« 会社は誰によって・誰のために | トップページ | 新入社員に一言 »

矢のように過ぎる毎日

別に忙しいことが悪いわけではない。けっこうそれはそれで楽しいこともある。しかしだ、支離滅裂な状態になると仕事の質は落ちてくるのである。小さい仕事をたくさん抱えるという業務もある。中ぐらいの仕事を最初から最後までつきっきりでするという業務もある。だが、開発の類はなかなか、切り替えの良い人でないと上手くいかない。
この業務というのは1人にひとつ全部わたすと、そこで完成されてしまって、いざと言うとき、外に発表できないということもある。またやってるほうも気が重くなる。従がって2つぐらいの仕事を任せるのが標準的な業務の与え方になるみたいである。また気分転換も出来て、幅も広がってという喜びも出てくると思う。
ところが、才能のある人には重い仕事ばかり与えられるという傾向があるから、うっかりすると3つも4つも仕事をさせてしまうこともある。そこで割り切りの良い人は仕事に重い・軽い・やらない(出来ないということを体で示す)という優先順位をつけるのだが、あたしみたいに要領が悪い人になると、3つも4つも仕事を受け取って自滅することになる。(事実なった)自滅したらそれは「自己責任」「自己管理の出来ない人」になってしまうから、いきなり「仕事の出来ない人」になってしまう。その点を上手く割り振り、こいつはこれより少しキャパシティがあるな、と言うところでストップをかけるのが、出来た上司なんだ。けどね、仕事の出来る人と言うのが大概昇進していくわけで、他人のキャパが自分より多いとか少ないとか意識にないというか、自分なら出来るから彼だって出来るという勘違いをするから、破綻する人材もいるのである。さて僕はどれぐらいの点数がつけられるのかなあ。破綻経験があるだけいいかもしれない程度なんでしょうね。
そういえば、学生が教師に査定をつけることがある大学が多くなった。アンケートで講義計画書どうりに教えないと書かれると、査定が悪くなる要因になるとか。僕の頭では「教えを授けていただく」人に採点するなんて、せいぜい単位が取りやすいか否かというところだったが、研究機関と考えず、「サービス業」と考えれば何も不思議なことではない。そうなると学問というのは、いまやサービスなんだと思ってしまう。実はそこは元来、「自己研鑽の場所」(学問をするところと言う意味ではない)だったはずなのだが。(ただ私も自己研鑽の場所という認識は学生時代にはなかった。卒業近くになって気がついた次第。)
明日は何から片付けていこうか。これだけで鬱になることだってあるのだ。

|

« 会社は誰によって・誰のために | トップページ | 新入社員に一言 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/100146/4156458

この記事へのトラックバック一覧です: 矢のように過ぎる毎日:

« 会社は誰によって・誰のために | トップページ | 新入社員に一言 »