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MOT

仕事で学会論文発表会に行って、また質問し倒して帰ってきました。私(たち)を是非といって招いてくれた学会のかたも、「いやー、質問でがんばっておられるね・・・」という話。けど、どうせ金払って聞くのなら、思いっきり情報をGETして、「あの男、ここにあり」というほうがいいよね。もちろん、相手さんの答えに対して、喧嘩を売るような質問をしては、非常に面白くないし雰囲気も宜しくない。前向きな質問と提言が大事。なによりも、その行動を実行に移す為には、日ごろから自分なりに、しっかり勉強をしてなければならないのですな。さらに事後フォロー・・・も必要(特に大学院生の発表に質問したならその師匠にご挨拶・・)。
前回全然異なる分野の学会で福井に行き、おんなじように、質問し倒して帰って来たのです。名刺交換もしましたが、その関係でまだ時々話がくるのです。帰りの飛行機ではあちこちから、声を掛けられてしまいました。これは、喜んで良いのか、生き恥さらしてるのかという感じになったが、結果的には良かった様です。こういった研究者の「」(・・・タモリじゃあるまいし)てのも大切にして行くと、自分の力になるのですね。

今回の学会の開催場所は、国立大学法人の共同利用施設です。実は同じフロアーに沢山の大学の「東京サテライトオフィス」があります。この使い方もいろいろで、
①:生徒の就職活動の基盤としての活用
②:産学協同研究事業の関東地区の連絡所(官公庁対応も含む)
③:外部・社会人セミナーの開催
④:地方の大学が東京地区の生徒(おもに修士課程)の授業に使用
とあるんです。
さて、このところ、技術があっても、それをどう使ったら良いのかなとか、いろいろ技術の萌芽(もえー・・・じゃなくってえ)をどうして育成し、製品に、ひいては利益(特許売買もあり)に結び付けるかということを考えます。こういうのを「目利き」とか申しますが、これは、技術だけ知っててもだめ、次の時代のコンセプトだけ考えてもだめなんですね。(というのはコンセプトに対して技術が追従しないことって、ままあるのです。例えば、最近こそ福祉の視点から床の低い路線バスが普及し出しました。価格的な問題がのこってますが。・・・しかし、価格を抜きにすると、1985年ごろ、国産でM菱自動車が、岡崎市のある路線に集中投入し、その後岐阜市でも走ったそうです。けど後が続かなかった。ドメスティックな社会では、時代の要請がこの車がまだ付いて行ってなかった。つまり時代の先を読みすぎたのです。また価格が高かったらしいというのもある意味、技術集積の結果なんです。
今の職場では、上司が凄く目利きが良い人で、新機軸の技術を取り込んで行くのに、「動物的」な感覚を持っています。(もちろん基礎知識が有るから出来ることです。)その技術の中身、市場の欲求が、本当に製品として使えるのかどうかは、私たちに質問が降りてきます。それをパパッと調べて、裏打ちされているかを確かめ、議論するという分担になっているのです。(ここではNETなどで調べた技術トレンドや市場調査などが本当に、正しい物か、また応用が利くかを照査できる基礎知識がないとしんどいみたいです。私は技術トレンド調査は、長年やってるからあんまり苦にはなりませんでした。)もちろん、これが決まると、収支目論見と投資原資の確保に費やし、それを実際の製品レベルに落とし込むための具体的検討に入るのですが、この関係はあわせ込んだりという職人的な要素も有ります。回りにすごーく強い方も沢山いるので、ちゃんと分立が取れるというわけです。こういうことは、経済学(マーケティング理論を含みます)と技術(私ならば機械工学ですね)の全般的なコラボレーションが有ってこそ出来るわけですね。ここまでくると、一人の眼力だけで仕事が出来るわけはないのです。
そこでなんですが、この会場の一角の事務所に、ある大学院大学の事務所(サテライトスクール)があって、そこで勉強して修士課程が夜学でとれるということを聞いてきました。要するに技術経営学という物ですな。(尤もマーケティング理論は、当方は学習になんども挫折してます。(泣))今後、色々と生活して、悔いの無い技術者個人としていきるためには、こういう勉強もしなければなりませんな。
たまたま、当方「技術者倫理学」を人に教えていた時期があるんです。(その意味で例の偽造計算書の件はあ・・(以下自粛))これはこの技術経営学の一部で、かつ企業活動からするとリスクマネージメントの考え方にもなるわけです。という意味では、プロないしはプロとみなされるかたになるかも。僕はMOTの資格(経営学修士)を取って・・・という気持ちはそうありません。それならば技術士の経営工学部門について学習するのとたいして変わらんのでしょう。しかし私の場合は過去の経験と机上訓練で構築されたものでして、「体系だって」学習したわけじゃないのですね。過去に遭遇した、いろんな経験に対して裏打ちの必要性がある。さあ、どうしましょうか。
長年機械業界にて活躍され、社会人枠で大学院に入った知人の話だと、仕事をしながらという方は「正直しんどい」(By 堂本 剛)ということですね。そりゃよくわかります。けどそういう方は多いらしく(というか、このような事を問題意識として持っている人は、ほとんど忙しく仕事に追われています。)、どうも修士を3年以上掛けて取ることがこの枠では許されるようです。(始めに宣告して通学する場合。学費は2年分のみ。その代わり入学資格に「社会人経験n年以上」という前提がつきます。)

