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人間の持つ想定能力に限界が無いのか

この冬の、低気圧の発達はすざましいようである。原因究明が完全でないのを承知で言うと、MAX49トンの車重の電車を横から突きとばす勢い。往年の富士桜もびっくりの突き落としである。人的問題がどうこうと言われるが、事故処理に対して、劣悪な気象環境のなか、がんばってくれている方々には、敬意を示したい。それと共に、不幸にも事故に遭われた方の冥福をお祈り致します。
さて、この直前に大停電が新潟であった。1980年クリスマス大停電(仙台)というときは、異常に湿った雪の付着で瞬時に同時に、電源系統が遮断されたということであるが、比較的湿った雪が多い新潟で、このような事を考えていないわけではないようだし(しかも、どちらも東北電力管内)、これも考えが及ばなかったということになるのだろう。

H氏の発言から流行した「想定外」という言葉。たしかに、米国カトリーヌの件も想定できない、ニューヨークのテロも想定できないこと、少女の誘拐や殺傷(あげくに学習塾の中で)などひっくるめれば全て想定の外になるわけである。みんな、過去から蓄積した経験をもって職務遂行をしているわけで、当然FMEA(要するに事故要因を前もって想定する理論と考えてください)を不完全であっても意識的に、ないしは無意識のうちにしているはずなのに、それでもやっぱり事故は起きる。事件は起きる。
そもそも、想定ということ自体が、出来ない世界に突入しているかもしれない。ばっさりぶった切ると、江戸時代のかなりの部分は、墨祖伝授的世界が支配し、たまに外来の物が入ってくるから咀嚼できる人はできた。その程度の能力で済んだ。明治・大正は、革新的な所に欧米という物が逢ったわけで、それを「脱亜入欧」という形でトレースして行くという方法で、すすんで行った。昭和にはいり、今度はその欧米のしくみをトレースするのみではなく、日本の土壌に合うようにアレンジして、またカイゼンしてすすんで行った。
そして平成になり、トレースしたくても、外にトレースする物がなくなり、もしくはトレースしたら過去の蓄積自体がなくなってしまうことから、自縛されてきた。もしかしたら、過去はもうない物と考えなければいけなくなってきているのか?。だが、人間の寿命や知識蓄積の伝授方法はむしろ頑健・複数手法になっているから、一律にそれをいうことは自己否定である。
来る年、「想定外」というのはもっとおこるのだろう。そう。想定するならむしろ、今までのなかで考え付く「負の想定」の幅をもっと広く考えていくべきなのだろう。FMEAやFTAという定型的でない、事象の想定の幅をもっと広げなければならない。帰する所、人間の慎重さと、危険予知回避訓練(KYK)をある程度の大人はしなければならないということ。
但しですよ、それを一般の人みんなに要求するということが、本当に可能なのか。自己責任という言葉が他人・他者への責任転嫁に対する免罪符になってるのではないか。第一、それはすべての人間に万能であることを要求するという、人的能力を超えたおぞましい結果になっていないか。
かなりまえ、某役所が開いたセミナーで、「考えることを止めてはいけない。考えなければならない。」と官僚が力説したのを議事録で読んだ。そりゃ必要だ。ただ、官僚の方と同じく、みんなその認識は持っている。(そうでなければ、遠来セミナーに来はしないよね。)けど、この発言は人間を買いかぶりすぎている。人間が、たかが人間が完璧に出来るということを信じすぎていると言いたい。結果的に、時代の先にたまたま合致した物が勝ち、残りには廃虚がのこるという絵図だってある。特に自然災害みたいなものにはそうである。
正解のない答え。要するに「運70% 才覚20% 行動10%」ということなのか。原始共産主義を礼拝するわけではないが、すべての人に均等な未来を与えるという(その結果は自己責任としてもだ)本当の自由主義はもうありえないのか。やっぱり「資本」主義ということなのか。

いずれにせよ、想定外ということばは、出来るだけ使わない様にしないと、ますます人間は離散してしまう。「分かってる」と称する人間と、それ以外の人間に。

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コメント

大自然の猛威(「神の意思」と言ってもいいかもしれません)を人間が想定できる、予測できるなんておこがましい。素直にそう思います。
某大学病院の医師やスタッフたちでも霊魂や超常現象の存在を信じているひとが多いそうです。今回の事故でも、「酒田から6号車にご乗車の雪女のお客様」、羽後本荘で降りた母子とは別にいたに違いないと話し合っているそうです。
人智を超えた存在って、きっとあります。

投稿: TX650 | 2006年1月 1日 (日曜日) 15時27分

>病院の医師やスタッフたちでも霊魂や超常現象の存在を信じているひとが多いそうです。今回の事故でも、「酒田から6号車にご乗車の雪女のお客様」、羽後本荘で降りた母子とは別にいたに違いないと話し合っているそうです。

たしかにねえ。人間の知恵を凌駕する事項がないとは思えないです。医療の現場では、他所にもそういう見方があると聞いています。ただ、それがリスクとして何%程度かあるということ自体を想定することは、今後なにをするにしても必要と思います。不確定要因のリスク管理。それを個人レベルでしなければならないのは、いい事なのか。単なる丸投げなのかという思いがあるのです。
さて、文中のH氏について、最近「神懸かりのように精神世界にのめり込んでいる」と報じられています。誇張はあるにしろ、経営者は読めない物をあたかも読んだように考えなければ示しが付かない。その苦しさがあるのかなと、なぜか同情を禁じ得ません。

投稿: デハボ1000 | 2006年1月 1日 (日曜日) 16時35分

ああいう先端医療の極限の世界でも、何%とかなんとかではない全く人智を超えた事象があるようです。それは想定しうるリスクの域ではなく、神の意志としか形容できないものだそうです。(勿論マイナスの事象だけではなく「奇跡」もあります)
極限状態での人間の、生命の、自然の本質って、実のところ誰にもわからない、わかり得ないものなのではないかと思います。アポロ宇宙船の飛行士たち(いうまでもなくトップクラスの技術者であり科学者です)のかなりの割合が帰還後宗教家になったというのも、それを証明しているのではないでしょうか。

投稿: TX650 | 2006年1月 1日 (日曜日) 17時30分

過日、解剖学者(東京大学名誉教授)の養老某さん(名前がでません・・けどおなじみですね)がTVでおっしゃっていた言葉。
「人間の頚動脈をたった1ヶ所破るだけで、人を死に至らしめることになる。しかしそれを補修して直すことは、出来ない。機械やPCとは比較できないシステムの深さ、と解明できない神秘さ、崇高さが生物にはある。」
趣旨は、以下集団自殺云々にいくわけですが、この言葉だけでも、まだ知れないメカニズム・・・というか知ること自体が尊厳に関わる自然全体のメカニズムがあるわけで、それを追求するのは有るとしても、畏怖は忘れてはならない。そこが精神的境地に達する、出家する、方の一つの自ら選んだ針路ですかね。

投稿: デハボ1000 | 2006年1月 1日 (日曜日) 21時14分

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