題は案外大きいのである。京浜急行電鉄の遅延復旧の手早さは特筆すべきものであるが、それは、JRと道をたがえて、独自裁量に任せたこと、すなわち短区間の運行調整を現場裁量にし、統括をさらにするという、重層構造があると見ている。JRもまた最近は小田原-高崎とかいったおもっいっきり長距離の運用もまた増えてきているし、それに対する費用はだしているなあ・・とは思う。しかしそれでもやっぱり起こるのだから。→運行調整システムに関して、管理を現場・線区・統括の3重構造にし、各部署の裁量範囲を按分よくするべきではないか。
怪我などがでなかったのは幸いである。(あまりの混雑に足をくじいたとかいう赤チン災害はいてもおかしくないですけど)しかし、重厚長大なのんべんだらりのシステムを20年絞り上げてきて、がんばったものの、ここにきて均等な絞込みが出来ず、一部のところにしわ寄せが出てきていると思う。
最後に、これは交通計画の遠大なる視点が構築できなかったという過去トラブルの反省であるが、武蔵野線から京葉線に流れる乗客がかなり多くなり、無視できない量になっている。今回も西船橋でかなりトラブルがでたようであるが、リスク回避の面から、あくまで非「常用」として西船橋(と綾瀬)は快速線のホームを経営資産とは別口で、国家予算などの名目でいいから作るべきと思う。

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夢の跡/ドリーム

奈良ドリームランドが無くなった。横浜ドリームランドが無くなってもう5年ぐらいたつ。夢が2つとも、いや3つ消え去ったのであろうか。
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横浜ドリームランド(よこはまドリームランド)は、神奈川県横浜市戸塚区俣野町で営業していた遊園地。日本ドリーム観光株式会社の手によって1964年8月1日に開園し、2002年2月17日、経営悪化のため閉園した。兄弟的存在である奈良ドリームランドが先に開園していたが、当初は東京近郊に建設する計画であったため、奈良に次いで、横浜ドリームランドが開園した。日本ドリーム観光がダイエーに吸収合併された際には、引き続きダイエーと、その子会社であるドリームパークによって運営されていた。
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私の家から、ここの観覧車はよく見えた。一種のランドマーク的存在で、人様にも
「どちらのほうにお住みで」
「ドリームランドから2キロぐらいですかね」
「渋滞で大変でしょう」(後述)
「そうなんですよ。プールのある夏季にえらいことになったことがあります」
・・・
で説明がつくぐらいであった。
また子供と一緒に観覧車に乗ったこともある。高い景色は気持ちがいいのだが、観覧車の骨組みのあちこちで地肌の鉛丹ペイントが剥げはじめているのに気がついたら・・・むしろそっちのほうが怖くなってしまった。
先日地元商工会で、最後の「運営部長」にお会いした。部長といってもいろんな設備・装置の運転・保守を担う人で、総員のかなりの部分を管理していたようだ。、高校卒業後まじめに働き、まあ最後まで見届けたという人らしい。思い入れがあるという話であった。興にのり、挙句に一緒に最終バスまでご一緒した。(自宅が近所だったのだ)
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「開園」
1964年8月1日、松尾國三率いる日本ドリーム観光が毎日新聞社の後援を受け、横浜ドリームランドを開園した。松尾は「観光立国」を標榜し、かねてから東京近郊での一大娯楽施設を開設する事を目論んでいた。開園当初の横浜ドリームランドは、「日本のディズニーランドを目指す」という松尾の構想に基づき、広大な敷地に遊園地やボウリング場、スケート場、ショッピングモール(注意:商店街である。相鉄ローゼンなども入っている)、ホテル、映画館、そしてアクセス用のモノレールまで用意した、当時の日本国内でも屈指の一大レジャー施設であった。
「斜陽」
開業翌年の1965年には、隣接地に当時日本一の高層建築物であった「ホテルエンパイア」が完成した。さらに翌年の1966年5月2日には横浜ドリームランドと大船駅を結ぶモノレール大船線が開通したが、技術上の欠陥により僅か1年5か月後の1967年9月24日に運行休止に追い込まれ、訴訟沙汰にまでなる。この結果、最寄駅(大船駅・戸塚駅)から距離の遠いドリームランドへのアクセスは路線バスに限られてしまった。(中略)また、東京都内や横浜市街から自家用車で来場する場合も、神奈川県内屈指の渋滞箇所、国道1号原宿交差点を通らなければ(・・・ここで曲がらなければ)ならなかった。この交通アクセスの悪さは、以後閉園に至るまで横浜ドリームランドの致命的なウィークポイントとなった。
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今でもラジオの交通情報を聞くと原宿交差点と戸塚警察署前は渋滞の名所である。当然これと交差する県道も同じぐらい渋滞する。ちなみに、多少の渋滞を考慮しているだろうが、大体、路線バスは戸塚-ドリームランド:所要20分(日中8本/時間)大船-ドリームランド:所要20分(路線は旧道経由なので渋滞を多少回避する 日中4本/時間)の運転である。他にも区間運転あり。
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モノレール休止後間もない1970年代初頭には早くも資金繰りに苦しむようになり、敷地の東側半分近くを売却せざるを得なくなった。売却された土地には、神奈川県と横浜市によって「ドリームハイツ」という名の高層団地が建設された。
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このため皮肉なことに、バスは満員御礼、結果的に運行が確保されていることになる。今でも朝ラッシュ時は戸塚口では2~5分おきである。(但し、盛時よりは減っている。乗車率調査で、バスが多すぎてバス同士で渋滞の原因を作っているとかいう、一寸変な話も耳にした。)当然途中の地域(国道1号線沿い)に団地が沢山でき、一般の低層住宅も増加していることも影響しているのだろう。大船行きでも、やっぱり原宿交差点を渡るから定時間運行が難しい。(但しこちらはまだ住宅地としては目だっては増加してない。新しく私立の学校が出来たことがあって、バスの混雑は少しあるみたい。)
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「衰退」
それでも1970年代から1980年代初頭にかけては、京浜地区で同規模の遊園地が少なかった事から入場者を集め、一時は年間120万人を数えたが、1983年に本家筋とも言える東京ディズニーランドが開園した事で決定的なダメージとなってしまう。(これは想定外でしょうなあ)たちまち客を奪われ経営は急転直下の道を辿る。創業者の松尾國三も翌1984年に死去し、1988年に松尾の盟友で中内功率いるダイエー傘下に入った。
これがまた、程なくバブル崩壊を迎え経営はいよいよ末期的となった。それなのに頼みのモノレール運行再開計画は遅々として進まず、1993年に同じ横浜市内に競合施設となる横浜八景島シーパラダイス(注:私は純粋に競合しているとは思っていない。八景島自体はあきらかにディズニーランドなどと方向性を違えていたので、食い合いが生じたとは考えない)が開園し、少子化やレジャーの多様化が追い討ちをかけて客数は減少を続け、年間入場者は最盛期の約半分程度まで落ち込んだ。1995年には長年開店休業状態であったホテルエンパイアが廃業したが、それでも横浜ドリームランドは、細々と営業を続けた。
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わたしとしては、細々というレベルではありませんね。特に新聞屋さんが持ってくる入場券で何回も通いました。特にプールをやってるときは、周辺道路が渋滞し、バスがまともに動かない状態であった。
思い出すと、盛夏の折、私たちもバスにのって行こうとしたら。バスの運転手が「ダメだよ。今日は。プールの中まで渋滞してるよ。」要するにタダ券の配りすぎで道も渋滞、バスは動けず、プールも満杯である。翌日の朝、バス会社と遊園地の連名で、お詫びの張り紙が各バス停にはられていた。
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閉園
しかし、ダイエー本体の経営不振が深刻化し、銀行側から2002年の内に約100億の負債を処理しない限り今後の融資は出来ない由宣告され、不動産としての資産価値が高い横浜ドリームランドは、営業継続よりも敷地の現金化が得策と判断され、翌2002年2月17日、横浜ドリームランドは37年6か月の歴史に幕を閉じた。跡地は当初、銀行の仲介で中古車流通会社・USSに売却され、同社がこの地でオークション会場として使用する予定であった。しかし、ドリームハイツを中心とする近隣住民は、道路渋滞の増大(もともとこの地が自動車渋滞で慢性的に問題となってることを考えたらわかるであろう)や環境悪化等の原因になるとして、これに猛反対した。
結果
(1)横浜市はホテルエンパイアの建屋やボウリング場を含むを敷地の半分を都築第一学園に売却し、同学園によって2006年に開校された横浜薬科大学の校舎(ホテルエンパイアは教官棟・・・バベルの塔みたい。ボウリング場は、教室・・一部厚生施設としてボーリング場が残っているらしい!)になった。
http://hamayaku.jp/index.html
(2)残る土地を公園・野球場・市営霊園として整備することになった。
(3)隣にあったダイエー系の商業店舗も撤退させた。(もっとも近郊にダイエー系の店舗は多くある。戸塚・湘南台・阿久和(いずみ野の近く)・三ツ境)
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ところが、「ドリームランド」というバスターミナルは神奈川中央交通の手で立派に稼動しているのだ。しかもご丁寧に系統表記・運賃認可などの問題かそのまま保持しており、神奈川中央交通社内のみならず、車内放送テープまで(例)「ドリーム・大船駅方面はお乗換えです」とアナウンスする。(ドリーム・・・だけしか言わないのはかなり前からで、ドリームハイツの乗り換えも兼ねてるからかもしれないが、「ドリーム」が符丁みたいになっている)
もともと、遊園地以外になにも無いならそういうことが無かっただろうが、大学が来る、団地がある、銀行もある、スーパーもあるし八百屋もある。となれば一種の集積地になるわけでドリームランドはいつのまにか「死んで名を残す」遊園地になっていたのである。
また、末期はモノレールの既設路線に関しても、かなり官庁・民間ともに興味があったようである。ダイエーはこれの復活ないしは新交通システムへのカイゼンを「真剣に」考えてたみたいだが、もう沿線の敷地は在形のまま切り売りされており、多分大幅な立ち退き交渉と施設改善が必要だったであろう。(コンクリートの老朽化もあるが、それ以上に感覚的に見てもひ弱な梁構築物で、修繕できる状態ではなかったと考える。)この事は1997年に策定され横浜市企画局が推進した「ゆめはま2010プラン」の中にドリームランド線運行再開事業があり、1996年事業化検討、2001年実現を目指していた・・という文言が証左となる。
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旧ドリームランドへは大船駅・戸塚駅・横浜市営地下鉄立場駅・(小田急線湘南台駅・藤沢駅)などを発着するバスしか交通機関がないが、立場駅発着便を除いては、県下屈指の渋滞箇所として悪名高い国道1号・原宿交差点を通らなければならず、横浜薬科大学に通学する学生の輸送のためにバスの便数が増え、ただでさえ酷い原宿交差点の渋滞をさらに悪化させてしまう、というのが再開希望派の住民の主張であった。(注:立場発着便も大船と直通運行でドリームランドに寄り道する形なので、原宿交差点の渋滞はかなり影響する問題点がある。)
しかし現実問題として用地の再取得が不可能な上、現在ではかつての延長計画とほぼ同一のルートで市道環状4号線が開通し、立場駅から湘南台駅までの横浜市営地下鉄沿線へバス路線を増やせる見通しが立った。(なお現段階では、路線の引きなおしは、市側の財政問題・公的補助の原資不足もあり凍結していると聞く。)交通上最大の障害であった原宿交差点も立体交差化工事が着手された。ドリームランド線の事業者だったドリーム開発株式会社が2005年11月に解散し、現在の土地所有者でもある横浜市が横浜薬科大学への交通便をバスに限定する方針を宣言している。確かにこの大学には駐車場がない。(但し学校のバスが往復している。現行の湘南台方面(1~2本/時間)は確かに路線バスでの通学は不自由なのだが、戸塚側は結構通勤・通学に使えるレベルの運行。なにも戸塚方面に学校のバスを走らす必要は無いと、私は事務所の窓から見ているのだ。)

