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悪貨は良貨を駆逐する

主題の件、むかーしみなさんどっかで聞いたことがありませんか。
お金の価値が、現在みたいに信用扱い(紙幣は本来同等の金と兌換できることになっているが、現実はできない仕組みになっていること)になる前には、同じお金を見ても、鋳造された時期や、それを鋳造した場所(藩なら藩札という藩内のみ通用する紙幣があったので、その発行元の信用)などが、大いに影響されるものなのだそうです。
じゃあ、悪いお金と良いお金の「1両小判」があったとして、当時の人はどうやって判別したのでしょうか。
①比重を計る。・・・アルキメデスが裸で走ったような件を思い出すとそれは正解ですね。
②発行(鋳造)年代・・・古物商はそれで判定するそうですね。
③硬さを計る。・・・けど硬さの標準が確定されていないころですよね(ビッカース標準試験片の設定は実に昭和30年代のことだそうです。(ミツトヨ社資料・不二越社資料による。最後は産業総合研究所規格を設定したのだとか)。じゃあどうするか。金は純度が高くなるほどやわらかくなるということを経験的に知っており、金にしろ銀にしろ、本位制を取ってるものは「かじって」比較したものなんだとか。定性的にでしょうが、わかるのでしょうね。
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ところが、金・銀は入れ歯とかを除くと、宝飾品・ペン先ぐらいしか見当たりませんね、今は。それだけ実物から遠ざかる状態にあるわけで、それが信用という名前の下にそうされてしまったのです。もちろん金自体が、人の手を通じていくとだんだん磨耗していく問題もありますから、それはそれで合理的です。しかし、カネが事実上信用というもので代用されてしまい、実態とははるか遠くになっている。そういう感覚のまま人が、ネットバンキングをしている。それをするのは資本主義の世界、正統でなにも文句をいう理由もないですが、今度のL社の粉飾決算(疑惑・・・というかたちですよね)で株価が下がったことを受けて、個人投資家が「被害者の会」を作るというのは、あくまで価格の上昇という「神話」をたどったということにしかすぎないのではと思います。被害者という表現は不適切ではないか。それは結果としてそうなったという株の特性が、貯蓄目的に掏りり替わっていると考えます。(もっとも情報操作・粉飾決算の問題は、IRの問題として考えなければならないけどね)
もちろん私も某社の株を持っていますが、投機というイメージではあまりないです。むしろ電鉄株をもってて通勤にも使い、利得を享受した上で出資者に対し、行楽地のチケットもらった、乗車券もらったとか言う場合、またはたとえば食品会社の株を買っていて、そこの経営方針に理解をもって愛用し、時にメイン製品たる食品詰め合わせセットとか、それ相当品の配当金をもらうというのが、資本主義社会の正統な株の持ち方ではないかと思います。もちろん経営方針が問題ならば売却するという選択があってのことです。どうでしょうか。みなさん。
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確か、豊田商事事件のときだったかですが、主な支店には金の延べ棒がショーウインドーに積んであったそうです。もしそれを持ったなら、実は金箔を貼った偽物なのがわかるそうなのに、だれかそれをしようとしたのでしょうか。不覚にも聞いたこともないですが、もしいたらたぶんその方は、投資しなかったでしょう。「金」「カネ」というものの「重み」を知っていたなら、たぶん偽とわかるでしょう。(イミテーションゴールドってことかな)もしかしたら「金属会社」とか「貴金属商」の方ぐらいしか、認識できなかったのではない精巧なものだったとは思えないのだが。まあ「ういろう」より大きいので、かじることも出来そうにないしね。(苦笑)。
お金。それがNETという簡易な窓口で、自宅から出ずに扱え、証券という紙媒体さえ手中に収めないで、実物を得ずして右から左へ流していくという感覚は、むかしはよくいた、証券会社のロビーに入り浸って(ないしは短波放送を聴きながら)指示を出してる人に比べて、格段の軽薄さを持ってしまうのは私だけ?(お前は「だいたひかる」かっちゅうの)
以前知り合った人は、ブラウン管のみすぎで網膜に異常をきたし、会社を退職する決断をしたので、さすがに私も同情していたのだが、その後、彼は寝る時間以外はCRTを見ていたということがわかった。聴くと仕事中・残業中はCADの図面を書き(解析技術者でした)・・・それは当然なのだが・・・、そのほかはネットで株を売買していたか、TVを見ていたかというわけ。ちょっと同情して損したなあという気になりました。
思い出すに、戦前の米国の株大暴落の直前、ある有名な米国の経済人は、「コーヒーショップの給仕たちまでが、株の上げ下げに仕事も手に付かず一喜一憂しているのを見て、これはえらいことになると直感し、手持ちの株を全部手放した。」という話があります。これは、もしかするとどこの国の条件とも合うのではないでしょうか。このとき奇しくも、当時の浜口内閣は銀本位制から金本位制に移行するという、世界標準にあわせた行動をとったからみでその混乱にかき消されたところもあるらしく、あまりそのことは声高に言われないようですが(詳細はこの記載を参照のこと)。また、戦後の好景気のことを、神武景気・岩戸景気などというのに対し、1987ごろのあの景気は泡(バブル)期とは言っても、○○景気とは言わないですよね。(なんとか特需とかいうのはありますけど)
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ところで、こんな記事を見つけました。政府系のもののようですが。ちょっと長いですが、興味ある知見です。(経済学の方にはお分かりのことなのでしょうが新鮮でした。突っ込みも入れやすかった。)
■グレシャム法則とダーウィン法則
グレシャム法則:「悪貨は良貨を駆逐する
