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フラ印ポテトチップス

前回
企業内コミュニケーションやコーチングの専門家で、「なぜ、『できる人』は『できる人』を育てられないのか?」などの著書がある吉田典生氏
ふんふん。コーチングに興味があります(実務にも必要なんですよ)ので、本を買ってしまいました。で読もうと思ってるのですが、それ以外のトラブルが発生したのできょうはお預けです。読後感はまたあとで。
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さて、なかなかポテトチップスをホームメードで作ろうとしてもおいしいものは出来ません。何回失敗したことか。ということでどうしても、お店で買ってくることになるものになってしまうのです。日本国内でも、色々な会社が製造していますが、東京スナックという会社が茅ヶ崎にありまして、フラ印ブランドでいろいろ商品を出しています。この会社はかなり前からカルビー社の完全子会社となっているのですが、今はフラ印という名前でもポテトチップスを発売していて、成城石井オダキュウOXとか高級スーパーなどでで見かけるということです。ここの特徴である薄味のポテチが好きな方も多いようです。
思い返すと、私が以前住んでいたアパートの近く・・というか最寄のバス停の脇(横浜市内)にポテトチップスの工場がありました。この工場は本社がもともと新宿区にあり、この事務所はその工場部門でしたが、「フラ印」を名乗っていました。この会社が、戦後進駐軍相手から始まって、民間に販路を広げた、ハワイに在住して帰還船に乗り遅れたために抑留された経緯のある浜田さんという方の始めた、ポテトチップス工場だったようです。(その名もフラ印ポテトチップス)。調べてみると、浜田さんは、自分で事業を起こしただけでなく、競争相手たる湖池屋現在持ち株会社に変更)にも技術指導をしたとかいう、かなり心の広い方のようです。
この工場には直接販売部門がありました。で、折を見ては買ってくるのですが、なにぶんにも「工場仕様」なため、50cm×50cm×50cmというダンボール箱一杯に、段ボール箱に寸法が合わせられていたポテチを袋一杯いれて「ハイ500円」という様子。多い!したがって、なんか行事があれば買うが、日ごろは買わなかったです。とはいえ、遠来車を飛ばして買っていく人も多かったですから、(バスに乗せるにはちょっと邪魔)人気があったのでしょう。私はコンソメ味が好きでした。
また、朝早く会社に行こうとバス停に行ったところ、北見ナンバーの大型トレーラーがドンドンと2台横付けされていて、ジャガイモがぎっちりはいっており、驚いていたのですが、問題は私たちが乗るべき路線バスが止められずひと悶着だったとかいうこともありましたっけ。
その後、新宿区(四谷だったような)にあった本社を閉鎖して、お金を都に寄付した上、浜田氏は引退(世田谷区に隠居だそうな)されたそうで、本社が横浜市のこの場所に移ってきました。商品のダンボール箱に張っていたシールも(TOKYO JAPAN)から(YOKOHAMA JAPAN)に変わった記憶もあります。売店の半分は本社事務所に変わり、それでもお客は相変わらずで、いままで工場の人が合間にやっていた売店の仕事は、本社の経理のおばさんが片手間にやるようになりました。
工場の裏には幼稚園がありました。工場は子供たちの通学路兼遊び場でした。もちろんガスボンベや揚げ油のあるところは危険ということもありだめでしたが、脇にジャガイモがころころおっこちそうにつんであったり転がってたりと、揚げ油のにおいが漂ってきたりと、気のいい工場の職員とあいまって楽しい働き場所でした。このころは、同じダンボールのなかに「なとりの珍味」というシールの付いた箱も混ざっていたから、酒のつまみの乾きものとしてOEM供給をもしていたのでしょう。(現在は「なとり」の販売品目にないですね)はやっていたこともあったのでしょう、従業員もよく募集していました。近くのコンビニにはなぜか「地場産業のポテトチップス」というコーナーまでありました。(少し割高でしたが)