ところで、ドリームランド駅-大船駅の路線が最初開業したが、さらにドリームランド駅-小田急六会駅(現:六会日大前駅)までの路線も開通させる計画が当初あった(あとから長後駅までに変更)。路線免許申請はなかったが、ドリーム交通や日本ドリーム観光の公式文書などに明記されている由。ドリームランド駅側付近の軌道の一部に、複線用の橋脚が使われていたのはその為という。また市に売却したドリームハイツ(マンション)の敷地はモノレール軌道の延長線上にある(複数)ことを考えると、どうも、延伸計画が破綻したことがこの所有敷地を売却するトリガーになりうる。
 ドリーム交通大船駅(JR大船駅から数100メートル先、柏尾川沿い 単線2面)のプラットホームは長らく放置されていた。1980年代後半に芸術家グループが駅本屋を「ワークショップ」として利用していたこともある。当方はこのころ、お伺いして内部を見せてもらったことがある。駅舎の中には運賃表記・時刻表記(終日30分毎)などもあった。しかし、経年劣化により腐食した鉄骨が崩壊する恐れが(というかコンクリートの崩壊痕跡がすでに)あったため、1992年2月に軌道のみを残して撤去され駐車場となった。(今考えると1992/1らしい)いまは更地、宅地化されている。
下記するがモノレールを引いたのは、奈良の遊戯施設が成功を収めたからかもしれない
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奈良ドリームランドhttp://www.nara-dreamland.co.jp/
奈良ドリームランド(ならドリームランド)は奈良市北部(奈良市法蓮町1900)にあった遊園地。日本ドリーム観光株式会社が1961年7月1日開業。1993年、ダイエーが日本ドリーム観光を吸収、同グループの株式会社ドリームパークが経営していたが、2005年11月に経営再建中のダイエーは事業整理の一環として経営権を不動産会社の株式会社テンラッシュに譲渡。顕在化したUSJ開業後の入場者数の落ち込みに伴い、2006年8月31日に閉園された。ディズニーランドを模倣し、「未来の国」「幻想の国」「冒険の国」「過去の国」「メインストリート」の5つのエリアで構成(開園当時)。また、「潜水艦」「大海賊」「モノレール」など、当時では画期的なアトラクションを採用し、人気を博した。なお、跡地利用についてはまだ決まっていない。
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こちらは小・中の時にお世話になりました。このところ関西の経済は関東に比べ上向きとはいえず、考えれば、桃山城キャッスルランド・枚方パーク・あやめ池遊園地・甲子園阪神パーク・宝塚ファミリーランド・みさき公園・八瀬遊園 etc みーんな過去帳に入ってしまった。

そういえば、ロッキード型にちかいモノレールがありましたな。単に公園外周をまわるだけでしたが、初めてなので無性に面白かった記憶がある。
主なアトラクション・施設
アイススケート*
木製コースターASKA (類似の施設あり)
アンティークカー
イベントホール *
ウッディーガーデン
お城
お化け屋敷(洋風・和風あり)*
外周列車 (類似施設あり)
キッズバイキング
ゴーカート*
ジャングル巡航船 *
スカイウェイ - 末期は奈良では休止 *
スクリューコースター *
スペースライナー - 末期は休止
スワンサイクル *
展示会会場
ドリーム神社 (類似施設あり  下記)
バギーカート *
馬車鉄道 - 末期は廃止
ファンタジーコースター *
フライングスインガー *
フラッシュダンス
プール *
ボブスレー
メリーゴーラウンド *
ラウンドパイレーツ *
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上の列挙した中に*をつけたものは、横浜も奈良もほとんど同じ設備である。はじめてこどもをつれて横浜ドリームランドに行ったときは、私はむしろ郷愁さえおぼえたものだ。関西で成功したものを横浜で展開させるというのが、ポリシーなのだろう。(上にある馬車鉄道は両端がループになっている本格的なものだ。)
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さて、ここもバス(奈良交通)が走っており、基幹路線としてJR奈良-(ドリーム)-JR加茂 JR奈良-(ドリーム)-近鉄高の原のバスが走り(あわせて8~12分ごと)、しかも主要経由地になっている。関西線の加茂電化前はもっと多く走っていたのであるが、これは周辺全体が急速に住宅地化したことも関係するのであろう。しかも前者の路線は大仏鉄道(関西線のショートカット路線、勾配がきついなどで廃線が早かった)の廃線跡を走る。加茂行きには他に浄瑠璃寺経由があることから、ドリームという経由地呼称も健在である。
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勝者だったものも駆逐され、消え去ることはあまりにもたやすい。しかしなぜか、ドリームの名前が残っているというのは、ドリームという名前があまりにも「夢」というわけで魅力的だからか。

あと奈良との縁を感じるのは下記内容である。
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相州春日神社
創業者松尾國三は、横浜ドリームランドの建設に際してその発展と繁盛を願い、敷地内に奈良県の春日大社から分霊を受けて「ドリームランド春日神社」を建立した。その後、神社とドリームランドとは敷地・組織とも切り離され、「相州春日神社」と改名した。境内には本場春日大社よろしくシカが飼育され、参拝客が鹿せんべいを与えられるようになっており、せんべいを与えられたシカは甲斐甲斐しくお辞儀をする。
横浜ドリームランドの廃園時には相州春日神社は既に別組織であったため、跡地の整地・売却後も現存しシカたちも健在である。ここが学校と市営公園との境界線に位置することもあったのだろう。

参考文献
http://members.jcom.home.ne.jp/dream41830/dreamindex.htm

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「技術用語の方言」を実践する

(承前)
よくPDCAサイクルという発言を耳にする。なんだそれは。という方も多かろう。別に核サイクルではない。単に物を実行するときの理想的な行動なのである。
・・・とこの前書きました。けれどもそこでも色々な適応事例のプレゼンテーションを提供したのですが、実践的な紹介には成りきってませんね。
でまたうどん・・・ちがうって、映画「UDON」の話になるのですが、この映画の最後のストーリーが丁度PDCAサイクルに乗っかっているということに気がついたのです。
それまでに、一寸、おさらいを。
---------------------引用--------
PDCAサイクル  PDCA cycle / plan-do-check-act cycle 典型的なマネジメントサイクルの1つで、計画(plan)/ 実行(do)/ 評価(check)/ 改善(act)のプロセスを順に実施し、最後の改善を次の計画に結び付け、らせん状に品質の維持・向上や継続的な業務改善活動などを推進するマネジメント手法である。
Plan (計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する。
Do  (実施・実行):計画に沿って業務を行う。
Check(点検・評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを確認する。
Act (処置・改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて処置をする。
この四段階を順次行って一周したら、最後のActを次のPDCAサイクルにつなげ、螺旋を描くように一周ごとにサイクルを向上させて、継続的な業務改善をしてゆく。この螺旋状のしくみをスパイラルアップ(spiral up)と呼ぶ。この考え方は、ISO 9000やISO 14000にも反映されている。
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松井香助:ユースケ・サンタマリア (主人公)
宮川恭子:小西真奈美 (主人公の勤めるタウン誌の同僚)
藤元良一:小日向文世(主人公の姉の夫。製麺機の営業職)
松井拓富:木場勝己(主人公の父・うどん職人)
藤元万里:鈴木京香(主人公の姉・うどん店の仕事)

映画の後半
仕事中に倒れた父、松井拓富。葬儀も済み、9/14の49日法要をともに、うどん店を処分することにした。しかしそういいながらもだれしも納得していない。香助は残ったうどん玉(うどんの打つ前の熟成状態の塊)を少し削って、味わってみる。
最終目的:松井香助はもう一回、最後に父の出す味を実現したい。
のこるは14日。宮川恭子・藤元万里も参加することに。
<うどん>
P:在庫の粉の種類を確認 塩を確認(従来どおりであることを確認)
D:いつも見た父親の仕事の記憶を頼りに、うどん粉をこね、打ってみる
C:味見をしてみる・・・全然歯ごたえが違う
A:どこが違うのか、検討してみる
P:前回と処方を変える。このとき藤元良一が、自分でうどんを打って見たいと思ってたまたま、作業の詳細をメモしていたものを公開し、彼も参加。
D:松井香助はうどんをこのレシピにあわせてうどんをこね、打ってみる
C:味見をしてみる・・・歯ごたえが違うが少し近くなったかチェック
A:どこが違うか、塩分・歯ごたえなどを比較し、修正活動に入る
       ・
       ・
       ・
       ・
A:どこがちがうか・・・といってもほとんど差が無くなった。
P:本当に同じ味なのかを確認する作業をする。いつも父がうどん玉を納入していた小学校(宮川恭子の母校)の給食に使ってもらう。
D:うどん玉を作り、試供品として学校に納入
C:給食の時間に子供たちに出してもらう
A:子供たちの反応に、うどん玉の製造技術はとりあえず商売になるレベルであるという確証を得る。

