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中庸

いきなり儒教の話です。引用(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%BA%B8)
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中庸
中庸(ちゅうよう)とは、儒教において、『四書』の一つ。 倫理学(特にアリストテレスのそれ)において、徳の一つ。
儒教の『中庸』
『中庸』は最初『礼記』の一篇として存在したが、後には独立した書物として扱われるようにもなった。南宋代に至り、朱熹の著した『大学章句』によって、多くの人々に読まれるようになった。
朱熹の章句の冒頭によれば、『中庸』は孔子の孫にあたる子思が「道が衰え、伝わら ないのを恐れて著した。」とあるが、後世の学者によれば、子思の著書かどうかは疑わしいと されている。また、朱熹の注では「中」とは偏らないことを意味し、「庸」とは易(か)わら ないこと、と説明している。
『大学』が四書の入門であるのに対し、『中庸』は四書の中で最後に読むべきもの とされ、その内容は修己や倫理などに関する記載が多い。
徳性としての中庸
『ニコマコス倫理学』のなかで、アリストテレスは人間の行為や感情における超過と不足を調整する徳として中庸を挙げた。例えば、勇気は蛮勇や臆病の中間的な状態である時はじめて徳として現れる。アリストテレスによれば、この両極端の中間を知る徳性が思慮(フロネーシス、実践知)である。
----------引用終了
もう20年もなろうか、職場の部長に中●庸三さんと言うひとがいました。工学博士。とにかく筋の通らないことは大嫌い、研究者のなかでも職人かたぎが強い人。部下の研究報告を理論的にすじが通らないと言って、半年間改訂・書き直し・再実験させたため、依頼元から泣きがはいったという硬骨漢
まだ駆け出しの私は、実験装置の図面を書き上げ(当時は手書きです)、中間指導者の校定を終えた。図面下にはローマ字で自分の名前。照査欄には中間指導者の名前がローマ字で書かれている。(この部署ではローマ字で名前を図面に記載する規定だった・・・)さて、先生の所でも大きな問題はなく、図面の承認欄に著名をお願いすることになった。そうしたら先生、鉛筆で、漢字で太く、全部の図面に
中庸
と書き込んでいく。それはたしかに、先生の名前を省略したことは分かります。しかし、硬骨漢でとてもエキセントリックなこの人がまたなんで。???
「あのう・・・・」
「・・あ、これか、あのな、図面ていうのは見る人全部に中庸でないといけないんだぞ」

「中」とは偏らないことを意味し、「庸」とは易(か)わら ないことだそうである。彼はそのことを会社生活1年目の私に言いたかったのかもしれない。
ところが私は意に反してかどうかはともかく、中間を知る徳性が思慮(フロネーシス、実践知)であることを忘れているに違いない、エキセントリックな人間になってしまいました。一回全部通して読まなければならない本のひとつかもしれないなと、この齢に達してそうつぶやくのでした。修己だな。必要なのは。

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