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続・MOT

昨年12月3日に下記のことをかいてみました。その要旨から入ります。
----------引用開始
仕事で学会論文発表会に行って、また質問し倒して帰ってきました。(中略)名刺交換もしましたが、その関係でまだ時々話がくるのです。こういった研究者の「輪」てのも大切にして行くと、自分の力になるのですね。
さて、このところ、技術があっても、それをどう使ったら良いのかなとか、いろいろ技術の萌芽をどうして育成し、製品に、ひいては利益(特許売買もあり)に結び付けるかということを考えます。こういうのを「目利き」とか申しますが、これは、技術だけ知っててもだめ、次の時代のコンセプトだけ考えてもだめなんです。(中略)ある大学院大学の事務所(サテライトスクール)があって、そこで勉強して修士課程が夜学でとれるということを聞いてきました。要するに技術経営学という物でな。(中略)僕はMOTの資格(経営学修士)を取って・・・という気持ちはそうありません。それならば技術士の経営工学部門について学習するのとたいして変わらんのでしょう。しかし私の場合は過去の経験と机上訓練で構築されたものでして、「体系だって」学習したわけじゃないのですね。過去に遭遇した、いろんな経験に対して裏打ちの必要性がある。社会人枠で大学院に入った知人の話だと、仕事をしながらという方は(カリキュラムの上から)「正直しんどい」ということです。体との相談、財布との相談、妻との相談が当然ありますが、目標がひょんな事で飛び込んできたのは、天の配剤となすべきところでしょうか。

-----------------本文引用終了
意見をいただきました。要旨を再度あげさせていただきます。(少し省略させてもらいました。)
------------------ご意見の引用開始
>経済学(マーケティング理論を含みます)と技術(私ならば機械工学ですね)の全般的なコラボレーションが有ってこそ出来るわけですね
技術の深いところを突き詰めてゆくと、マーケティングとまで言わなくても、市場が何を求めているのか、という大局的な観点を忘れそうになります。自分もそうならないよう、自戒する日々です。最近「MOT」という言葉が氾濫しすぎて、いったいMOT大学院で何を学べるというのだろうかという疑問も持っています。社内の多くの人に会ったり、管理人さんのようにあちこちの講演会に出かけて話を聞いたりして広げ、自分の頭の中で整理する方がいいのかもしれないとも思ったりします。大学院をそういう場として捉えるなら、どれだけ共に議論できる仲間がいるか、ということで決まるのかもしれませんね。( 紫さん)
80年代の低床(ノンステップ)バスの事例については、私はむしろコンセプトメークが不十分だった部分もあるのではないかと思っています。つまり、5年後・10年後・20年後の社会ではどのような低床バスが求められるか、という予測検討を抜きにして、とりあえず「技術的にモノは作れる」だけで開発してしまったように見えるのです。モノのつくり・価格・市場投入の時期…どの面を見ても、失礼ながら「時代の先を読み過ぎた」のではなく「時代の流れをを読むという発想がなかった」ように感じられるのです。紫さんがおっしゃる「あるべきプロダクトアウト」の視点が、このバスの場合まさに欠けていたのではないかと思います。( TX650さん)

--------------------------------引用終了
会社を変わるということを考えたとき、「自分はいったいどれだけのものを製品化して、市場に訴求してきたのだろうか」ということを考えた。そこで、職務経歴書を書くついでに自分の職務の総決算棚卸しをやってみました。その後会社員をやめ、自営になりましたが、その間少し増えたから、今なら、こうなります。
製品化:9個
社内の生産技術向けの装置開発:3個
製品化にいたらなかったもの:16個(製品は開発できたが販路にのらなかったもの・・・特許バーター品を含む)
製品化自体が技術的に出来なかったもの:2個
調査報告案件(先行技術調査)および技術評価法の社内新規導入:5個

問題は、なぜこの水子(みずこ)・・・製品化にいたらなかったものの16件を分析すると、自分なりにばらしてみるとこうなります。
①技術の種(SEED)発で製品を開発してみたが、市場への訴求、潜在市場の開拓が出来なかった。
②市場要求(NEED)もありSEEDもあったので開発したが、市場規模が小さすぎた。
③公的機関から必要性を疑われ、結果市場全体が壊滅した。(撤退か倒産になった専業メーカ多し)
④技術的なクリティカルPASSを、共同開発先が受け入れなかった。(コンカレント開発を拒否した)
⑤親会社の業務にかぶるところがあり、一種の政治的圧力がかかった。