<だし>だしは学校には卸していない
C:どこの店が、今までのうちのうどんの味に近いか調べる
A:よく似た味を出しているうどん屋を伺い、いりこの種類・仕入先を聞く
P:だしの作り方、工程を調査する。(いりこだしでうどんを食べるのは香川ぐらいなので市販品がない)
D:作ってみる。
C:全員で味見、量を調整したらどうなるか考えてみる。
A:最終的な調査、その他の材料(醤油など)の調査・聞き込み
P:処方を決定する
D:作ってみる。
        ・
        ・
        ・
        ・
P:最終的な仕様が決まる
D:お客さんに食べてもらう。
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なんのことはない。自分たちの日ごろの自分たちの行動と同じ。そして最後のActを次のPDCAサイクルにつなげ、螺旋を描くように一周ごとにサイクルを向上させて、継続的な業務改善をしている。スパイラルアップ(spiral up)そのものである。
すこしは感覚的にわかったであろうか。
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さて、ぼちぼち、またうどん巡礼の旅に行こうかなあ。

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201が戦線離脱近し

首記のはなしである。201系は全体に車体剛性の高い設計手法を用いているという話を聞いたことがある。そう言われると、塗装が色あせている車はあるが、ペンキが「がさっ」とはがれている車はほとんど見ない。
但し、電機子チョッパ機構はさすがに色々な意味で使われなくなった手法である。そこをがんばって維持したところは評価していいが、もしかするとチョッパ制御用の高速スイッチング素子自体の更新というところも、あるのかもしれない。そうなるなら、ちゃんとした維持能力・保守能力のある鉄道会社にしか、買って使ってもらえないだろう。ただ、走行距離はたしかに長いだろうが、使用実績を考えると、決して捨てるべきものではないと思っている。
高速スイッチング素子・・・「」は突然製造中止になったりすることがあるので、そのあたりも準備が出来、政治力のある会社でないと使いにくい。(一般産業用の機械でも、「」がなくなったので製造中止ということは、よくあるのだ。
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となると、案外大阪環状線に201系を全面投入とか、阪和線の103系の置き換えなどが考えられていいかもしれない。関西本線とかにも使えそうである。N40工事など更新工事、運転台取り付けなどに非常に長けているJR西日本であるから、そのところも考えてもいいのではないか。
それと、JR東から103系が自力回送していった甲種回送されていった(要するにJR西が買った)という話も聞く。使用するのは広島付近という話だが、確かに103末期の製造車など(EX:福知山線電化対応)は比較的車体の状態はよかったので、買い物ではないかと思っている。そのような考え方なら201系は「お勧め商品」である。
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もっとも103系が何編成かインドネシアに輸出されていったようであるが、201系では相手先の整備技量も関わるため、一寸難しいなあ・・・管理しきれないなあと思っている。
あ、そーだ 203系はどうするのだろうか

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ダイレクトメール

事務所に郵便が来た。(また請求書か・・・とついつい思うのであるがorz)
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日本吟醸酒協会からの郵便である。
以下引用----------------
平成18年 東京秋のイベントのお誘い
10/26  赤坂プリンスホテル
14:00~17:15は酒販店向けのイベントみたいですが
17:30~19:30 秋の吟醸酒を味わう会 4000円 加盟している蔵の吟醸酒720ml1本持ち帰り
------------------------
どうもこの時期、別件が入ってきそうなのが気に掛かるのであるが、行って見るのもいいかもしれない。で、面白いのは<注意>という項目であって、
この会は試飲だけで食べ物はありません。事前に軽く食べるなどして酔いすぎには充分ご注意ください。酔いすぎたり、食べ物を持ち込むなどマナーの悪いかたは会場から出ていただくことがあります。

酒飲みだとついついつまみに凝りたくなるけどねえ、場所が場所だから致し方ないかも。どっちにせよ、吟醸酒はがぶがぶ飲むものにあらず、舌の上にて転がして楽しむものですからね。

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ディスコ「トゥーリア」事件(2)

(承前)
一体、設計者はどのような設計を行ったのか。検証は如何にして行ったのか。そしてこのような故障・事故が生じたのはなぜか、これを後段で述べ、安全工学(信頼性工学)面と技術者倫理面、そしてその後に残る悲劇を考えたい。

[設計追認をしてわかったこと(1)]
破損の箇所であるがモーター-Vプーリの間には回転伝達用のVベルトが3本あり、ヘリカルギアで減速・高トルク化してスプロケットにつながり、チェーン1本でドラム側のスプロケットに結合していることがわかる。また、モーターは正転・逆転を双方行っているから、結線を変更して回転方向を制御していたか、インバータで同じ事(逆転作動)をしていたかもしれない。また新聞報道では、停止保持機構がなさそうであるが、これはモーターを市販の「ブレーキモータ」にして停止のとき位置の保持をしていたと思われる。
さて、このチェーンが破断していた。
1本のチェーンの破断によってドラムが巻き上がっていたところに逆転がおき、全くの無制御のままドラムが、それまでと逆回転し、自由落下と同じ状態で照明器具が落下していった。ここで1つ目の防護策となるワイヤーの長さであるが、これを最大に長くしても床まで2Mを確保し安全とする考え方・・・これが営業受託者としての安全認識であったと思われる。しかし「設計者は」ここでミスをしている。1.6トンの自重の重さのものを自由落下で落としたとき一時的にどれだけの張力がワイヤー・ワイヤーとドラムの接合部、ワイヤーと照明器具の接合部にかかるかというところで、確認をしていなかった事が容易に想像がつく。第一均等に荷重が掛かると考えないほうがいい。設計者の常としてついぞ間違えやすいのは、㎏とKgfの間違いである。自由にぶらりとこの照明器具をつるした場合(重さ)に対して、事実上自由落下を起こした場合の「」は9.806倍となるわけである。(雑駁に表現したわけで、詳しくは各自考えてみてください)

[設計追認をしてわかったこと(2)]
以上の様な計算をした場合、チェーンに掛かる力も変わっていくことになる。常時吊り上げていた場合のチェーンに掛かる静荷重がスプロケット同士の間に掛かっていたとすると荷重計算としては、かなりきつい状態で運転しなければならなかったことになる。(読売新聞 1988/1/8夕刊)によればこのような吊り上げを行っている場合の荷重を概算し、速度を考えた場合の、この機械に使われたチェーンに対する安全係数は
1.0
であったと報じている。追認することは出来なかったが、事実だとすると完全に荷重計算の間違いか、選択している安全率の認識不足である。それよりも問題はチェーンをなぜ1本掛けにしたのかである。この場合チェーンが切れると全部落っこちる(但し最終的な安全は保たれる・・・と考えていた)というなら、冗長ではあるが2重系にするというのも考え方である。つまり同じチェーン+スプロケットを2組掛けることである。但し設置業者全体がどうもチェーンというものの伸び・破損を中間検査で認識していたかは疑問である。
最後に、これは仮定となるが、大元のモータが「ブレーキつきモータ」であったと考え、そこで制御が働いていたとしよう。しかしそれが人体に近接するところに対して一番遠くにある。間にプーリー・ベルト・チェーン・ドラム・ワイヤーが完全な状態であることを「仮定」しただけである。だから、各々確動する割合を今仮に0.99とすると0.99^4=0.96となるわけで、安全率としては低い方に走ってしまうし、せっかくつけたブレーキもファイナル・ゲート(最後の砦)となりえないことがある。人体に接するものとして一番近いのは、ロ型の照明装置であるからこれを支承する様に安全装置を設置することである。設計者はそれを、ワイヤーであると考えたのだろう。なおこういうこともあってか、最終的なブレーキとしてブレーキ附きモータのブレーキを見做さないでほしいとかいたものを見たことがある。
また昇降回数によっての制限も入ってくる。ブレーキライニングの保守とかの間隔も設定されなければならない。

[設計追認をしてわかったこと(3)]
設計上、使用側としても通常1日4回この照明を昇降することにしていた。しかし現場では15~20回/日駆動させていたという話。ところが常連の中には1時間につき10~20回(つまり1日160回とみなせるか)昇降を行っていたという声がある。(朝日新聞1988/1/7)これが事実とすると半年営業を行った場合、最大28800回の衝撃荷重+常時の引っ張り荷重がチェーンにきていたといえる。一般的には疲労源とは見做されない回数であるが、上の項目を見ると1日4回=720回とは桁数が違う。
つまり使用者(営業者)と設計者の意図がずれて設計されていたというか、そのような話し合いが行われず来た事を物語っているのである。もちろん、竣工の時は設計者はそれなりに計算書・設計図書を作っている「はず」、または取り扱い説明書を作っているはずなのであるからお互いに確認しなければならなかったのに、それをしなかった。