金と銀のように、二種類の本位貨幣を持つ複本位制のもとでは、両金属の法定レートと市場レートの間に乖離が生じるとき、市場レートで割高の貨幣(良貨)は市場から姿を消し、割安の貨幣(悪貨)のみが市場で流通する。
ダーウィン法則:「劣るものが淘汰され、優れたものが生き残る
生物の個体間に見られるさまざまな変異の中で、環境に適した変異を持つものが選択されて生き残り、新しい種類の生物が生じる。
この2つの法則は前者が経済現象、後者が生物現象を解明しようとするもので、一見なんら関係がないように思われる。しかし、グレシャム法則を「劣るものが生き残り、優れたものが淘汰される」、またダーウィン法則を「良貨は悪貨を駆逐する」と読み直せば、両者の共通点が浮かびあがってくる。しかも、それぞれが成立する前提条件を明示することによって、両者が対立関係ではなく補完関係にあることが分かる。すなわち、グレシャム法則の働く世界では優れたものは劣るものと同じ(もしくはそれ以下の)評価しか受けないので、その能力を発揮することはできない。たとえば、複本位制のもとでは、金の銀に対する相対価格が、法定レートより市場評価の方が高ければ金(良貨)が退蔵され、銀(悪貨)のみが流通する結果となる。これに対して、ダーウィン法則の働く世界では、各主体が優劣の差に見合って評価され、主体間の競争が進歩の原動力になる。
このように、「悪貨は良貨を駆逐する」とは、取引がその対象の優劣を表す真の「価値」(value)から乖離した「価格」(price)で行われてしまう環境で起こる現象である。同じ複本位制のもとでも、法定レートが固定レートではなく、市場の需給関係を反映した形で変動すれば、金と銀が同時に流通し、グレシャムの法則は働かない。本来、市場メカニズムが十分機能すれば、取引の対象となる財・サービスは資源の稀少性(供給要因)と消費者の選好(需要要因)を反映した「価値」に見合った形で「価格」が決められ、それにより資源の最適な配分が達成されるはずである。にもかかわらず、価格と価値間に乖離が生じる背景には、いわゆる「市場の失敗」と「政府の失敗」が挙げられる。
自由競争に任せても、市場で成立する価格が財・サービスの価値を反映せず、実際の供給量が最適の水準から乖離する場合がある。典型例としては、外部効果(たとえば公害)や、公共財(国防、インフラ)、限界費用逓減による自然独占(電話、電力)、道徳財・非道徳財(麻薬、武器)などの存在による「市場の失敗」が挙げられる。
市場の失敗を是正するためには政府の介入が必要であるが、その行きすぎは逆にしばしば価格形成と資源の配分を歪める。こうした「政府の失敗」の典型例として過剰な規制や(産業別)税金・補助金などが挙げられる。そうした措置を一度に導入すると、既得権益が生まれ、その必要性がなくなっても撤廃できない場合が多い。また、政府はより平等な所得分配を達成するために社会保障などの方策を講じるが、多くの場合、資源の有効配分を犠牲にしなければならない。
人類の歴史では、国家は、ダーウィン法則の働くような制度・環境のもとでは繁栄し、グレシャム法則が働くような制度・環境のもとでは衰退するといっても過言ではない。身近な例として、冷戦構造のもとでは東西陣営が対立し、旧ソ連の崩壊という形で社会主義国が滅び、資本主義国が勝利を収めたことが挙げられる。結果の平等を重んじるソ連をはじめとする社会主義国では、国民は働いても働かなくても所得が変わらず、労働意欲を失い経済が停滞した。社会主義は無能な人にとっては天国だが、有能な人にとっては地獄であるという制度になってしまったわけである。これに対して、機会の平等を重視する西側諸国では、競争原理が働き、産業、技術が発達し、国民の生活水準が急速に向上した。(注:言い過ぎではないの。市場経済を過信してないかな)
■日本経済再生には「ダーウィン法則」への転換が必要
日本において、経済の停滞が長期化する中で、競争の重要性が総論として強調されるようになったが、各論になると社会主義的発想が依然として根強い。しかし、日本の所得分配は世界に類のないほど平等であり、ある程度の所得格差の拡大を容認することはむしろ勤労意欲を高めることにつながり、これからの日本にとって有益無害である。(注:筆者がそれが許容範囲かどうかについての閾値、ないしは閾値の必要性を述べていないのが問題だが)
日本経済の再生を図るためには、「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャム法則が働くような環境を改め、「劣るものが淘汰され、優れたものが生き残る」という「ダーウィン法則」の働くような環境への転換を急がなければならない。グレシャム法則は価格が価値から乖離するときに起きる現象であり、これを是正するためには、政治家や経営者など指導的立場にある人々(ひいては彼らを選ぶ人々)が価値を正しく判断する能力を身につけなければならない。もし世襲する二世議員やインサイダーの論理で出世する経営者たちにこういった素質を期待できなければ、競争原理に基づいて指導者を選抜するシステムの再構築が求められることになる。これに加え、各経済主体が、価値(たとえば、生産性などのパフォーマンス)に見合った形で価格(賃金などの待遇)を決めなければならない。これを通じて、悪平等を助長する諸制度を改め、努力する人々にもっと夢を与えるべきであろう。
-------------------------引用終了
わかるところもあるが、負のスパイラルという世代間の乖離が進むと、すでに再構築の可能性が出来うる範囲を超えているという気もする。「ダーウイン」「グレシャム」の2極論はそれも一つの解釈で傾聴に値するが、それをいかに閉塞感なく構築するということが、与党にも、野党にも、経済界にも、私たちにもできる力がないことが非常に悔しい。これを間違いなく評価すること自体に驕りがある。なぜなら「真の「価値」(value)から乖離した「価格」(price)」とかいう推測はすべて事後構築・事後判断しかなり得ないからである。
要するに最後は個々の人間の運なのかい。おい。