16件の水子が肩にのってるというのはつらいです。こういうことを考えると、あの技術や開発費用、PATの費用はどこへいってしまったのかという時間的・金銭的な問題と、技術伝承が気になります。(もちろん全部報告書としてまとめましたが、ある1件については、「出来なかったことを設計仕様としてまとめた報告書を、恥ずかしげもなく堂々社長回覧にながした」ということで、報告書の承認をした上司(グループ長)と主管技師長は罵りあいの大喧嘩をし、結果的に根回しをしなかった私がわるいことになってしまいました(泣)。)
で、めぐりめぐって会社をやめ、技術指導業務をメインにしている小生の場合、今はこういう経験を積極的に積み重ねようとしても、開発原資がないという問題もあり、スポンサーを探すところからはじめる必要があるのです。そうすると限られた原資を如何に回転させるかという視点、そういう技術経営的なところが必要になってきたわけです。なのに実務で学習をするのが今からではちょっと無理、となるとどうしたらいいかなと悩みます。
私の勤めていた企業のGrは当時「技術の○○」を謳っていました。何社かこれを掲げる会社がありますが、プロジェクトアウトを、技術(あんまりお客さんのうんぬんということではなくて、技術がいいから差別化できてるという刷り込み)で丸め込むということになりがちです。したがって技術の○○じゃなく奇術の○○なんぞ言う顧客があるという営業担当のなやみ。要するに、顧客(それは自動車会社だり、OEM先だったり、力の有無はともかく、限定的な声の大きい顧客だったり)の仕様をトレースし、付加価値をつけることが「開発」と思っている事例がおおいのです。したがって自分はSEEDをを見出し、使えるかという検討はまあ得意なのですが、それ以前のコンセプトメーキングを学ぶことが出来なかった。顧客回りをしたときにも、やっぱり技術論にいってしまっていた。反省は尽きません。私だけではないことかもしれない。世のなかには「部品を旧型車と共通化して、かつ性能を上げました。」というCMを出したところもある。後半部はまあ訴求能力にはなりますが、前半は違う世界の問題なんですからね。
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で、そのために本を読んだりしてますし、幸いにも技術者倫理に関しては出講なども経験した関係で、ちょっと変わった問題点分析が出来上がりました。それは大きく育てていくつもりですが、もっとマス的な見地は本だけ読んでもと実務経験がとかいうところもあるし、少なくとも実践トレーニングをしなければならないのです。
いま、東京ではこういう団体があって、連携して立ち上げを計っているようです。これが文部科学省の学校政策うんぬんという議論はそばに置いて、お金と時間、とくに会社に所属していない自営業者の私にとっては、自己啓発以外のなにものでもないです。とはいえ、まだ出版物だって不十分、その方面の人脈は薄いし、そういう機会が作れない(もちろん技術的な学会の聴講・発表は行っていきますが)となると、財布を振って、参加しなければならないのかと悲壮な決意をもって、収入と自己のステータス確立のため執筆に臨んでいます。(目的意識としてはいいことじゃないなあ)どこの学校も、1年間でもがんばれば修士資格を得ますっていいますが、それよりもそこで得られる人脈(先生と・同窓生と)のほうが本当は大事なのではないかとは思います。問題は病弱な体が付いていくか?
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ところで、15年使った洗濯機を、電子基板の素子がいかれ、部品供給も終わりということで、新機種に買い換えることになりました。そのへんめざとい妻は、店頭に並んでいたため特値になって、かつ一回り大きな洗濯機をすごい廉価で買ってきました。S社の洗濯機ですが、洗剤不要モードが付いている。超音波によるものと(これは、加湿器の原理の応用)、電解水の原理です。したがって5gの塩を入れてくださいというわけ。え?
私がプロジェクトリーダーで、かつ水子にしてしまった製品の一つがまさにこれでした。そしてS社の子会社は当時まさに私たちの有力なコンペジターでした。
塩水の電気分解で、HCl+NaOHをつくり、活性化した塩素の再溶解による次亜塩素酸の働きで漂白を助けるというのを洗濯機に応用したわけです。(無膜式電解法といいます。)偶然その朝読んだMOTの入門書には、実は、この案件は製品に付加価値をつけるための開発を行ったとかいてありました。???けどこれ10年前はSEEDSによる開発だったぞ。それをくっつける企画力はすごい(つまり目利きがいるという人材確保能力)と思う。しかし、この事例を見ると、結果的にSEEDとプロダクトインとプロダクトアウトは3つ足の椅子みたいなものないじゃないの?とか感じるのですが。
妻には、原理とウイークポイントがわかってるので、「日ごろは、洗剤モードのほうがいいよ」とは言っておきました。しかもS社は減益減収でターニングポイントを迎えている由。技術経営てのはつまるところ、刺身とそのつまの関係にしかならないのかなと悩んでいます。そのはずはないとは確信しつつも・・・

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コメント

> SEEDとマーケットイン(筆者修正)とプロダクトアウトは3つ足の椅子みたいなものないじゃないの?
その3つ足を支える強固なプラットホームが、広く長いスパンでの市場予測・社会予測なのではないでしょうか。言い換えると、開発陣や経営陣がいかに社会全体の動きに目を配っているか?ということが事業や商品の成功の基礎になるのではないでしょうか。
その「強固なプラットホーム」こそが、紫さんのおっしゃる「真のプロダクトアウト」だと思います。もういちど紫さんのブログを読み返してみましょう。
私の立場からはそれを「真のマーケティング」と呼ぶことができると思います。世間で一般的にいうマーケティング(顧客アンケートやら販売店インタビューやら…)と、市場全体・社会全体を読む「真のマーケティング」は切り分けて考えなければいけないと思っています。

投稿: TX650 | 2006年3月 6日 (月曜日) 08時53分

>私の立場からはそれを「真のマーケティング」と呼ぶことができると思います。
>世間で一般的にいうマーケティングと、市場全体・社会全体を読む「真のマーケティング」は切り分けて考えなければいけないと思っています。
趣旨理解しましたが、なかなか理解するのに骨がいります。書くとき一度読み返したのですが、彼の記載のところもそこがわかりにくい気がしました。複数概念があるのですね。
けど、家電・車など以外の工業製品でここのところを砕いて説ける方には、私はほとんどめぐりあわなかったですね。残念。

投稿: デハボ1000 | 2006年3月 7日 (火曜日) 22時46分

調査した結果、すこし考えてみることにしました。なんか別の学習方法はないのかと。(・・と次回の紹介です)

投稿: デハボ1000 | 2006年3月10日 (金曜日) 00時15分

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