ここまで考えてきたように、この事故は複合要因を抱えている。
(1)他社のコピー品を作っていた(設計詳細までコピーしていたかは疑問だけに問題となる)
(2)応力計算をきっちりせず、またそれをどのセクションも正しいか確認していなかった(検図確認を行わなかったのか)。
(3)会社には、品質保証部門があるはずである(とはいえこれを作った会社にそのようなセクションがあるかは不明)その客観的な目を通さなかったのか。
(4)製造会社-照明元請会社-運営会社というように子供・孫の関係になっていて設計者と使用者との意見交換もされない状態ではなかったか。または設計図書・取説をつくらなかったり、読まれてい無かったり、ひどい場合は元請のところで埃をかぶっていなかったか。
(4)単品設計物であるからこそ、メンテナンスマニュアルが必要であるが、(まあ普通は考えないのも知れないが)チェーンの緩み・伸び・潤滑の確認をしていたか。そうすると間に起きた点検や、自主点検はどのように行うべきと設計者は指導したのか。「異常無し」という報告はどういう理由を典拠にされたのか。
感覚的な言い方をすると、プーリーから3本のベルトでかませたものを、ギア減速かけたとはいえチェーンを1本掛けで用いるのは、なんとなくバランスの悪い設計である。(ギアモータにチェーン駆動というのはそこまで突飛な発想ではない)
-----------------------------
そこで、皆さんに考えてほしい。
(1)こういう設計をしてしまった場合、品質保証部門が体を張ってとめるべきであるが、欠陥品が流出し、その問題点が抽出されなかったとしよう。
・設計者と設計者の上司(設計責任者)
・品質保証責任者
・メンテナンス技術者
・元請の照明器具会社の取りまとめ責任者
・ディスコ運営会社の責任者
・空間プロジューサー(この場合は施工責任者というもののある)
各々の見るべき視点と、そのために危険防止のためのホイッスルを吹くべき人はだれで、どのようにその理由を訴えていかなければならないかを考えてみてほしい。
----------------------------
(2)ファイナルセーフティーとしてワイヤーの長さを調節していることは、使用者に対しての保安装置を多少でも意識していたということで評価はしたい。しかしこれが効かなかったのがこの事故。
設計思想として疑問となるのは何か。
(例1)本当に、昇降する照明に1.8tの重さが必要か。鉄製だという、また表面はわざと意匠を重視して荒らしてある。工作法を簡単にしようとして、重量軽減を考えなかったのか。
(例2)たとえばロ型の照明の4隅の下のほうに偽木・・のような2M以上の鉄柱を4本立てておいて、閉店時にはその上にのせてしまう・・・のと同時に全部の安全装置が効かなかった場合に最後のとりでとして衝突用に使う。
-----------------------------
後者の場合、それが何の原因で、どういうことを防止するかということもあります。そこで論理を立てて訴求し、施工管理者・運営業者・空間プロジュース業の人に理解してもらい、相違点を見出し次につなげるかが重要です。ことこういうことになると「おたくでシャイな技術者では困るんです。自分に自信をもっていかなければなりません。(過度の自信も問題ですが
-----------------------------
最後に、すこし。
この事故で無くなった方・負傷した方の大部分は、本来なら入店抑止すべき17歳でした(氏名が載っている新聞もあります。黒服(従業員)がチェックしてもしきれなかったようです。
----引用
この事件で六本木ディスコ族の実態が明るみに出た。死亡した3人はみな地方から遊びにきていたり、勉強しにきていた人であった。そこに居合わせた人たちもほとんどが東京以外の人たちだったのである。そういえば'86年から'87年にかけて六本木周辺で徘徊する車に東京近県のナンバーが目立ち始め、果ては東北、東海からも軽のミラ・ターボなんかで六本木のディスコに乗りつけるなんて言う現象が頻発していたのである。もちろんワンレン+ボディコン姿で。つまり純正ボディコンはすでにその頃六本木を敬遠し始めていたのだ。
管理者注:この意見自体はかなり偏向的ですが、あえてのせました
------------------------
またこのことが誘引になって、ディスコは六本木から湾岸のほうに引っ越していくことになるクラブと名を変えて。
もちろん、負傷者にもまだいろんな問題が残っているのは言うまでもない。
-------------引用
新潟地裁も「違憲」 学生無年金訴訟 国に1400万円支払い命令(産経新聞) - 10月28日15時32分

 成人後の学生時代に重い障害を負った男性二人が、当時任意制だった国民年金に加入していなかったことを理由に障害基礎年金を支給しないのは法の下の平等を定めた憲法に違反するなどとして、国に対し、不支給処分の取り消しと計四千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が二十八日、新潟地裁であった。犬飼真二裁判長は「社会的身分による著しく不合理な差別 で、憲法違反は明白」と違憲判断を示し、国に計千四百万円の支払いを命じた。
 「学生無年金訴訟」は、この訴訟を含め計三十人が九地裁に提訴。判決は今年三月、「国は是正措置をとらず違憲」とした東京地裁に続き二例目となる。新潟地裁も同様の判断を示したことで、国は全国に約四千人いるとみられる同種障害者の早期救済を迫られることになりそうだ。
 原告は、新潟市のAさん(四一)と、新潟県三条市のBさん(三七)。Aさんは昭和六十二年に海での事故で、Bさんは六十三年に東京・六本木のディスコ「トゥーリア」の事故で、それぞれ重度の障害を負った。
 犬飼裁判長は判決理由で、昭和六十年の国民年金法改正の際、二十歳以上の学生を強制加入の対象から除外したまま放置した点について「著しく不合理な差別 」と認定。「国家賠償法上、違反のそしりを免れない」と厳しく批判した。
 ■学生無年金障害者 平成3年に改正国民年金法が施行される以前、20歳以上の学生の年金加入が任意だった時代に、年金に入っていなかったことを理由に、障害を負っても年額79-99万円の障害基礎年金の支給が受けられない人。全国に約4000人いるとみられる。20歳未満で障害を負った人には年金が支給されており「制度のはざま」と指摘されている。
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更に、1988という年は日本はバブル真っ最中の時期だったが、その後海外の事例をみるとこんなのがあった。
2000/12/31 (日)02:00頃
大韓民国.ソウル.江北 ディスコ「エンパイア」で天井から重さ約2トンの照明装置が落下.飛び散ったガラス片などで踊っていた客ら負傷  負傷者62名
1995/4/28 (金) : 夜 中華人民共和国.北京 ディスコ「JJ」で照明装置落下 負傷者 なし
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設計の信頼性を高めたりする場合の問題解析ツールとしては 故障解析法(FMEA・FTA)ワイフル確率紙、PDCAの推進など色々ある。けど精神論に悪戯に加担するわけではないが、なによりも、失敗を糧にして未来に生かすという姿勢を常にもつ事が大事ではないか。そのために設計者は、常日頃から製造現場・設置現場を嘗め尽くすように見るのが本道ではないかと思う。・・・・と技術者の端くれである私は考える。

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玉川上水脇

仕事も一山超えたので、展示会3件に行って、本屋で探し物をして、役所に相談にいってきた。(コンサルタント業務の面接)
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私は、元々ヒートアップの遅い人間で「5時から男」とか言う人もいた。別に遊ぶわけでない。PM5時ごろになると俄然仕事のテンポが上がり、書面などを書き込み始めるからである。もちろんこれには理由があって定時の間はやれ打ち合わせだ、来客だ、納品だということが絶えないためである。おまけに定時後に実験したりする場合は、常に危険が伴う。更に結構な時間までかかって仕事をしておかないと明日が不安で仕方がない。ただ、そのスタイルを他人に押し付けることはなかった。
ただ大概の場合、翌日出社後に、原稿・図面などはゆっくりとは再検査していた。そういう雰囲気でかくと誤謬も多い可能性があるからで、さめた頭でないとCHECK出来ないからである。夜中、一人でドラフター(製図用具)を前にして図面を書き、計算書を書き込み、同僚への指示項目をまとめたり、積算業務をしたり、文献を読み倒した
りするのは、邪魔されずにできるので好きだった。そういう意味ではCADは楽な分、あまり好きではない。
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転職後、一応管理職になって、研究業務計画や手法を一緒に考えるという立場になったが、そのときは勤務時間中ずーっとヒートアップというか「ドーパミン」が始終でていいたのだろう。当然、会議もあるし、来客もあるのだが、それではなくて、仕事途中で「すみません。伝票の確認とサインをお願いします」とかいうのがあるから、いつも切り替える用意をしておかなければならない。時に調子を崩すこともあった。また、同僚の困りごとを察知し、技術文献の探し方を教えたりというフォローも必要であり、それがわかってもらえると、喜びを共有するというわけで、やりがいはすごくあるのである。しかも、いつでもなんでも対応できるよう臨戦態勢・即断即決を必要とする。しかしそれは体が許さなかった
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AM8時からPM11時まで緊張を持続するのは私の体力ではかなりきつかった。会社の門を閉めて、コンビニで弁当を買って、(単身赴任先に)かえる途中に突如疲れが襲ってくるのである。それは恐怖でもあった。
運動をしてみたらといわれるが、それの疲れはいつも明らかに月曜日にくる。寝込んでしまう。それだったら、前日に酒を飲んで、マスターや気の利いた女の子と話をするほうがましだった。趣味活動もあまり動けなくなり、うどん巡礼+電車のたびをナビをしてくれる仲間と行ったくらいかな。
大体ヘロヘロで会話などしていたら、結構直感的な思い込みからぬけないこともある性格でもあるし。
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赴任先の近くには玉川上水が流れていた、多摩川の支流から羽村で取水している。青梅付近は扇状地であるため地下水の質もよく、事実この地の上水道は井戸水だった。
勤続年数の長い人に聞くと「玉川上水は土手や底を粘土で固めて漏水しない様にしてある。事実、近年それを知らずに掘った業者があり、礫状態の川底の下の地盤に水が全部吸い込まれて川下に流れなくなり、困ったこともあるそうだ。」とか。
この話を聞きながら私は、なぜかこんな言葉を思い出した。川下に流れなくなる・・・・駐車場にて死んでいた子猫なぞを想像しなかった。
リストカット
当時、WEBでお話する人にそれをする人がいた(女性)けど翌日には、メールで「昨日よるリストカットしちゃった。」というメールがきたりする。そこで私はこう書いた。「生きていてくれてありがとう」 たこ八郎の座右の銘「迷惑掛けてありがとう」のもじりである。(彼も水死したが)またもっと玉川上水の位置としては下のほうになるが、太宰治の入水自殺というのもある。
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閑話休題「40代になると仕事のやり方を変えなければ、生きていけなくなる」という人が多い。私の場合もそうである。自分の仕事を見直すことが必要だったのだ。いまはそう思って天命となる仕事に打ち込むことになろう。
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昨日珍しく映画を映画館でみてきた。UDON」。内容はともかくとして(ネタ本を読んでるだけに)、主人公の父(うどん職人)役(木場 勝己)が寡黙に・律儀にうどんを打つ、そして仕事場にて脳溢血で亡くなる。そのつらさを家族に転嫁してしまうのはいやだけど、こういう、地道にこつこつと歩くことも、いいのだなと思う。私は、天命に従うのみである。
今日も多分玉川上水は変わらず流れているのだろう。

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ディスコ「トゥーリア」事件(1)