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コメント

ネット取引と店頭や電話での取引と、株価の「単なる情報」によって即時的に売り買いすることに違いはないと思います。どのみち従来の取引でも(投機的なものなら)株券を手にすることはないわけですし。ただ24時間クリックひとつで、という「障壁の低さ」は相違点かもしれませんね。
金・銀は「重要な産業資源」(電子材料や薬品、それにいまは衰退していますが銀塩写真、など)という側面も大きいですね。まあこれらは一見それとはわからないですけど。

投稿: TX650 | 2006年3月 3日 (金曜日) 10時40分

>金・銀は「重要な産業資源」(電子材料や薬品、それにいまは衰退していますが銀塩写真、など)という側面も大きいですね。

難しくなるから書かなかったのですが、見事にそうです。ロー付けの銀ロウもそうですね。
それに昔は白金の触媒作用を用いた「ハッキンカイロ」てのもあったですね。

投稿: デハボ1000 | 2006年3月 3日 (金曜日) 16時55分

>それに昔は白金の触媒作用を用いた「ハッキンカイロ」てのもあったですね。
自己フォロー、白金を語るなら、いまや「燃料電池のセル材料」というほうが「技術者らしい」かな。

投稿: デハボ1000 | 2006年3月19日 (日曜日) 19時21分

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