技術者という道をえらんで25年、蹴躓きながらもそれなりに走り抜いてきました。体との相談、財布との相談など当然ありますが、目標がひょんな事で飛び込んできたのは、天の配剤となすべきところでしょうか。ちなみに、この日は、学会の昼休み中、新進気鋭の工業教育の専門家のところにお伺いし、マシンを見せてもらってきました。非常に充実した日であったということは、胸に刻んでおきたいです。

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コメント

こんばんは。
学会出席、ご苦労様です。
発表する方の身としては、自分の発表に対して
何らかの反応を示していただくのはとても嬉しい
ですよね。確かに厳しい意見をいただいた時は
気分がへこむときもありますけど(T_T)
学会出席は毎回何らかの収穫がありますね。
人脈もできますし、自分の中に問題意識が生まれ
次の研究に繋がり、助かっています。
デハボさんも目標が生まれて良かったですね!(^^)!
がんばってくださいね。

投稿: さくらモチ | 2005年12月 4日 (日曜日) 23時36分

はじめまして、共感を覚えるものがあったのでTBさせていただきました。

>経済学(マーケティング理論を含みます)と技術(私ならば機械工学ですね)の全般的なコラボレーションが有ってこそ出来るわけですね

技術の深いところを突き詰めてゆくと、マーケティングとまで言わなくても、市場が何を求めているのか、という大局的な観点を忘れそうになります。自分もそうならないよう、自戒する日々です。(ブログを書き始めたのもそういうことを考えるため、というのがあるんですが)

最近「MOT」という言葉が氾濫しすぎて、いったいMOT大学院で何を学べるというのだろうかという疑問も持っています。社内の多くの人に会ったり、管理人さんのようにあちこちの講演会に出かけて話を聞いたりして広げ、自分の頭の中で整理する方がいいのかもしれないとも思ったりします。大学院をそういう場として捉えるなら、どれだけ共に議論できる仲間がいるか、ということで決まるのかもしれませんね。

長文失礼しました。また遊びに来ます。

投稿: | 2005年12月 5日 (月曜日) 11時31分

こんにちは。こちらへコメントありがとうございます。あの場所は学会も開催しているのですね。実は隣にありながら2回くらいしか入ったことがありません。技術者倫理はこちらでも教えているのですが、これからの若者たちにあまり暗い話ばかりするのもと最近苦慮しています。新進気鋭の工業教育の専門家、とは恐縮です。今度ともどうぞよろしくお願いします。

投稿: KADOTA | 2005年12月 6日 (火曜日) 21時49分

デハボさんが紹介されている80年代の低床(ノンステップ)バスの事例については、私はむしろコンセプトメークが不十分だった部分もあるのではないかと思っています。
つまり、5年後・10年後・20年後の社会ではどのような低床バスが求められるか、という予測検討を抜きにして、とりあえず「技術的にモノは作れる」だけで開発してしまったように見えるのです。モノのつくり・価格・市場投入の時期…どの面を見ても、失礼ながら「時代の先を読み過ぎた」のではなく「時代の流れをを読むという発想がなかった」ように感じられるのです。
(もちろんチャレンジ精神、開発意欲は、メーカー、運行したバス会社ともに大いに評価されるべきではありますが)
紫さんのブログを拝見しました。紫さんがおっしゃる「あるべきプロダクトアウト」の視点が、このバスの場合まさに欠けていたのではないかと思います。

投稿: TX650 | 2005年12月 7日 (水曜日) 20時23分

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