 最近、またディスコがブームであるそうな。特に子育てが一段落した主婦とかの年代の方が行くらしい。曲も1980年代のものの選曲をメインにしている。最近の若い人は「クラブ」とかいうそうだが、多分選曲内容などで棲み分けが行われていることだと思う。ところがこういう雰囲気を盛り上げるための商業施設で、起こした事故が思わぬ波紋を呼ぶことになる。
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http://www.ne.jp/asahi/miyachi/sep/event/risk-data.htm
http://www.tepore. com/column/special/20050815/03.htm.
1988年1月5日 東京・港区六本木のディスコ「トゥーリア」で吹き抜けの2階天井部分からつり下げていた重さ1.6トンの鋼鉄製でドーナツ状大型特殊照明(注:3個設置中の1個)が約8メートル下の地下1階フロアに落下し、踊っていた女性2人男性1人が照明装置の下敷きになるなどして死亡。14人が重軽傷。
[現場の説明]
空間プロデューサー山本コテツ氏がプロデュース。店内は米国のデザイナーの総合コーディネートによるもので、近未来惑星に不時着した宇宙船をイメージ。地下1階、地上2階で総床面積約392平方メートル。収容人員は約800人。地下1階から地上2階まで吹き抜けとなっている。地下1階は半円形のダンスフロア。1階が通路、2階がキャッシャーとテーブル21卓にソファ37席、イス14席。メインスピーカー8基。DJブースはダンスフロアを見下ろせる様に設置。厳しいチェックディスコとして名を馳せ、芸能人や野球選手御用達の派手なディスコとして知られていた。
 ここでバリライトという照明が天井から落下し、3人の死者、14人の重軽傷者を出すという大惨事が発生したのである。このバリライトはマイケル・ジャクソンのコンサートでも使われた米国製と称し、全世界255個の納入実績(但し保守上、レンタル扱いにしている)を誇り、巨大なロの字型の物体が光り輝きながら上下するという構造がこの店の最大のウリだった。(実はこの落下事件でこれが国産のコピー品・ニセモノとバレてしまった。 )なお「バリライト」という名称は固有商標だが、すでにこの手の照明の一般名称と化していたようだ。
[建設現場の状況]
この手の建造物は、視覚的な訴求力を第一に考えて作るためついつい、強度設計を無視した建設現場があったようだ。余談になるが、具体例としてある施工業者の経験談を挙げておく。施工作業者の感覚として読んでみてほしい。(こういう感覚は、現場の力として必要である)
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 昔、東京で店舗の仕事をしていたときのこと。スポーツクラブをリニューアルする仕事が来た。3階に25mプールがあり、2階にフィットネスクラブやジム、そしてトイレの位置を変更し、スポーツショップをつくる仕事。
 クライアントは大手チェーンで、お抱えの設計事務所がついている。私の上司たちは「先生!」と事務所の所長を持ち上げる。プールの真下にある既設の男子・女子トイレをすべて撤去し、そこにサービスカウンターやショップをつくる計画。設計図には、まったく柱のない空間が描かれている。このとき、私はプールの床が抜けて店が壊れる夢を何度も見た。上司に確認したが「先生の指示だ!」の一点張り。トイレはコンクリートブロックで間仕切られていたので、上階の加重を受けているわけではなく、ハツリ解体で撤去した。しかし、プールの水の加重を考えると、気持ちのよいものではなかった。
 施工者が設計者に逆らえないというのも、分かるような気がする。
「先生が言うんだから、そうしておけ!」
「うちがやらなくても、他社がやる!」
 私も、昔は設計事務所やこの手のデザイナーに結構振り回された。上司に抑えられるので、下の人間は黙認するか辞めるかしかない。そうして徐々にずぶとい神経になって「業界人」が出来上がる・・・建築業界の問題として捉えたい。
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額面どおりに受け取るべきではないが、こういう主従関係は常について回るものと考えたい。それは顧客と設計部署という関係になると思うが、顧客に独自コンセプトがなく、また設計部署に強度設計・デザインなどのノウハウを訴求できないという、お互いの認識不足が元来あり、そこに「空間プロデューサー」といった訴求能力のありそうな人がでてくると、もう双方に伝わる会話は、非常に遠いものになる。
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[現場の状況・・新聞報道などによる]
さて、建築基準法においては柱や梁など構造物本体の強度基準は改定されているが、証明装置の規定は無く、法的盲点となっている。(中略)この照明装置は1987/11末に故障(ロッキング)し、直後、修理・点検を受けていた。このときは業者は異常が無かったという報告をディスコ運営会社にしている。12/26にも装置業者が再度自主点検を行った。また証明装置の構造についてはストッパがついており、床から2Mの高さより下降しない設計であったと、ディスコ運営会社は認識していた。(注:但し、請元は照明・VTR配置の専門商社であり、機械設計の知識は持ち合わせていなかった。)
この事故の直前のオペレートについての証言としては、従業員が中間リンクを上げる為、キーボードを操作していた。しかしこのリンクが途中で一旦ストップした後、急速落下したとのことである。(1988/1/6 朝日(東京・夕刊))
調べによると照明装置は8本のワイヤーでつるされておりこのワイヤーは1つのドラムに巻きつけられていた。このドラムの回転をヘリカルギアとドラムの間にあるチェーン1本の回転で連動させ、減速ヘリカルギアとモーターの間に3本のVベルトで回転連動をさせている。したがってこのモーターの制御をキーボードで操作していたのである。(参考:1988/1/7 朝日(東京・朝刊))(但し、読売新聞・毎日新聞の同日の記事はVベルトをかましている。どうも朝日新聞の図面には誤謬があると思われる)このチェーンが切断していた。この切断により照明装置の重みでドラムが逆転し急速下降した。あまりの速さのため、2M床上で作動するはずのストッパー(ワイヤーの長さで制御していたと思われる)も作動せず暴走落下したようである。
使用側としても通常1日4回この照明を昇降することにし、設計していたという。しかし現場では15~20回/日駆動させていた。また営業が終わっても吊り下げたままにしていた。(但し、この設計では保管方法がこれしかないことが分かる)
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一体、設計者はどのような設計を行ったのか。検証は如何にして行ったのか。そしてこのような故障・事故が生じたのはなぜか、これを後段で述べ、安全工学(信頼性工学)面と技術者倫理面、そしてその後に残る悲劇を考えたい。

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私の居場所はどこでしょう

桂文珍氏の「関大文学部における講義録」にある比喩的表現。
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関空とか成田とかいう、ハブ飛行にはいろんな飛行機が飛んでいる。そのうえいろんな駆動物がいろんな仕事をしている。
(1)ロケット:声援を受けピュッと飛んで行き、行った先が見えないやつ。一発屋
(2)ジャンボジェット:タラップから客をのせ、大量の客を大勢動かす、大物芸人
(3)中型ジェット:それなりの固定顧客を持ち、地方空港からハブ空港へ、上がったら又下がり、又下がったら又上がりを繰り返して地味な仕事を繰り返す。地味だけどコツコツやっている。
(4)YS-11のようなプロペラ機:それなりの固定顧客を持ち、地方空港からハブ空港へ、上がったら又下がり、又下がったら又上がりを繰り返して地味な仕事を繰り返すのは一緒だが、いかんせん速度が遅いし低空飛行。途中で給油など寄り道をしてしまう。それでも大事な飛行場の住人であることは変わりない。
(5)ランプバス:お客を載せて運んで、いったりきたり。しかし同じ空港の住人であるのに一度も空を飛べない。
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自分はどこにいるのかというスタンスは、必ず考えなければならない。そういう時期は必ず会社員になるとやって来る。そのために自分の業務をたな卸しするべく、まとめて見る(で一番よかったのがJIS規格の履歴書である)。
これを時々作っていると、自分の生き様がいかなるものなのかが見えてくる。
もちろんそれで卑下する神経の人なら書かないほうが無難かもしれない。けどタフになるためには一生に一度ならず2・3度は書いてみることをお勧めする。もちろん自分が街の福祉活動に明らかに寄与しているなら、それだっていれてもいい。それを繰り返してみると自分の立っている処が分かるだろう。
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ああ。おれは仕事よりも別の道があるんだという方もあろうと思う。それ上等ではないですか。千日回行をする比叡山の僧侶のように、ただあるく、その行為の中に一つの灯明をみいだしたら、それはなんといっても自分にとって幸いである。
いちずに一本道   いちずに一ッ事
観音さまに助けられ    佛さまに守られて
曲りなりにも一本道    迷いながらも一ッ事
                       相田みつを

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いやおれは、人を監督することで大きい人間になるんだという言葉も聞く、半分は単なる野心家、残りの半分は自分の行くに適した道を固定観念で決め付けているだけじゃないかな。(ちなみに僕はここには間違っても入らない。)で、そう思うならば、そこに精力を費やすしか自分の成就する道はあるまい。
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ちなみに、歴代の総理の指南版として活躍した、論語と中国思想・儒教精神の指導で知られる安岡正篤の考える、トップリーダー像の7条件とは。
ーその地位には淡々洛々として
ー敬虔で私心なく
ー自信を温容に包み
ー慈愛と信頼を秘めて
ー侵しがたい威厳を備えながら
ーどこかユーモアがあり
ーそして一抹の淋しさを含んでいるもの

なものである、相反する項目が見え隠れるが、氏は使い分けろという意味でこれを書いている。
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じぶんの心の鏡に写してみるのもいいだろう。ただ、このクラスの人間になった場合人を惑わすのではないかと懸念する。
 氏は東洋宰相学、帝王学に立脚し、実践的人物学、活きた人間学を元に多くの政治家や財界人の精神的指導者や御意見番の位置にあった。毀誉褒貶はあるが、先妻亡き後1983年(昭和58年)、占い師で当時銀座のバーのマダムだった細木数子と再婚している。しかし10ヵ月後に安岡氏は12月に死去する。細木氏は近年精力的にTVに出ているが、言動によく注意すると彼女も旧来の倫理思想に偏っている面がないとはいえないが、安岡氏の思想に同調しているみたいである。
細木氏の事務所は神楽坂の真ん中辺りにあり。「儲けてるなあ」と思ったがそれ以外は何も無かった。一方安岡正篤しについては最近書籍に復刻版もでたり、埼玉県嵐山町に財団法人 郷学研修所 安岡正篤記念館というものもあるそうで、足を運ぶことをお勧めする。
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さて自分の居場所はどこでしょう?。決まってるんじゃない。自分の中だよ。と強がりを言って置く。

