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クリエーティブな浅草芸人

この前も芸人の話をしたが、今回はその中の漫談家における創造性について考えたい。特に浅草芸人の場合関西とは違う成り立ちと修行方法によるから、どうしても創造性を育てるということには、各自の自己認識が必要だ。
はじめに、浅草の舞台に立つ、色物・・といった落語以外の芸人(漫談など)は、必ずしも、浅草演芸ホールなど都内4箇所の常設演芸場、国立演芸場など3箇所の非常設演芸場(月のうち半分は演芸をし、残りは貸しホールとして落語の独演会に利用。)だけに立つのではなく、ストリップ劇場におけるバーレスク(フランス語由来)という中休みに漫才や漫談をする舞台に立つ。このごろはTV局の公開番組の収録前に観客のテンションを上げるためにしゃべる前説というのもあるようだ。(なお国立演芸場は、立川談志参議院議員(爆笑)の尽力で作られたが、本当の目的は演芸資料の録画とデータベース作成にある。)関西では専門の学校もおおいが、関東では、日大芸術学部出身・日本映画学校出身が多いし、劇団から移ってきたタイプも多い。専門学校出身者が出てきたのはだいたひかる・北陽ぐらいからではないかな。
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よく、この日本の漫談を、アメリカにおけるスタンドアップコメディと訳する。けどその中身は全く違う。たとえばダンディー坂野の形態はまさにアメリカ流なのだが、ネタの構成は基本的に日本的である。アメリカのは「他人に対し突っ込んでいくことで自分の力を誇示する」日本は、どっちかというと「自分を犠牲にして笑い・嘲笑をとる」。戦争の仕方が違うようなものである。アメリカがB29なら、日本は竹やりか自決。(ここまで行くともう違う意味で土俵が違う)一番近いのが、ルー大柴の芸風かな。
さて上述した嘲笑の最たるものが、かのビートたけしによる「赤信号 みんなでわたれば 怖くない」という日本人全体に向けられた嘲笑ではなかろうか。
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そのビートたけしは浅草芸人の最後尾の時代に育った人物である。オリジナリティということでかれはかつて3人の漫談家の名前を挙げた。
1:牧伸二 ウクレレという高音域の楽器と、フレーズの固定化{あーあ、やんなっちゃった、あーあ おどろいた}というフレーズの固定化でイノベーションを作った。 ウクレレは既存・音楽をやってるというのは、戦前からのあきれたボーイズという事例があるし、玉川スミという三味線漫談の大家もいる。かれはこれを組み合わせた。
2:ケーシー高峰:医療漫談という新機軸を開いた。また黒板によるビジュアル化というのも初めて。けど実は彼は実家を継ぐべく日大医学部に入学している(後に芸術学部に転部)。これは彼のオリジナルを集大成したもので、後継者も出ようがない。
3:綾小路きみまろ:(おやっ)ビートたけしによれば、彼は今までにだれもやったことのない「客おこし」という技法を、長い歌手の専属司会者経験を元に編み出した。・・・という。客おこしという意味なのだが、CDを高速道路のPAで配布して聞いてもらい客層開拓(起こし)につなげた。・・・というのと、寝ている客に対して歌うように大声で対語表現まで駆使して笑いをどっかんどっかんとっていき、客を起こさせた。という2つの見方がある。たけしの弟子によると「あの人は、すごい力があるんだぞ」と常々、弟子にいっていた話である。
ではビートたけし自身はどうかというと、皆さんご存知の通り、世界のキタノである。綾小路きみまろの漫談をビートたけしと同じ毒舌型といって一括する見方もあるが、ここまで見ていくと少しベクトルが違うことがわかるであろう。
市場を見出す、作り出すのには、ほんの少しの改革と、ほんの少しの既存システムのスクランドアンドビルドである。浅草に笑いを求める顧客に対しては、味付けを極端に変えることのできない(客が付いていけなくなる)からこそ、そのさじ加減は微妙なのである。
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牧伸二の弟子には泉ピン子という漫談家がいる。泉ピン子のピンは「1人芸」・・「ピン芸」を示す由。「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」の彼女も、役者としてはたいしたものと思うが、「ピッタンコカンカン」の彼女のメークと芸風は、まさに彼女がデカダンな浅草芸人そのものを示すものであると私は思う。

(PS)政治漫談はどうか、コロンビアトップ・ライトという人がいたといえるのだが、そもそも駅前で議員さんが毎朝演説しているのと、源は一緒なのである。自由民権運動の流布のため歌いだしたのが演歌(艶歌ではない)のおこりといわれる。したがって、あえてここには入れなかった。「笑点」で歌丸師匠がときどき政治的な話を枕・後付にするのは、この形態を生かしているのかもしれない。

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コメント

(PS)歌丸師匠の例、
「本日の笑点は以上でございます。梅雨にてうっとうしい時期でございます。あしたはテポドンが降って来るかも知れません。皆様ご自愛ください。」
「泉ピン子」の芸名は芸能人であることをずっと反対していた父親が『女優にはピンからキリまであるのだから、志しの一番なピンの女優になれ』と、彼女に話したことからという説がある。
【バーレスク】:からかうという意味の伊語<ブルラburla>から生まれたコトバ。文芸におけるバーレスクは、既存の文芸作品やジャンルの約束事を誇張したり筋立て・文体をもじったりして茶化した作品のこと。イギリスで盛んだったが、19世紀に入り諷刺性が薄れ大衆化した。代表作家はジョージ・ゴードン・バイロン。他方、アメリカでは19世紀後半、下品で滑稽なしぐさを呼び物にした大衆芸能をバーレスクと呼ぶようになった。性的な素材によって笑いを誘うコント、女性の肉体美を売り物にした踊り、歌やマジックなどからなる。このバーレスクがやがてストリップショーへと移行していくが、日本ではさしたる区別もつけられぬまま、昭和20年代前半にともに繁栄した。このジャンルで芸を磨き、芝居・ミュージカル・映画などに進出した芸人は多い。サイレント期の人気スターだったウィル・ロジャースやチャーリー・チェイス、またジェリー・ルイスなどが代表的。日本でも由利徹、八波むと志、渥美清、三波伸介、東八郎、内藤陳、前田隣などがバーレスクないしストリップ出身のコメディアンとして挙げられるだろう(舞台で脱いでいたわけではない。

投稿: デハボ1000 | 2006年7月28日 (金曜日) 17時07分

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