さて、私がこのアパートから引っ越してしばらくすると、この工場が壊され、跡地に裏にあった幼稚園が引っ越してくるということを知りました。工場は閉鎖になったようです。どうやらこのブランドはなくなるようでした・・・が、それでも味は変わらずフラダンスの女の人のマーク、フラ印のポテチは市場に出ているわけです。要するに、商標自体をアメリカの会社が持っている関係でそれを引き継ぎ、味も引き継いだというわけだそうです。
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あの大雑把な梱包の割りに軽い味(すくなくともカルビーのよりは味が薄い)がまだ、のこっているのはうれしいことです。けど、手短なところで売っていない事と、それよりもあの愛すべき工場がなくなってしまったのは都市化の流れもあるとはいえ少し寂しい気がします。

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コメント

こういうものもありました。
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フラ印ポテトチップスのなかなか深い話 
 フラ印のポテチについて「ポテチ好き」さんに湖池屋がまねたのではなく、フラ印の創業者が湖池屋にも教えたというコメントをいただき、興味をもって調べてみた。「フラ印」で検索ヒットしたサイトの中で次のエピソードが最高。フラ印には結構、感動的なストーリーが隠されていたのだ。ついでながらシンプルなページデザインもなかなかいい。
静炉巌という方のガレージミュージアムの中にある フラ印ポテトチップスを買う
それによると浜田音四郎という人が昭和22年に市ヶ谷に作った「アメリカン・ポテトチップス」という会社が日本のポテトチッスの始まりらしい。しかも戦前ハワイで兄弟で同じフラ印でポテトチップスを作っていたというのだ。
"フラ印(Hula Brand)"というのは何かというと、”日本のポテトチップスの父”というべき浜田音四郎氏が、戦前のハワイ(ホノルル)において兄弟で経営していたポテトチップス会社の名前なのである。
浜田氏は終戦により日本に引揚げ、それまでの経験を生かして昭和22年に”アメリカン・ポテトチップス”という会社を設立し、日本で初めてポテトチップスを製造・普及させた。その製品名が、ハワイで経営してた会社と同じ名前のフラ印なのだ。
当初は米軍を主な販路にしていたが、氏の営業努力により昭和27年頃からは日本人にも受け入れられるようになってきたという。湖池家をはじめとする現在のポテトチップス業者は、浜田氏の教えを受けた人が多い。ちなみにこの当時の”フラ印”ポテトチップスは高級品であった。
問題はここからだ。浜田氏は製法特許をとるように友人達からも薦められたのだが、氏はポテトチップス業界の発展を妨げないように特許の出願は考えなかったというのだ。どうよ、この男気! カッコイイぜ!
 静炉巌さんならずとも、感動する話だ。フラ印は深いなあ。ところで検索してフラフープのフラはHulaだとわかった。あの腰の動きがフラなのね。今頃知ってどうする!!
 
http://blog.drecom.jp/kyamash-page/archive/456

投稿: デハボ1000 | 2006年3月 3日 (金曜日) 00時21分

さっき、小田原の駅ビル(12月に出来たばかりだそうな)の2Fにある成城石井で買ってきました。良く売れるお菓子の中のNo3ということになってたのですが、実は国産のポテチは他に置いて無いから正しい比較かどうかは分からん。さーてビールビールと・・・・

投稿: デハボ1000 | 2006年3月11日 (土曜日) 21時51分

ポテチに釣られてコメントします
ポテチも大好きっです。
最近、控えてるけど、食べたいっ!!!
ダンボールにたくさんのポテチが入って500円ですか?
それ、たまらなく魅力です

投稿: はるちゃん | 2006年11月19日 (日曜日) 23時57分

>ダンボールにたくさんのポテチが入って500円ですか
今は無いのです。残念!

投稿: デハボ1000 | 2006年11月20日 (月曜日) 14時37分

えー、2006年11月に東京スナック食品が解散したそうです。製品はポテチのみソシオ工房という会社(カルビーの非連結子会社)が出しています。なんか有ったのでしょうか。

投稿: デハボ1000 | 2007年3月 5日 (月曜日) 21時14分

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