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端正な芸とアグレシブな芸

 過日、米朝好きの枝雀嫌いという方のご意見をいただきました。こういう話はたのしいんです。そう。わたしもこういう演芸の世界は好きなので、一寸基本テンプレートから加筆したものを書いてみます。
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桂枝雀 (2代目)  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E6%9E%9D%E9%9B%80
桂 枝雀(かつら しじゃく、本名=前田達、まえだとおる、1939年8月13日 - 1999年4月19日)は兵庫県神戸市生まれの落語家。
元来進学を希望していたが,父が亡くなるなどで家族の生計が苦しく,やむを得ず夜間の市立伊丹高校に進学。日中は県立伊丹高校で給仕をしていた。弟とラジオ放送での素人漫才教室にも参加し度々賞金を得ては生計の支えにしていた。高校生の頃から英語の学力はかなりものであり,専門書を読むほどであった。
昭和35年(1960年)に神戸大学文学部に入学するが、翌年中退。桂米朝に入門し「桂小米(かつら・こよね)」(10代目)と命名された。内弟子としては米朝の一番弟子である。 素人お笑いトーナメント荒しとして知られ、落語においても天才的なセンスを発揮した。
1973年10月に「桂枝雀」(2代目)を襲名。その重圧からか、このころからうつ病(本人曰く、『死ぬのがこわい病』)を患うようになった。1968年3月以降は、ホール落語を中心に活動する「米朝事務所」に所属する。このため定席としての活動はなく、このことは病気にとっては幸いし、長く研究・活動・弟子の指導ができるという利得をもたらしたのではないかと考える。
代表的な持ちネタとして「代書(代書屋)」が挙げられる。この噺は大師匠にあたる四代目桂米團治の作になる。(代書屋とは現在の行政書士)英語落語で海外にも進出した。
1984年3月28日東京歌舞伎座にて「第一回桂枝雀独演会」を開催。会場では大入り。桂雀々、桂南光が前座に入り、枝雀は「かぜうどん」を演じた後中入りとし、前編後編と分けることが多く、師匠仕込みの「地獄八景亡者戯」を一気に演じきった。終了後は緞帳が下りても観客の拍手が鳴り止まなかった(カーテンコール)。
緊張の緩和」が笑いを生むとする独自の落語理論を唱えた。このスタンスは「緊張感を持った話題を語りこみ、ある所で伸びたゴムを引いた指を離すがごとく笑いに一転化することによって、笑いがより効果を発する」考え方をいう。これについて、同病、同業ともいえる作家(故)中島らも氏は、「笑いを理論的に追求しすぎることは精神衛生上好ましくない」とし、自殺の可能性も含め憂慮していた。(注:同病と称しているが、中島氏は躁うつ病+アルコール依存症という診断になっており、病理上は実は全く違うものになる。)「緊張の緩和」という考え方はイノベーションとなり、江戸落語でもこの考え方を実際に提唱する若手(春風亭昇太など)が大勢を占める傾向がある。しかしこの考え方は、ある意味「緩和」を意図したときオーバーアクションになる傾向がある。それだけ熱意のある、汗の飛び散るような芸風であるのだが、それが賛否両論を持つため、一般の観客の評価については意見の分かれるところと思われる。
彼は古典ネタをさらに練り上げ、完成度を高めようとした。(このあたりは桂文珍氏の一連の関西大学講義集・慶応大学講義集に詳しい)しかし完璧主義者である彼のクオリティー感覚では、上手くいかず(と思い込んでしまったのか)、うつ病にかかる。一旦は回復しかかったものの1999年3月13日に首吊り自殺を図って入院し、これが誘引となって同年4月19日に心不全のため死去した。
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桂米朝 (3代目)  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E7%B1%B3%E6%9C%9D
3代目桂 米朝(かつら べいちょう、1925年11月6日 - )は、旧満州大連市生まれ、兵庫県姫路市出身の上方(大阪)の落語家。本名、中川 清(なかがわ きよし)。現代上方落語を代表する落語家である。重要無形文化財保持者。
幼少時代から落語や浪曲に親しみ、素人落語や落語の上演会を主催する。大東文化学院(現:大東文化大学・・上海の東亜同文書院から継承した部門があり満州居住ということから入学した由)在学中、作家であり落語・寄席研究家でもある正岡容(蓉)(まさおか・いるる)に入門。正岡を通じ大阪のセミプロ落語家・桂米之助(故人)と知り合いとなる。その後同学院を中退して、神戸市で会社員となり落語愛好家として上方落語復興に力を入れていたが、米之助との関係で彼の師匠・4代目桂米團治に教えを乞う。やがて本格的に落語家を志し、1947年9月正式に米團治に入門。プロとなり3代目桂米朝を名乗る。
入門当時、ほとんど滅びかけていた上方落語の復興を願い故6代目笑福亭松鶴、らと東奔西走しこれに尽力する。現在の上方落語の隆盛は松鶴・米朝らの努力の賜物である。
6代目松鶴、5代目桂小文枝(後の故五代目桂文枝)、3代目桂春団治とともに、上方落語の四天王と讃えられた。しかし、上方落語協会の会長に四天王としては唯一就任できず、これに弟子の枝雀一門、ざこば一門が反旗を挙げ1994年に協会を脱退する騒動を起こした(米朝は残留し、桂ざこばらも2004年に復帰)。
語り口調は端正で上品。容姿も端麗で人気を博す。多くの弟子を育てる。持ちネタは非常に多数あるが、代表的なところで自ら掘り起こした「地獄八景亡者戯」や「百年目」、自作に「一文笛」がある。
1968年3月以降はフリーとなり、ホール落語を中心に活動するようになる。翌年「米朝事務所」を設立。一門の多くがここに所属する。
その一方で、落語研究家の活動を行い、大阪落語のウイークポイントとされているところに切り込むべく、一度滅んだ噺を文献から発掘したり、落語界の古老から聞き取り調査をして多数掘り起こしている。さらに、タレントとしても多数の番組に出演して大人気を博した。TVコマーシャルの出演は一切拒否しているが、1983年放送の公共広告機構のアイバンクのCMには出演している。
2006年8月8日未明に、自宅で転倒した。報道によると、入院し腰椎圧迫骨折の疑いで再検査、2~3週間の安静が必要とのこと。
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ここまで読んでみて感じることは、米朝は静を装って、動の世界を表したということに尽きるとおもう。一方枝雀は動をもってその対比をことさらに明らかにすることで、静をまで現そうとしたのでないかという懸念をもつのである。枝雀は噺の枕からして、形態模写なども駆使してとにかく笑いの世界に観客を引きずりこみ、そこから噺を進めていった。米朝はなにげなく座布団に座り段々とゆっくり観客を引きずりこむ。なのに「枯れた芸・・・ある種のほめ言葉であるが 立川談志は全く無意味な芸人という見方をする。」にはならないのは聞き上手という所と語り口調が端正で上品で、かつ声がよく通る処が大きいのではなかろうか。

ところで最近「桂枝雀 七回忌 追善落語会」 が京都南座にてあり、見てきた人がいる。
桂ざごばが、内弟子時代の思い出などを語った。枝雀は落語を覚えるのがとても早く、笑福亭松之助のところに二人で落語を習いに行き、枝雀とざこばは別々のネタを習ったのに、ざこばが自分のネタを習得するまでに枝雀は2つともネタを覚えてしまい、しかも、ざこばが習っていたネタをざこばより先に舞台にかけたとか。
米朝の「鹿政談」。よく言えば枯れた芸なんだけど、正直言って衰えを感じてしまった。エーアーって思い出しながら話す様子が、ちょっと心配・・・・ということは、すこし声の張りがなくなってきたのかな。
桂三枝による創作落語「妻の旅行」。マクラでは枝雀とのエピソードを披露した。秀逸は枝雀の作った川柳。「」というお題で「持って出たからは 降ってもらわな」と詠んだ。この型破りの川柳に衝撃を受け、三枝は川柳を止めたとか。枝雀の天才ぶりを現すエピソード。

さて、いまや枝雀のような芸風を、関東で気軽にみることはできるのか、というと困難としかいいようがないが、エネルギッシュに観客を引き込もうとする経験豊富な落語家をあたると、三遊亭 小遊三は一見の価値があると当方は思っている。笑点でのキャラクターから入ると始め戸惑うかも
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"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%81%8A%E4%BA%AD%E5%B0%8F%E9%81%8A%E4%B8%89"
三遊亭 小遊三(さんゆうてい こゆうざ、本名:天野 幸夫(あまの ゆきお)、1947年3月2日 - 、A型)は山梨県大月市出身の落語家。明治大学経営学部卒。出囃子は『ボタンとリボン』。
高校時代、卓球部キャプテンを務めていたことから東京オリンピックの聖火ランナーに抜擢される。しかし、母校の近くの区間を走らなかったので誰も見に来なかった。2005年12月、山梨県より「富士の国やまなし観光大使」委嘱。
芸歴
1968年(昭和43年)4月 3代目三遊亭遊三に入門
1969年(昭和44年)4月 芸名遊吉にて初高座
1973年(昭和48年)9月 二ツ目に昇進、小遊三に改名
1983年(昭和58年)3月 真打昇進・
       同年10月から三遊亭好楽(後に復帰)の後任として『笑点』に出演
2005年(平成17年)2月 落語芸術協会副会長に就任
最近では、「副会長」と呼ばれると、必ずといっていいほど「便所でお尻を拭く(副)会長」と返す(落語芸術協会の会長は桂歌丸)。回数は少ないものの、延々と歌い続けて周囲を脱力させることもある(『酒と泪と男と女』や『津軽海峡冬景色』等)。
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鈴本で2回(1回は中締め、2回目は主任)見せてもらった。

思い出すと、私、一時両国駅の近くにて勤務したことがあった、近所に本所警察署がありその隣のビル1階では、月前半は落語三遊協会所属メインの落語家の寄席をやっていた。多忙ゆえとうとう行くことが出来なかったことが悔やまれる。
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さて・・・、新京阪・・・というか阪急京都線には、桂(京都市)・正雀(吹田市)という駅があって双方とも車庫を併設している。(他に大阪市営地下鉄の車庫がある)というわけで、桂 正雀ていう名前の人がいないかと冗談交じりに検索してみた。やっぱり本職にはいないが、このハンドルネームであちこち書いている鉄道ファン(らしい)がいらっしゃる(爆笑)。林家 正雀というのはいらっしゃるそうだ。いやはや考える人はいるものである。

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侘び・寂び・萌え

この前、TVを見ていたら「おたく文化が欧州にも伝播」とかいう特集をやっていた。メイド喫茶が韓国・タイにあるというのはいいのだが(よくないって!)コミケのビジネスモデルが欧州で注目を浴びているということが紹介されていた。
まあ、印象派というのは何でも浮世絵の(2足3文での)輸出が大きな影響を及ぼしていたことは、知られていることだし、それなりにフランスなどでは、「日本文化というものがあって、それが中華文化と又違った形で発達してきている」ということは、映画・子供用アニメなどでつとと知られているわけで、製品文化という視点で「顔が見えない日本(人)」という印象しか与えなかった米国とはえらい違いである。
さて、日本びいきのドイツ人のところにTVカメラがお邪魔している。畳と床の間がある。掛け軸に1文字だけを書いた筆文字が簡単な表装をして鎮座している。けど3つもあるなあ・・・とおもったら。



ふーん・・・・ありゃ「萌え」というのもあるじゃねえか。(驚)

まあ、萌えを広辞苑で見ると、「芽が出る。きざす。芽ぐむ。利息がつく。」とある。古く平安時代のころを考えたら、貴族の青年が、幼女を幼いときから、面倒をみて、好きなように教育して、長じて妻となすという表現もあるのだから(源氏物語)日本の文化にはどこかにあるのかもしれない。一歩間違えば、ロリコンになるところですが、そういうように芽吹くものを大切に育て上げるという考え方は、狩猟時代がはるか昔に過ぎ去り、農耕を主とする民族として1500年以上くらしてきた日本人らしい行動なのかもしれない。
(そういえば「ロリコンてのはロータリーコンプレッサーの略ですか」と聞かれて腰を抜かしたことがあります。
萌芽という言葉もある、研究でも何でもこの萌芽を見落としてしまい、他国にかえって先を取られたのは八木アンテナとかいう事例がそれを証明しているが、このところのコミケなどのブームも意外と好ましい萌芽なのかもしれない。(八木アンテナというのは、ある意味東北大学のベンチャー的意味があるんですね。一度は無くなった社名だけど。)
反対に、研究開発でも基礎研究より商品化研究のほうが得意という日本は、萌芽を丹精に育てることには一生懸命になるのだが、この芽吹きが萌芽なのかという見極めは狩猟民族を源とする欧州(米国はそこまで時間がたってない)モンゴル系統の息がかかっている中国のほうが適性があるのかもしれぬ。
米国の笑い話にこんなのがあるそうだ。
まず、基礎原理を米国人が見出す。
次に、日本人が基礎を生かして商品に仕上げて販売する。
更に、中国人が日本製品を真似して、廉価に売って荒稼ぎをする。

あのねえ。アメリカンジョークはわらえないのう。
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そういえば、CADシステムも欧州製と日本製とでは取り扱い感覚が違う。両方扱える人はそれを知っている。またそれらを束ねるBOMシステム(部品表展開システム・・たとえば)もやっぱり違う。ひとえにボトムアップかトップダウンかの違いである。もっと言うとフランス製のシステムとイスラエル製のシステムも違い、農耕民族と世界を旅して回った民族の差異を印象できる。CAMシステムは、工作機械の製造が世界の1/3を占める、日本のユーザーに使ってもらわない限り確証がとれないので、どこの国のもそこまで違和感を感じさせないというのだが、本当だろうか。
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話を戻すと、萌芽を見出す力を日本のお得意として、情報発信していくことが今後の日本らしい、世界貢献の一つの手法だと思うが、現実の技術情報発信基地たる大学・研究所はというと、公的研究費不正流用とかデータ捏造とか きな臭い。やれやれ。

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技術者倫理研究事例発表大会

今週は日本技術士会・技術者倫理研究事例発表大会なるものに行って、最新のトレンドを勉強してきた。論文審査の上位12のうち4題の口頭発表であった。
この研究のトリガーはオウム真理教事件、日本での研究はそれがスタートといっていいが、アメリカでの研究のほうが投入された馬力が高く、2000年には代表的翻訳文献が国内ででて評判を得ることになる。しかし残念ながら、私もこの文献を見ていくとアメリカ人の慣習に基づく倫理概念をベースにしているため、日本人の慣習にさらされていると解釈が不能になるという問題が生じることが懸念された。どうやら、おなじことを考えた人も他にいたのか、そのため、これをさらに事例研究として読み下した大学生・社会人用テキストもでている。同時に、化学向け・建築向け・プラントエンジニア向け・全体論で専攻者向けの本も出てきた。
しかし、国際化という時代、また倫理概念自体が流動化している日本で、基本的な概念を構築するということ自体は、社会人には必須とおもわれる一方で、大学生には「現場経験が無い以上」、現場のさまざまなアクシデントに机上の知識で対処するという意味は、訴求力を欠くと考えた。そうして、またいくらかの教授経験を基にして考えると、実は、現場の技術者が切望するものは、
「どんなときでも、それに対処し、コンセンサスを同僚たちと作っていく力を養成していくのが、学生に対する最適教授法ではないか」
と思うようになった。たまたまあるかたから、「余り、社会的な失敗事例を列挙すると、学生が萎縮する傾向がある」という貴重な示唆をいたこともあり、社会的な失敗回避事例(なんとかして回避できた事例も交えた事例研究や、あまり取り上げられなかった事例へのトライで、学生さんたちにも関心のある事例を収集してきたのが現在である。
もう少しで草稿が出来上がるところまで来た。演習・記入式で本を作成する初学者向けの本を作っていくつもりである。視点が従来のものと比べ、異なっているところもあろうが、そこはさらに実務に当った場合、という導きを文中でしていきたい。
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さて、会議でも話題になったのは、個人のコミニュケーションスキルの有無が倫理構築の大きな基礎能力になる現実である。おまえにそれをいえるのかは別としてこれはいかなるビジネスパーソン・特に入社3年までの技術者は悩むことである。
------引用
http://ameblo.jp/otobe-ayako/ふと…   2006-08-29 21:12:10
最近思うのですが、人は仕事をする上で義理や人情というものが切っても切り離せないと思うのです。相手がある仕事をしている場合は特にそうなのですが、自分の都合ばかりで動いているといざというときにきっと困ると思うんですよね。
もう一度、私も自己を振り返ってみようと思います。相手の気持ちを忘れていないか、を。
私は感情に流されやすいタイプではあるのですが、色々な方の助言や経験から少しずつではありますが、まず立ち止まり考え行動するようになってきました。
環境が人に与える力って大きいのですね~。もっともっと多くの方、事柄から学び成長したい!そう思える一日でした。
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前後から見ると、かなり乙部綾子さんはテンパっているみたいでした。肝心なことは彼女は書いてないですが、多分書けない内容なのだろうと思います。こういう社会人スキルと、学問としていままで工学者が考えていなかった事柄についても、最近工業関係の学校ではフォローする傾向があります。入社後の離職率などの学校を囲う環境が後押しているのだろうとが考えます。多分これは「倫理と会社、倫理と社会の狭間に悩んでいるのだ」と解釈すると、こういうフォローをどうするか(学校でも、会社でも)が、考えられる環境に仕向け、素地をを構築していかなければならないのだと、私は思うのです。非力なのですが一石を投げられますかね。
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さて、この発表論文に「徳山高専は技術者倫理教育に対して先行的な取り組みを行っている」という論文発表がありまして、このときばかりはしーんとしました。

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まあそういうことで

慶祝なんだそうである。CMをすっ飛ばして特別番組をラジオはやっとる。
まあ、皇室典範の改訂というある意味「国体」を触るため、議論百発というところは無くなったわけだ。母子とも健康だというわけで、よしとしよう.
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紀子さま、男児ご出産[読売新聞社:2006年09月06日 09時06分]
 秋篠宮妃紀子さま(39)は6日午前8時27分、入院先の総合母子保健センター「愛育病院」(東京・南麻布)で帝王切開手術を受け、男のお子さまを出産された。
 皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次いで第3位。男子の誕生は1965年11月の秋篠宮さま以来41年ぶりとなる。宮内庁によるとお子さまの体重は2558グラム。
 紀子さまは胎盤が子宮口の一部を覆う「部分前置胎盤」で、早期出血が心配されたことから8月16日にご入院。胎児が十分に発育する妊娠37週目を待って、この日に帝王切開手術を受けられた。手術は主治医の中林正雄・同病院院長が執刀し、麻酔科や小児科の医師ら約10人体制で行われた。
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さて、産婦人科の機能崩壊がかなりの問題である。愛育病院のように恵まれた場合はいいが、かなりの医者で通院のみのクリニックに切り替わらざるを得ない状態にさらされている。国は一方では「出生率の向上」を叫びながら縦割り行政の問題か、笛吹けども踊らずか、担当国務大臣の折衝能力不足なのか発言できる資料を持たないが、生誕の喜びのみならず、全体的な崩壊と個人属性に基づく格差があることを、認識しながら聞かなければならないのは不幸だ。

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安くて悪いもん当たり前。

http://www.jreast.co.jp/press/2006_1/20060901.pdfにもあるように、209の廃車が出るようである。しかも大量に。

あの車は確かに「走るんです」仕様であるから車体の老朽化は試作車を見てもひどいものがある。当初は旧901系のみの廃車と伝えられたが、それどころではなかったようで。もしかしたら「901系」を点検(ないしは全バラ)するとあまりにも老朽化がひどいうことに驚いたのか?
また今度の車は4M6T→6M4Tということになった。ダイヤを立てるとか波及要因もあるのか。もっとも車両トラブルが最近京浜東北線で増えているというのも巷間伝わっているから・・・ところで、電装品はそこまで老朽化はきていない筈。もしかしたらどっかの車に流用するかもしれない。(107の下回りだけ更新(爆笑)とか)それにしても、この前209-3100中間車が新造で入ったばっかりなのに。(八高線)後、総武緩行線からの転入車はどうするの。

(題名はイズミヤという関西の中堅スーパーのCMをいじりました・・・)

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技術者の知恵蓄積化(4)

(承前)
いままで3項に渡って、技術者の知恵をどう蓄積するかを考えてきたが、人材の流動化/人材の価値固定化というトレンドのリスクに対抗して、わたしたちは如何に活動していけばいいのかというと、もう自分のスキルは自分で守る≒自分で育て上げるしかないのである。
(1)自分を特化できる、売り込めるような人材に育て上げよう。 
 視野を広くしていくしかない。ただ、会社固有の文化というものがあるから、3年ぐらいはそれに流されてみるかというのも一つの見方。その3年ですが、たとえば部品の購買ルートを変化させて、安く製品化に持ち込むネゴシエーションの技術を持つ(ネゴシエーションは安く買うという意味ではない。品質的に優れるから、少し高くても新たな取引先を開拓させてくれという情報網を積み上げることを、社内に説得するのも1つ)、ある専門的な測定器によって得られる評価方法を幅広く会得し、かつ応用的な測定方法も展開して部署のキーマンになる、etc、etcである。
それで自分の位置が一応客観的になることで、他人との特徴付けが出来たら、「本当にこの場所で自分は仕事できるか・・・」というのが見えてくる。(私はこの時期に新規開発に没頭してしまい、そんな余力がのこっていない状況であったのが、良くも悪くも残念である)一つ「際までやった」というのは、次に仕事を見出す(間違っても、上司から与えられるのを待つのではなく、こういうのもいいんじゃないですか・・・などとこちらからもって行くべき)のにいい鍛錬になる。
(2)独自のデータベースや人脈を持とう
 データベースというのはなにも、新しいデータ/価値ある固有のデータでなく、たとえばこの技術を自動車のレギュレーションではどう読めるか・・・、とか、この作業の要点は一体何のためにやっているか、もしかしたらこの作業は後段の作業に対し悪影響を及ぼしているかという視点で見るというのがいいと考える。つまりどっか他の人と違う視点から物をみて、語れるかということである。このような鋭角的な視点でもいいし、この製品が川下(原材料の生成)から川下(使い勝手・挙句の果ては壊れさま事例まで)というところを横断的に語れるほど製品を愛している。おはようからおやすみまで暮らしを見つめ続けるライオン技術者であるというのも一つの視点。私の場合、あることから同業者の技術者やキーマンに対する人脈を作ることが出来たということがラッキーであった。そのためには(会社内部の機密とかいう問題は避けざるをえないとして)技術や、市場動向などについて、気軽に話せるという人と時間を作ることである。当然これはメールやTELで出来るものではなく、面談によることになる。それを聞いて、答えられないなら勉強したり、主張をまとめたりしておいて、後はそれとなくメールで意見するなんぞもいいかも。
(3)人脈・知識の鉱脈を川上に遡って広げていこう
技術の見方を定めていくと、たとえばレギュレーションに特化した見方が出来るなら、その筋の役所の研究施設(消防なら消防研究所)や顧客(油なら元売とか・反対にオイルフィルタの専門工場のキーマンとか上流下流にとどまらない)に広げていくことで、技術を教わる場所も増えて、ノウハウは飛躍的に増えていく。但し与えるからいただける。与えるための技術の資本投下は怠るべきではないね。大学の先生を頼るのもいいかもしれない。今、私学では母校に聞きに来るOBを期待しているみたい(リクルートという面があるのかな?)だから、いいのではないか。聞くは一時の恥。聞かぬは末代の恥とかいうね。
(4) (2)(3)をもう一~二回やって自分の得手を複数個持つこと。

これだけやっておけば、習慣になってしまう。そうなると、知識をデータベースに落として段々会社に供与しても、自分が「知識や技術のスポンジ」みたいなものであるから、どうなっても食っていける。(但しここでストレスを強く感じるならば、そのスピードを遅くすることにしたほうがいい。でないとストレスが貴殿をだめにする。)
もっとも(1)のみを深く追求しても食ってはいける。けど昇給昇格を期待しない、サラリーを期待するだけの生活になる。そこで自分の趣味などに力を削ぐことを追求するのもまた一つの考えである。それは人生の価値観による。

残念ながら、人生は計算どおりにならないと、つくづく思う。またある人は業務はゴルフのロングコースみたいなものという。一発ロングを飛ばして、最後を刻んでカップインするか、始めから刻んで入れるかは、リカバーの違いだけである。ゴールはカップインにあるのだから。どうせ計算どおりにならないのならば、それぐらい割り切っちまえよ。

あと設計・開発業務で述べたが、製品企画・狭義の製品デザインもおなじことが言えるような気がする。とはいえ外から見ると内から経験するのは大違い。どなたかこういう意見があるよという方、アドバイスをいただけますか?

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ランチョンミート食べ比べ

SPAMのようなランチョンミートをいろいろ買って見たが、結果としてはやっぱり原点回帰がいいようである
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今日は趣を変えて、缶詰を比較して食べてみた感触を述べてみたい。
比較するにあたり、食べ方は、薄くきって表面を少し焼き、卵焼きを付け合せた。)320g1缶8枚程度にスライス。
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(1)標準のSPAM(アメリカ製)(塩分-25%)
やっぱり塩分が強く感じる。卵焼きと合わせるとちょうどよい。少し腰のあるハムという感じである。
(2)HORMEL製ランチョンミート(塩分-38%)なぜか商社は同じなのにSPAMという名前になっていない。鶏肉がすこし混ざっている。
これぐらいが味わいとしてちょうどいい感じがする。付け合せの卵の量を減らしてもいい。どうも、この仕様はアメリカでは売っていないようで、日本向け独自であると見える。
(3)SPAM ガーリック味
成分を見るとガーリックの粉末を入れた見たいである。しかし加熱の手法に問題があるのか、においが飛んでしまってかみ締めないと、味が出てこない。またほかの料理には向かないみたいだ。塩分は気になる。
(4)SPAM ホットペッパー
タバスコを混ぜているが、少し加熱時に辛さが飛んでしまっている。むしろ塩分の辛さをさらに増幅したみたいで、辛いというよりは塩辛い
(5)SPAM ターキー
七面鳥の肉を使ったもの。あっさりとしている。でも焼かないで食べるよりは少しあぶって食べたほうがいい。意外とおいしいが脂っぽいという気がしないので、何かの料理に応用できるかも。(サラダとか)
(6)SPAM  ベーコングリル
ベーコンを混ぜて作ったみたいで、少しお高いが、その価値は見出せなかった。むしろ普通のSPAMのほうが歯ごたえがある。確かに切ったらその痕跡は見いだせるが・・・
(7)チューリップ減塩(北欧製)
塩分のかどがとれている印象。但し、時々保管の関係からか油分が分離しているものもある。一番万能なのはこれではないかな。
(8)チューリップ 減塩(塩分-50%)
ここまでくると鶏肉も入っているようだが、ぱさぱさしすぎであり、噛んでもさくっとちぎれてしまい、食べ応えがない。(鶏肉混入)
(9)チューリップ 無塩
つなぎには、植物繊維を使っている。「煮ても焼いても、生でも食えない」というのはこのことを言うのだろう。焼く前は少し緑掛かっている。
(10)チューリップ ガーリック味
SPAMに比べて、かみ締めるとほんのりといった具合にガーリックが香る。私自身ならこれより標準のを買ってきてにんにくを擦って焼くときに合わせるといいような気がする。
(11)プリムローズ(北欧製) ベーコングリル
ベーコンを混ぜて作ったもので、少しお高いが、SPAMといっしょ。

番外:賽の目きりにしたSPAM(-25%)をトン汁の具として使用。
これは、適当に塩分が取れて案外うまい。しかし普通の豚肉の場合と風味が異なってしまうので、トン汁に似た、味噌汁という感じになってしまった

となると、特に混ぜものをしないで食べる分には普通のランチョンミートで十分間に合うことになる。もちろん、戦時の兵隊さんが加熱しないで毎日毎日食べる(かじる)なら別の感じ方になったかもしれない。
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なお 何種類かは、家で調理したが、途中からは、知り合いのスナックに持ち込み加工してもらった。・・・というのは、全部ソルビン酸ナトリウムという発色材が入っているので、子供に食べさすわけに行かないと言われたのである。(確かに我が家のハム・ソーセージ類は、そう言うものを入れない専門の店・COOPで買っている。)・・(泣)。
けど泡盛のロックにはやっぱりこれがあう。(ビールにはどうかな)

(PS) 普通のSPAMにガーリックの潰したものを揚げた油を使い、食してみた。するとうまかったが、翌日まで匂いが取れなかった。これはまずいかも。

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貸し借りは友を失う

月末で、伝票整理や記帳をしているところに、おなじ町内の街金業者から電話。ウチは在庫持たない業態だからむだだよと日ごろから言ってるのに・・・とはいえむげに切るのも難なので、「まあそれなりに云々」といって電話を切る。
学生の時はあったかも(500円ぐらいかなあ)知れないが、社会人になったからはあまりそういうことはしない。大体、人間見られるものね。ただ、その割には服装は頓着無かったから、少し迷惑かけたかもしれない。通りの並びにあるスナックの主人との立ち話で街金業者の電話の話に及び、「ウチなんか10件ぐらいくるよ」といってたから、まだましなのかもしれない。
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いい話は、あまり広まらず、悪事は千里を走る(ちさとが走っている・・じゃないって。・・(撲)そういえば最近またTVCMで見かけますね)ものであるが、意図せずともライターのような種火で丸焼けになることはよくあること。冤罪なんか、(意図して口裏を合わせ陥れたとかいうのはともかく)ほとんどそこから来ているといっても過言ではない。
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このことは、思い込みとして人間の頭に刷り込まれる作業が、いかに頻繁に行われているということである。以前書いた「ラバウル」の立地にしかり、考えているけど軸足が一本固定されていると、どうしてもある範囲から外には出にくいというのは必然的なのであろうか。そうやって、製品のセールスポイントなどのCMを見ていると「あら」という表現が目に付くことがある。
現行車種と部品を**%共用し、大幅な信頼性アップを実現
おいおい、部品共用というのはコスト削減というところは、確かにあるし、加工するときのミスなども少ないから信頼性UPというのがないとは言わないけどね。おなじ部品を使っていたって、周囲の条件(荷重・温度・潤滑など)が違えば、それなりに問題になり可能性は結構残るわけである。上の表現が
現行車種と部品を**%共用し、大幅な販売価格低減を実現
なら、いささかでもCMにする必要はあろうが、こういうのを「独り善がり」というのではないかなあ。顧客ニーズ・技術シーズ・顧客潜在要望の取得・技術深掘化の結果転用・・・というのが無い状態、またはパッチワーク状態で少なくとも「よくなりました」というのは卑劣である。(あーあ、言い切っちゃった)そして、買っていただいた客先に貸しを作るようなものである。
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貸し借りは友を失う
これは、学生時代のころ金の無いときにいった定食屋チェーン店の伝票の下方に印刷してた言葉。投資資本として銀行からお金を借りるときのように、目論見書などを練る行為をするなら、致し方ないし、家庭でも土地家屋を買う場合には仕方がないのであるが、それがないとなれば、全てを失うかもね。
まあそれを言えば、全ての人間の行為にはリスクがある・・・ともいえるが。

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